中国から一度あげた五輪をとりあげて
めっちゃ最高に怒らせてどうにか戦争させようとしている

そのことによって
また儲かるビジネスジャンキーがいる

毎回世論はことが起きるまで暢気だが
さすがにもう気づきつつあるのは
またイラクんときやアフガニスタンんときや北朝鮮んときやコソボんときや
日本んときと同じことが
巧妙ですらない
白昼堂々のジャイアンルールによって
いつものごとく繰り返されている

という風にみえます。

フリーメイソンやイルミナティというワードがちらつきますが
これらをオカルト的陰謀論と一笑に付すのは
かしこぶった馬鹿としかいいようがない気がしてきました

世界はいま
1対99くらいで
99は此の世をもっと美しいものにしようと思っているが
残りの1が実権を握っていて
とにかく支離滅裂でもいいから大衆を動かしたり操作するための術数に長けていて
いかに論旨がめちゃくちゃでも嘘に満ちて暴力的であってもいいから
99に対する「1」の反論を成り立たせてしまえば
そこに「議論」という名のメディア操作がうまれることを知っている

世論やネット世論は意見の絶対数がいかようにも演出できるから
1:99の議論はまるで1:1の「価値観の相違」と映って
当たり前の意見を抱えた人間たちを天道から逸らして行く
そういう迷いを与えるには充分なわけである

民主主義という名の支配システム
なんとなく文句のいえないところに人々を追い込んでから
「さあ、意見をきこうか」とくる

バビロンの恩恵にあやかって
大切な家族や自分を養って食い扶持にする方法を「選択」した人々は
自己弁護や自分かわいさも手伝って
或いは潜在意識の罪悪感から必死に逃げるように
バビロンを擁護し不条理を盾にする
きらいがある

だれもが「私は絶対に正しい」とは思わないのが正しいのだが
そこにつけ込んで正しさをねじまげようとしている人々がいる

否定された人々はみな自信無さげにうつむいて満員電車に揺られている

それが
明確な誰かなのか
当人たちにすらもはや気づかないシステムの産物なのかは
はっきりしないが
明確な誰かたちが
システムを利用しているように見受けられる

いやシステムを作っているようにみえる

何世代にもわたって権力と富を享受してきた人々の思考回路は
一般民衆の想像をかけ離れて傲慢である可能性は高い
パワーエリートには要注意だ
それは阿呆なテレビで「セレブ」呼ばわりされていい気になっているような鼠たちのことではない

国会と権力とはした金の奴隷であるスケールの小さな国会議員などでも、ほとんどない


餃子もそうだし
チベットもそうだが
これは往年のABC包囲網に近いものにみえる

中国国民の国民性をうんぬんする資格は
本来どこのご立派な先進諸国にもないはずである

企業体や国家組織の腐敗は
中国だけのものではない

わがままで理不尽な性格の人が多くて
っていうならブラジルやスペインの人とつきあうのも同じくらい大変だし
そもそもそれを難儀に思うのが日本人である
というだけの話かもしれない


新聞やニュースというメディアの字面の向こうにある「報道の意図」をよめば
おおまかな此の世の流れ・仕組みがわかれば
チベットのこともじっくり長い目で冷静に注視しなければ

感情に訴える策略にはまって大衆ヒステリーを巻き起こし
それこそ誰かの思うつぼなのかもしれない


此の世の構図について勉強し
自分で金を払って本を買い
時間(歴史)と空間(地理や幾何学)についての考察を深め
己という個人の立ち位置を理解し
己という個人のなすべきことをやっていけばいい


そうなるとやっぱり
くだらない民放のドラマやヴァラエティに
脳みそや鼻くそほじりながら時間を奪われている
多くの日本の若者などは
はっと
目覚めて欲しい


昔イラクまで自分でいって殺された青年がいたが
かれを馬鹿だと断罪した多くの動かぬ人々による怠慢な人生への態度こそが
(もし存在するなら)強大なフリーメイソン的支配勢力にとっては
おもうつぼなのだろう

生きたまま死ぬよりは
冒険者としてリスクを背負い
その精神を永遠に生かすほうが
幸せだと思う
いや
幸か不幸かなどという天秤でもなく
それが使命なのだとしたら
その道を歩まねば
真の喜びも心には生じないだろう



ところで最後に
プロレスにもK-1にもサッカーにも興行主が必ずいて
ふたつの組を闘わせて利を得る商売は太古から何処の世界にも居るものだが
例えば、政治家とは限らない国家と国家の超上層が
ビンラディンと米政府に噂されるような関係性でもって
自らが支配するところの国家と国家を戦争させて
国家などというまやかしの枠組みの向こうで
仲良く儲けていたりするという可能性は
人間のいかにもやりそうなことではある
とも思う

彼らは非難の矛先を振り分けるのが上手で
近頃は「戦争」と「平和」という言葉すらをも「死語」化させることによって
その議論をウンザリとした空気のものに仕立て上げ
「小さな政府」による「小さな紛争」の種をばらまいている
だがどれも一度火がつけば
連鎖的に爆発する仕掛け花火のようなものなのだ

戦争の仕掛人を見つけ出し
花見にでも呼び出して説教をして
哭いて謝ってもらおうじゃないか

意外と間抜けなくらい
彼らは隠れていない気がする


追記3/26:さりとて私は中国共産党による旧時代的な独裁政治を肯定するものではなく、中国という歴史とそこかしこの街角の人々とその文化それそのものに敬意を表するものであります。そしてまた、国際的な非難にさらされる「中国政府」の諸問題は、何処の国でもそうであるように、外部からではなく、内部から国民たちの自意識によって解決されるべきであります。それを「促す」べく努力をするのが国際社会の役目であり、またそれが容易にできる強大な力を持った人々がそのために尽力せずに、ただいたずらに中国政府を苛立たせ追い込む方向に流れがあるのは、つまりそうした力を持つ人々が中国国民の精神的自立とは逆の目的に尽力している動かぬ証拠だと思います。


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