高校美術の教科書検定で、画家横尾忠則さん作の作品中に「私の娘展示即売会場」などの文言が入っていることに「健全な情操の育成について必要な配慮を欠いている」との意見が付き、別の作品に差し替えられた。~横尾さんは「重箱の隅をつついて問題にしている。『私の娘』とは、私の作品のこと。イマジネーションが貧困。もっとも文部科学省とはそういうものだが」と話している。~掲載された文言の文字は1ミリ程度の大きさ~◆高3なら判断できる
 近藤孝弘・名古屋大准教授(教育学)の話 美的な表現を文字通りに解釈することが、美術教育の考え方として適切かどうかは疑問だ。一般には不道徳とされる内容であっても、高校3年生ともなれば自分で判断ができるはずで、そこまできまじめに検定をやらなくてもよいのではないか。美術の教科書から1つの作品を消し去るよりも、それが現実に行われている社会における美術の在り方を生徒に考えさせる方が有益だろう。(中日新聞)



さあこんな阿呆な国とはおさらばしよう。

阿呆な政治家や官僚を一人一人在るべき者に替えて行くのは国民の仕事だ。

俺たちがやらねで誰がやる。

1億分の1人としての己の立ち位置から日本は変えられる。

65億分の1人としての己の立ち位置から世界は変えられる。

淡々と黙々と騒々しく生々しく、ただ自分で在り続けること。

決して黙らないこと。

決して無力感に敗北しないこと。

少しでも真のクリエーションに携わる生活をしようと努力を積み重ねること。

大きな悪を見据えて「悪の大役もご苦労さん」。

大きな善を見極めて「ウレシー」。

そうした人々が子を生み子を育て、その子が孫を生み孫を育てる。

3世代で、全ては変えられる。



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