摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

気づくけど気にならない

2010-06-23 22:19:11 | 気づき
今朝の新聞で、60代の女性の投稿記事を読みました。
横浜で一人暮しをしている弟さんから
久しぶりに筆者の妹さんへ連絡があり、
施設に入所しているお兄さんに
みんなで会いに行こうというお誘いがありました。
みんなで楽しく飲んだり、食べたりして
再会を喜びましたが、
それから数ヶ月後、その弟さんは
アパートで亡くなっているのが発見されたそうです。
無断欠勤をしたことがなかったので、
不審に思った会社の人がアパートを訪ねたら、
死後2日経っていたそう。

この記事を読んで、今までの孤独死のイメージが
私の中で変わった気がします。
この記事の筆者の弟さんは
亡くなった状況から言えば確かに一人で
誰にも看取られず亡くなっていますが、
「孤独」だったのかと言えば、
そうでもないような印象を受けるのです。
もちろん、本人の気持ちを聞いたわけではないし、
記事も本人が書いたわけではないから、
単なる印象ではありますが、
めったにないとは言え、再会を喜び合う兄弟がいて、
心配してくれる同僚がいるわけですから。

今の社会では、一人暮しをしている人も多いから、
たとえ普段人付き合いがあっても、
誰にも看取られず亡くなることは
少なくないだろうと思います。
それを「孤独死」って言いきってしまうのは、
その言葉を使ってる人の「一人では死にたくない」
という価値観が入ってるだけのような気もしました。


一方で、一人で死ぬことが多くなっているのは、
一人暮しをしている人が多くなったというだけでなく、
家のつくりにも関係があるかもしれません。
ちょうど今朝、ばーちゃんがそんな話をしてました。

以前はうちの近所もお店(職場)と住宅が一緒になっていて、
通りに面した部分は土間で全面引き戸になっていたりしたので、
よくお店の中から「○○ちゃん、ちょっと寄っていきなよ!」
などと声をかけられたそうです。

でも、このあたりもお店をたたんだ後、建物を改装すると
小さな開き戸の玄関になってしまうので、
わざわざ呼び鈴を押してお邪魔するほどでもないから、
お互いに行き来して、おしゃべりする機会が
少なくなってしまったというのです。


この話を聞いて私が思い出したのは、
アメリカの大学の寮の風景でした。
私が不思議に思ったのは、寮の廊下を通ると、
中で勉強しているのに、
部屋の扉を開けている人が多かったことです。
そうやって開けておくと、
時々友達がふらりと入ってきたり、
声をかけてくれたりします。

日本では、勉強部屋のドアは
たいがい閉められているような気がします。
それがコミュニケーションを阻んでいるとして、
子ども向けの独立した勉強部屋を持たないという家も
よく建築雑誌などで見るようになりました。


プライバシーは保たれているけど、
つながりも保たれている。
部屋(家)の主も外を通る人も、
お互いに気づくけど気にならない。
そんな絶妙な関係が家についても、
人間関係についても、
作れるといいのかも。


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