『デジタル・タトゥー』 /永遠の私←ネット時代の真実!昨日朝の朝日です。今日ではありません。くすんだ色に、唖然とした日でした。それでもそれと付き合ったのです。悪意があったのか、人間の内面の歪みか、わからない。色に人間の心が現れるの...
ことばが地球を無限飛行する物質と同じように廻り続ける、生き残るということが怖ろしいことなのか、作家の作品とはまた位相がことなる多くのことばの層があるのですね。
まとめる作業というのはいいことなんですね。推敲しないことばが残ることは怖いことです。間違いがそのまま残ることになります。それも了解した上でことばの噴射があるのかもしれません。
作品の価値がその辺にあるのでしょう。しかし日記文学がそれなりに評価されてきたのは、荒地にも光る鉱石があったからでしょうか?歴史の実証がそこから出てきたのです。ネット時代は何億と云う言葉が発信され続けています。それらが飛び交う地球惑星なんですね。主言語は英語かもしれないのだが、中国語、日本語、スペイン語、ドイツ語、フランス語とそれぞれの言語もまた飛び交っています。多言語が飛び交う地球です。
多くの人々と繋がるためのLINGUA FRANCA=ENGLISHでしょうか?多言語で表現する世界になっていきますね。脳の言語認識が深まっていきます。1言語だけの環境でふんぞり返っているアメリカなどの知性は劣化していくのでしょうか?しかしアメリカ内部ではまた多言語がエコーしている可能性はありますね。ベトナム語、中国語、スペイン語、日本語、エチオピア語、ウチナーグチ??どうもロシア語とかぺルシャ語とか、アラビア語とか疎いですね。
主流の言語があっても多言語がまたエコーしあう地球はいいね!共通語はボディー言語かもしれませんね。音楽はことばはなくてもリズム、旋律、ムードで共感できます。クラシック音楽はその最たるものですね。ジャズもそうです。管弦楽の魅力ですね。
声の美もあります。意味は分からなくても情感に訴える声は、人間の感性の極地を多様に伝えてきます。声は神秘に包まれています。声はその対極の恐怖や怒りや絶望も伴っていますね。狂と歓喜も。あらゆる生き物の生きる生の声の合唱がありますね。
あらゆる生命体の声、生身の声がこの地球に充満しているのですね。絶えずリーリリリリと鳴いているコオロギさんもいます。最近は中庭からイソヒヨドリの澄んだコーラスが聞こえてきます。なにより騒音は空を飛ぶ人工の鳥達だけれども、人間を威圧する金属音を奏でて踊っています。
遠くから全て我が物顔に島を襲います。あの人工の鳥達を一掃できないわたしたちの生活なんですね。なにやら哀しいことばのしらべになってしまうこととの闘いかもしれませんね。自らを鼓舞する音色を求めなければです。
とつぶやきでした。今から書いたはしがきとチラシをメディアの方に送らなければです。