日本最古の芝居小屋など、やはり味わい深いね。沖縄にほしいのはこんな戦前の芝居小屋ですよね。
郷土劇場建設の動きがあるが、明治大正時代、昭和初期の劇場などの復元なら賛成!「今ある首里劇場を応援して芝居小屋に」などの発想もないのですよね。天から降ってくるモチを当てにした劇場つくりはどうだろう?現在の国立劇場の二番煎じのおそまつなものになるかもしれない。仮設舞台の組踊劇場でもない三方から見える空間でもない!三間四方でもない!四間四方の空間で、よしとするその感性がやはりテーゲー的でどうも、ついていけない。沖縄を代表する芸能研究家の思念の行き着く所がそれだから、沖縄、危ういね。危うくならないための方策をしなければね。ことばも琉球諸語=独立言語として宣言して琉球芸能の継承をしていますの広報もないのだから、どうしょうもないね。政策ブレンの未来志向ではない感性・知性のおそまつさが痛々しい!
http://www.kabuki-bito.jp/news/2008/07/__photo_104.html《永楽お披露目》
http://kosaka-mco.com/(日本最古の芝居小屋:康楽館)
それから昨日国立劇場おきなわで見た「姉妹敵討」だけれども、またまた私語は慎みください、で組踊が観賞用の舞台なのか、一般大衆と共に歓喜を共有するものなのか、曖昧だね。一般大衆のための舞台ですよね、誰か高貴な方に見せる為のものではない。舞台に感応して声を出す、ため息を付く、拍手する、それらができない窮屈さが居眠りを誘う組踊ですね。それから何のための張り出し舞台なのか?能楽堂のあの開けた空間がほしいね!橋掛かりと北表、南面の出入口にもなぜかまだすっきりこないところがあり、橋掛かりから登場する時の立体性はいい感じだけど、動きが軟になるのももっと狭い三間四方だったのだから、無理もないね。金武先生の首里の手が御冠船の技なんだと納得できる空間だね。 近代以降は変容していった。観衆の視線にさらされて変わっていった。そこが面白い。