志情(しなさき)の海へ

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組踊(首里の方言)の認識は嘉数道彦さんの指導者の方々のセンスで、彼らは時流に遅れていますね!

2011-07-06 20:31:01 | 沖縄演劇
このブログで組踊の詞章の言語が気になって以来、方言か言語なのかの問題で(実際は眼の前の課題に取り組む必要がありながら)いろいろとネットで入手できる論文や以前2チャンネルで話題になっていたらしい、やはり琉球語と琉球方言の関連について読んでいて、すっきりとした所を書きたいと思います。

今、今年1月に鹿児島大学の稲盛会館で開催されたケルト文化関係のシンポジウムで「ケルトに学ぶ地域文化振興」のパネリストでもあった木部暢子さん(国立国語研究所教授)他五人の言語研究者(三井はるみ、下地賀代子、盛思超、北原次郎太、山田真寛)の最新の報告書を読んで、特に木部さんの「言語・方言の定義について」を読んで、私のセンスに問題はなかった、むしろ嘉数道彦さんを芸大や国立劇場おきなわで指導している方々のセンスに問題があることが分かった。(木部さんとは打ち上げの時にビールで乾杯していろいろお話を伺った。優れた方言研究者と理解したが彼女のこのコンセプトはなぜか未来志向に思える)

今年2月25日に発行された【危機的な状況にある言語・方言の実態に関する調査研究事業】を是非読まれてほしい。これは文化庁委託事業で「大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立国語研究所」の責任でネットでも読めるPDFファイルになっている。

まず結論からすると、木部さんは琉球方言ではなく琉球語という定説を主張するという事である。その理由も彼女は述べておられる。よほどの決意があった事がわかる文面である。それを紹介したい。ただ、ユネスコの"Atlas of the World's Languages in Danger"は「言語か方言か」の問題に関して、---社会・政治的な基準にユネスコが踏み込むのを避けるためだと思えるが、その結果、危機にある言語のリストアップに際して、「方言(dialect)」という用語を使用せず、すべて「言語(language)]という用語を使用している。日本のことばに関しても例外ではない、と冒頭に彼女はあえて書いている。

この辺は方言と言語の境目は政治によって判断されると普通に論じられる事柄に類似する。社会的・政治的に琉球・沖縄方言は十分言語として認知されうるのである。独立言語としてーーー、それが世界基準の認識であり、日本の中央の研究者もそれを無視できない現状だという事が見てとれる。それからして沖縄側の言語・琉球文学の研究者たちの時代遅れのセンスが痛々しくなるばかりである!

嘉数道彦さんの問題ではなく、彼の指導者の認識の問題だという事がわかった。

以下は別ブログにUPしたものだが、関連するので貼り付けた。木部さんの素敵な宣言も続けるね。

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2011年7月5日(火)
やはりおかしい組踊=首里方言?
琉球王府時代にできた組踊は首里方言では決してなかった。伊波普猷は首里方言と定義しているだろうか?芸大の先生方や国立劇場おきなわの専門部門の方々の認識は時代にそぐわないのではなかろうか?


ユネスコが組踊を世界の無形文化遺産と登録した。同じユネスコは琉球諸語を危機言語と認定した。琉球語の中でも首里語が詞章の中心だと考えているのだが、それは方言と言えるのだろうか?王府時代に方言?

今頃言語学が興味深く迫ってくる。組踊の詞章は琉球語。その中心は首里語。首里方言ではない。1879年以降の大和を中心とした視点から方言と表記する大学知識人の姿勢は政治的コローニアルなシステムを内在的に内から保管する知性・知識に見えなくもない?

今まで方言表記に何ら疑問を持たなかったのだが、世界の似たような状況を鏡に照らしてみると、何と、方言ではなく独立した言語だった。目からうろこ?!

琉球語として表記しよう?あるいは沖縄語(ウチナーグチ)。
しまくとぅばでもなくーーー。世界中にしまくとぅばは存在する。しかし琉球語や沖縄語は琉球弧が主体。

大学の素敵な言語学や琉球文学の先生方の認識も180度転換してもいいのでは?などと思うのだが、方言派はあくまで日本の中の沖縄のスタンスに拘泥する姿勢にも見えなくもない?!国内植民地沖縄を容認するお立場?

何やらこの間の倒錯していたもの、例えば方言札の問題とか、生きるために懸命に日本人になる努力をしてきた。同化の嵐の時を経ての現在、かつて窄められていた言語を取り戻す闘いが始まっている。

独自性は言語の独自性を自ら認めていく方向性が必要かと?!

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木部さんの勇気は以下の文章にみなぎっている。彼女の笑顔が浮かんでくる。「そうだったのですか木部さん!多言語社会研究会を主催している原 聖さんのお顔も浮かんでくる!お二人は鹿児島大学のケルトのシンポジウムでご一緒だったのだ!鹿児島大の梁川さんは仕掛け人だったけれども、木部さんたちは鹿児島県内の喜界島の調査もやられていたのである。」こうして知のネットワークがなされている、という現場に立ち会っていたかと、今は思う。

「ーーー日本語と琉球語のあいだにみる相互理解度を欠くほどのおおきな相違にもかかわらず、少なくとも1972年の復帰の年までは、「琉球語」という名称は琉球列島を日本本土から遠ざける名称として、地元においてこのまれる名称ではなかった。したがって筆者もそれを尊重してかつてはこれを「琉球方言」と呼んでいた。祖国復帰が実現し、アメリカの軍政が終わり、高いレベルの地方自治と経済的な安定とがもたらさられた現在では、特定の政治勢力に利用されることなく、また差別的な語感を伴うこともなく、はじめて日本のなかで琉球列島の固有のながい歴史と文化、言語の独自性を安心して主張できる条件が生まれたので、琉球列島の住民をふくめ日本国民全体にこの点の注意を喚起したいため、筆者の信じる言語学的常識にしたがって、日本の大方の国語学者、方言学者の習慣に反して筆者は今は【琉球語】と呼ぶことに変えているのである。」
 おそらくかなりの決断だっただろうと推測できる。

新しい波のうねりが始まっているのである!ユネスコが後押したのも確かだ!世界基準への移行にも見える。そしてやはり同じテーマで色々調べていて分かったのは、琉球諸語が同列ではなかったという事である。折衷主義のように、「しまくとくば」条令というわけのわからない条文になったことも分かった。誰がその条例の作成に当たったか?池宮正治、波照間永吉、狩俣茂久、宮平信詳の名前がある。

沖縄県立芸大のカリキュラムに以下の講座がある。

詞章研究Ⅱ
受講対象
 琉球芸能専攻2年次

 詞章研究Iで蓄積した知識を生かして組踊詞章の発音についての知識の体得と解釈研究の方法についての知識の習得を目指す。そのため本講義では、1.組踊詞章の発音に関する基礎知識習得と実践、2.組踊詞章の語釈・注釈・鑑賞についての学習と実践を行う。
 組踊の詞章は琉球語のうちの首里方言を基本としており、琉球語全般および首里方言に対する知識が必須であると同時に、組踊詞章の伝統的表記法とその発音についても正確な知識を習得する必要がある。したがって本講義の最初の部分ではこれについての学習を展開する。その後で組踊テキストに即しながら前記の学習の成果を具体的に確認・習得していく。講義の後半では、組踊テキストを自ら読み、詞章について語釈・注釈を加え、鑑賞ができるよう取り組む。したがって、後半の講義は受講者の発表を中心に展開されることとなる。
 通年の講義のうち、初回から前期終了までは組踊詞章概説として、琉球古典語の表記と発音(音韻)について学ぶとともに語釈・注釈の基礎的方法について説いていく。この段階では詞章研究Iで学んだ琉歌の発音についての知識が必須である。また、沖縄古語辞典、方言辞典、国語辞典など各種辞典の活用法、および沖縄古語文法についての知識なども既得の知識となっているべきであり、その上に立っての講義となる。
 後期の講義では、前期の学習の成果の上に立って受講者自ら組踊詞章の一部を正確に発音し、その発音の根拠についての言語学的説明をなす。また、詞章を構成する各語について用例を探索するとともに、各種辞典を使って綿密な語釈をほどこして詞章の正確な注釈を施す作業を行う。さらに解釈・鑑賞の段階にまで進めるように努める。受講者はこれらについて事前にプリントを作成して行うものとする。
 なお、組踊の舞台となった現場を訪ねる学外での実習も年度末に設定する予定である。
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ここでよくわからないのは琉球語の中に方言があるということである。琉球語は多くの方言の集合体なのだろうか?それが私にはよくわからない。日本語は多くの方言の集合体?東京方言があるということになる。非営利団体の国際SILが出版しているエスノローグによると、2009年、中央沖縄語(Okinawan, Central)をはじめとして国頭語、宮古語、八重山語、奄美語、与那国語が独立言語として記されている。2007年には中央沖縄語の下位区分の方言としてみなされていたのが国頭語などの言語である。時代の推移と共にコンセプトの変容も伺われる。しかし疑問は伊波普猷が組踊=琉球語として規定していた定義が現在に至って芸大の波照間さんは組踊=首里方言にしていることである。正確には琉球語のうちの首里方言、しかし王府時代にはその首里語が中央言語ではなかったのか?

東京方言が日本共通語といういい方も聞かれたりするが、首里方言が沖縄共通語かどうか?方言と言語の境界は曖昧で政治的に判断されると言われるが、組踊の詞章は首里方言になぜか違和感を抱いたままである。方言?琉球方言はなく琉球語があるとして、そこにはまた首里語があるのではないだろうか?

方言と呼ぶことによって言語を卑下しているような印象を受けるのはなぜだろう。ちなみに国立劇場おきなわが出した最近のユネスコ無形文化遺産「組踊」Kumi Uduiの冊子の中でも【琉球方言】という表記がある。その冊子の中で島袋光晴さんは決して方言ということばを使わず「ウチナーグチ」とお話する。一方、赤嶺正一さんは「方言の面白さやーー」と方言と話されている。両氏の中のことばに対する相違が感じられる。つまりユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載された組踊の保持者の中でも言語認識に違いがあり、その冊子を編集した企画制作課のブレインもまたその監修にあたったであろう大城學さんも琉球方言という表記にこだわらない方だという事が見えてくる。(つまり琉球語ではなく琉球方言でいい、という認識である。ユネスコの認識から遠いのである!)

時代の流れは方言から言語へと移動している。でも中心になる知識人のみなさんが方言意識のままであるという事実が、沖縄が世界基準の言語認識に疎いという事を示しているようで胃が痛くなる思いがする。

まだなぜ琉球語の首里方言なのか、は曖昧なままである。別に琉球語であり、首里言語や首里語(しゅりことば・くとぅば)でいいのでは?あえて首里方言にする必要があるのだろうか?ただ私はこの間系統的に言語学を学んできたものではない。沖縄の演劇(組踊、沖縄芝居、現代演劇)を世界の演劇と比較検証している中で感じた疑問を投げかけているにすぎない。納得のいく回答が得られたらと思う。




<木部暢子さんの足元に及ばないが、亀のようにコツコツこの社会に何らかの研究の実りをもたらすことを念じてやまない。お隣はイギリスのウェールズから来られた方で後方に原先生が英語とフランス語で対談を楽しまれている。氏は今は中国語に挑戦されさらに台湾の少数言語も習得されているとお聞きした!「ケルトの水脈」という本も出版されている!優れた方々の傍に座るといつも【お前は何しているの】と突き刺されている。されど?>


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-12-09 00:17:59
木場ではなく、木部です。。。
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