志情(しなさき)の海へ

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上里和美さんの慧眼は首里城の大龍柱問題を提起し、神女は前向きだと明言!しかし家父長制の残滓を生きる琉球歴史家(?)は史料主義の欠陥を表出!?

2020-11-15 07:22:03 | 沖縄の過去・現在・未来
(今朝の琉球新報一面)
これはおかしいと異議申し立てをした彫刻家の西村先生や上里和美さん、そして衝撃的な写真の登場!後田多敦さんの快挙!高良倉吉さんを中軸とする琉球歴史研究者メンバー、「大龍柱向い合わせ」派の敗北決定でしょうか?一般庶民の感性は「正面向き」ではないでしょうか?向い合わせには未来が見えてきませんね。前に向いて開かれるべき大龍柱です。住民投票をしたら結果は明らかでしょうけれど~。この際すばらしい研究者が頑固だと、那覇市や県議会で議決するとか、あるいは署名活動もいいですね。

先月神女の女性と第32軍司令壕の入り口で彼女の祈りと唄三線に同行しました。向かい合わせの龍は、またこの城が倒れることになるね。龍は前向きだよ、の明言に「かみんちゅ」の声を無視してはいけないと思った次第です。しかし高良倉吉さんを始めとする琉球歴史研究家の面々(大御所?)のみなさんの偏狭さが逆に浮かび上がってきますね。史料重視研究の欠陥が見えてきました。実感を伴わない研究は問題があるということですね。最も神奈川大学の非文字資料研センター教授の後田多さんも琉球史の研究者ですが、ノロの研究でも優れた書籍をすでに発行されている方。その辺が高良さん周辺の研究者との違いでしょうか。非文字資料は昨今注目です。研究は全方位で立体的でなければならないのだということですね。支配層や常に時の権威の中に取り込まれていた史料編集者が残した文献への切り込みが必要ということになるのですが、歴史の新たな解釈は進行形で、新しい史料の発見がないと「なんとも言えない」の姿勢は濃厚です。おそらく歴史研究も新たな枠組み(フレーム)が絶えず問われているのでしょう。それはどの研究でも同じかと思います。さらにその史料の中身を時代の世相や周辺国家の動向も含めた比較研究が必要で、沖縄の研究者のその比較研究の薄さが露呈されています。

https://core.ac.uk/download/pdf/59153214.pdf ←西村貞雄先生の論文「首里城正殿・大龍柱の「向き」について  
とても詳細に論じています!この論文を読めば、まぎれもなく前向きだと分かります。それを了承しない高良倉吉さんや安里進さんの見識が疑わしくなります。他の歴史研究家の皆さんも同じだとすると、情けない沖縄の歴史研究専門家ですね。


先日ベトナム語を教えている那須 泉先生と話していた時、先生が東南アジアの龍はほとんどが前向きですよね、と話していて、驚きました。カンボジアやラオス、ベトナム、タイなど、もちろん台湾や中国の龍はどこを向いているのでしょうか?インドやマレーシアなどは行ったことがあったのですが、イスラム圏の色合いの強い国々ですので龍は見た覚えがありません。でも那須先生が指摘された国々は中国との関係が歴史的に長いので、龍柱が建っている可能性は大きいですね。沖縄県は是非調査してほしいです。

琉球史研究者に女性が少なく、これらの研究者に指導を受けた若い研究者(前田さんなど)もまた影響を受けているかと思うと残念ですが~。

 写真

 版画

 書籍

これは写真から作成された版画なんですね。写真とそっくりです。首里城正殿が大きく見えます。『青い目が見た「大琉球」』の書籍の中にすでに収録されていて発行が1987年です。当時、関係者の方々はなぜその版画をもっと追求しなかったのでしょうか?特別正殿の大龍柱に深く関心を持っていたわけではないのですが、西村先生の新聞への寄稿から関心を持っています。それと神女に誘われて龍潭池の近くの第32軍司令壕に同行してからです。それと上里和美さんと電話で少しお話したことも~。

今回、史料そのものが事実を伝えるわけではないこと、史料に基づく研究の陥穽が見えてきました。史料が実態をそのまま伝えるわけではないと認識したのですが、そこにもまた陥穽があるでしょうか?写真は実態に近いですね。絵画もある程度近いのだと言えるのでしょう。写真がなかった歴の中では洞窟でも人類はスケッチや絵画で記録を残しています。描写も時代により変動しています。より精密(リアル)になってきたと言えるのでしょう。絵画史【美術史】、あらためて意識させられます。

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