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演劇に見る沖縄・復帰50年現代演劇集in なはーと、梅雨入りの中でも盛況に見えました!続く

2022-05-05 23:57:57 | 沖縄演劇
5月4日に梅雨に入り、雨の中、でも4日、5日の劇団ビーチロック演劇公演「オキナワ・シンデレラ・ブルース」は盛況に幕を閉じただろうか。5日の朝11時、二回目の公演を観た。

シンデレラ物語、父親思いのルコが階段を登っていく先の芸能界。音楽喫茶のブルースシンガーキング知念(Hitoshi)とサックス奏者ケニー与那嶺(Arita)の演奏と歌がいい。復帰後1年目の沖縄。本土は27年ぶりにアメリカ統治から解放された沖縄ブームだ。芸能界は未来のスーパースターの開拓に沖縄に目をつけた。ドタバタ劇のような演出。細やかさがほしいが、どこかそれでいいと開き直っているような演技が、笑わせる。意外とペーソスに冨む笑劇。

(しかし会場は構えて観劇しているのだろうか、笑いはさほど起こらなかった。岸本さんの借金取り佐喜真の演技からしてオーバーアクションで笑えたし、気弱に見えるルコの父親玉城エイジ(田島龍)との対比でも笑えたが、たぶんに演出は笑いを取るつもりで、会場は笑わなかった気もする。)追記

復帰をはさんで変わる元劇場(オーナー)と仲間たちは、「素晴らしい世界」の曲が流れる中、現在形の時を未来を生き抜く。

アフタートーク:両親が沖縄出身で大阪大正区で育った若者が自分は何ものか、探すために沖縄にやってきたりする。「そのエピソードを脚本に生かした」と、作・演出の新井章仁は語った。

演技はドタバタの泥臭さ、こなれた洗練された演技には見えない。古堅晋臣やジョーイ大鷲、仲間千尋、東克明、岸本尚安、山内そうけんなど、メリハリはまぁ良かった。演出家がどれほど、細やかに表出するか、問われているようだ。舞台美術もシンプルで垢抜けしないが、それで1973年の雰囲気は出せているのかもしれない。お尻の出し方など、漫画チックでお笑いを狙った舞台演出でもある。

復帰そのものを問いかけるわけではない。既成事実としての復帰後一年目の玉城家、亜熱帯Barの物語である。(復帰後に起こった象徴的な出来事が芸能の島沖縄から中央のスターダムへのスカウトだった。その目のつけどころはいいね。)追記。

冒頭の玉城ルコの語りの中で、私は「戦争を食べて育った」などの台詞はドキッとさせられた。新井さんの台詞で他には「リコは商品ではない」などがある。「人であって商品」という芸能界の紛れもないリアルも台詞に反映されている。

台本で曖昧なところは、家を出て行った母親の辛辣な台詞の中で、「ルコの本当の父親がベトナムに行くことを忌避するために犯罪を犯した」は、もっと説明が欲しかった。ルコは米兵と母親多香美との間に生まれた娘なのだろうか、と想像したりしたが、ルコがハーフだという台詞はなかった。ルコが母親にではなく父親に愛情を抱いていること、父親と娘の絆が興味深い。沖縄は母系の密着感が強いイメージが強いので~。一方、家父長制で家譜(系図)など男から男へと継承されている。

(台本を読んでいないのでこちらの誤解は指摘してほしい。)追記。

映像による戦後の移り変わりなど、興味深かった。この脚本の目玉が戦後の芝居小屋の推移を基にしていること、大阪から沖縄に移住した新井の新鮮な驚きと発見、第三者の眼をとおして語られる戦後史が切り取られている。また脚本の中に沖縄の戦後が終わらないこと、戦争に戦争に戦争のイメージを新井が強烈にインプットされていることがわかる。

沖縄から東京へ、芸能プロダクションが金の卵をもとめて島にやってきた。そして島で一途に父親を愛して生きている15歳の少女に白矢が向けられた。負け組に見える父親とかつての芝居仲間はなんとか時代を這い上がろうとするが、負け組だ。いつでもルコの応援隊で時代に乗り遅れている。しかし~、生きているだけですばらしい世界なのだ、と新井は言いたいのかもしれない。

脚本の中のある種、エキスのようなことばが脳裏に刺さっている。新井は演出を他の才能にまかせてみたらどうだろう。東京の有名な演出家の舞台を今私たちは見慣れてきている。どうしても比較してしまう。沖縄ならではの感性がどう、オリジナルな味を出せるか、問われているようだ。主役の仲間千尋は15,6歳の少女の純な感性を演じきった。もっと歌やダンスが~と、安室奈美恵を想像したくなったが~。(最も安室奈美恵は1990年代の登場だから、南 沙織が近いイメージかもしれない)追記。



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