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同じ舞台公演「創作舞踊と新作組踊」のReview(批評&報告記事)の比較をしてみよう。沖縄タイムス&琉球新報

2021-04-21 01:32:08 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他
               (菜園のパクチーの花!)
沖縄タイムス(4月9日)、琉球新報(4月14日)。タイムスは創作舞踊を強調し、新報は新作組踊に焦点を置いている。紙面の構成やコンテントも興味深いが、こちらの関心は新作組踊「塩売」への舞台の最大の欠陥について言及しているかどうか、だった。この間も両新聞は組踊保持者の台詞のトチリに触れることはなかったのだろうか。さて作者伊良波賢弥さんの「新作組踊「塩売」を書いて」のエッセイが沖縄タイムスに20日掲載されました。追記舞台の欠陥、弱点について言及することがなかったのなら、単に報告記事にしても片手落ちになります。
まず実際の記事を見ながら比較してみよう。

この芸能記事を見ると、芸能担当記者が強調したいことは、「独創的な琉舞に喝采」とあるように真境名流の喜屋武愛香さんの創作大賞に輝いた「若衆鯉」と同じく真境名系統の真境名由佳子さんを写真でも大きく取り上げています。強調したいのは創作舞踊であって、新作組踊ではないことが一目瞭然です。見出しも「新作組踊塩売を初上演」とあるので、再演でさらに中身が充実することを暗に指摘しているのかもしれないのですが、紙面の最後に最もこの舞台公演で耳目を惹きつけた鳥小里之子(かつての放蕩息子)を演じた上原崇弘のことばを紹介しています。それは妥当でしょう。上原は琉球歌劇にもよく出演し、真摯に芸道を突き進んでいる芸能者です。何より舞台へのコミットメントがいいですね。本来なら上原の登場の前に重要な役柄として登場する島の神司の金城美枝子さん(扇寿会家元、国指定琉球舞踊保持者)にもっとスポットがあたっても良かったのですが、それは取り上げられていません。彼女が舞台に傷をつけたからに他なりません。少々長い台詞を完璧に覚えて唱えることができなかったのです。背景幕でプロンプターが声をだしていることが会場まで聞こえてきたのは興醒めでした。

再演によって初演の不完全さを埋め合わせる舞台を是非今年また上演してほしいものです。
次に琉球新報の記事を見てみましょう。沖縄タイムスの記事から5日後の掲載になっています。私はブログで印象批評を3月28日にはUPしました。



新報の芸能担当記者藤村謙吾がこのブログの印象批評を読んだかどうかは分からないが、(おそらく読んでいる)藤村はうまく創作舞踊大賞と新作組踊「塩売」に絞って作品の中身を丁寧に紹介している。地謡の新垣俊道や演出、原作者の伊良波賢弥にもインタビューしたことが分かる記事になっている。調査ジャーナル記事にはなっているがこれは演劇批評にはなっていません。

藤村はあらすじを紹介し、『華風』のパンフレットにも記載されていなかった情報を開示しています。解説の崎原綾乃が触れなかったディテールを埋めています。なぜ崎原は台詞や歌についてもっと細かく解説しなかったのだろうか。八重山民謡が最後に舞台を盛り上げる構成になっているゆえにもっと歌について触れるべきでした。新しい作曲がなされている事も紹介されていません。ここで藤村がいろいろ直にインタビューをして新しい知見として記事を書いたのは記者としての努力の痕跡は好ましいです。

新垣俊道がメロディーを作った「塩売の口上」も初耳で、「鷲ユンタ」についてもどこにも紹介されていなかったゆえに参考になりました。最後に作者の伊良波賢弥の感想を紹介しています。この作品について論文を書くならば事細かく関係者全員のインタビューをする必要があるでしょう。またそれについて批評を依頼されたわけでもないので、個人としては情報源は直に見た舞台とパンフだけです。また舞台を見た後二人の方に意見を聴いただけです。二人ともまずは金城美枝子さんの台詞のトチリを口にしていました。かなり手厳しい批評でした。普段家元として舞踊の達者な方だけに、組踊の長台詞のとちりに対しての見方は厳しいものになっています。

しかし、沖縄タイムスも琉球新報もなぜ彼女が台詞を十分にこなすことができなかったのか、その理由を追求していません。芸能者としての老いと記憶の問題もあるかもしれません。この間新作組踊では金城さんは見事に舞台を制していました。主人公として凛々しく立ってきた方です。それだけになお、なぜかと気になっています。

また演出の嘉数道彦さんは金城さんの体調を配慮しながら稽古を続けてきたと思うのですが、なぜその結果になったのか、コメントがほしいものです。演出として最善の舞台を目指してきたはずです。昨今の嘉数さんの舞台演出に雑なものを感じています。若者中心の舞台、いつものメンバーとの舞台創作には雑は少ないようだが~。そこに批評の視点が弱くなる傾向はあるのかもしれません。しかし本番の落ち度はやはりチケット代金を返せといいたくなります。稽古やゲネレベルの舞台をお金をとって見せるのですから問題はないのでしょうか。準備万端でいい本番を見せる立ち役者の覚悟の舞台であってほしいものです。
 (こちらの知見の及ばない所で事実なり真実を知っている方は誤謬がありましたらご指摘ください。)

さて、今日20日に再び沖縄タイムスは新作組踊にコミットした関連エッセイを掲載しています。あえて作者の伊良波賢弥さんの創作に至る経過と思いを当人に発表させる形を取っています。新報が14日に原作者に注目してコメントを掲載していますから、それから作者に依頼して20日の火曜日に掲載に至ったことは推測できます。6日間の猶予がありますので~。当初から伊良波さんにエッセイを依頼したわけではないでしょう。4月9日に報告記事を書いて11日間後になりますから~。これは当初の記事だけでは心もとないと判断したからでしょうか。わたしの印象批評では伊良波さんの創作の斬新さを評価しました。知的に練られています。文面は謙虚な性格がにじみ出ているのですが、確か小渡和道さんとも懇意にしている方のようで、「今後さらに新しい組踊の創作に取り組むようですよ」とメールで伝えていました。それは新しい風で、好ましいことだと思った次第です。


 創作の経緯が分かっていいですね。作者がどのように創作に向き合ってきたかを知ることは舞台を見る側の知見も深まります。「京劇でも能楽でもオペラでもなく、また沖縄芝居とも異なった琉球らしい組踊を追求していきたい」との最後のことばには、昨今の新作組踊が沖縄芝居的だとの感想があるのかもしれませんね。2004年に国立劇場おきなわが開場して以来、新作組踊は主に大城立裕氏の作品が多いですね。25作品(?)です。そして若い嘉数道彦さんの作品が昨今上演されています。お二人の作風とも異なるテーマや様式を追求したいという決意にも取れます。八重山の言葉を脚本に取り入れていたとの発言は興味深いです。従来の首里那覇言葉中心の組踊に地方の個性を加味したいという意志ですね。多良間で唯一創作された鬼虎が登場する 組踊「忠臣仲宗根豊見親組」は最も好きな作品ですが、戯曲は首里語がメインだと考えていましたが、そこに多良間のことばがどれだけ包摂されているか、台本が読みたくなりました。
 地方のことばがどれだけ取り入れられるか、ですね。首里語主体の伝統組踊、中には現代語も登場する新作組踊です。

一方で「塩売」の斬新さは、新しい世界観が展開されていることです。面白いと思ったのは、すでに前に書いたのだが、主人公の鳥小里之子が現代いろいろと焦点になっている「引きこもり」の青年に思えたことと、お仕置きのように島流しされた島での生活は活気があり、死後の父親との対面で島の人々の生活の苦境を訴え、祭りの再開を依頼し、自らは世界の安寧のために飛び回るのだと語っています。もちろん作者がそう語らせているのですが、この間の新作組踊になかった視点です。世界観が拓かれているのです。閉ざされていないことが魅力です。そしてここでは死が必ずしも悲観的に描かれていません。島の人々のために心を尽くした若者は、霊となって凛々しく塩売として登場し、自我を超えて民人をいたわり、良き社会になることを念じているのです。リアルな世界での父親の悲嘆を超えていくのはいいですね。新しい死生観とも言えるでしょう。

 しかしその最後の父と息子の再開の幻想(幻影)もそれは神司による島での鳥小里之子の生活の有り様を通して浮き上がってきます。また大津波の到来にいたっては島人に危機を伝え皆を助けるために懸命に立ち回った捨て身の姿が投影されています。死者は現世の現身をまた生きていることになります。脚本《戯曲》を読んで、今一度、中身について、言葉の表出も含めて考えてみたいものです。舞台を一度みただけですから~。

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