志情(しなさき)の海へ

琉球弧の潮風に吹かれこの地を掘ると世界と繋がるに違いない。世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

たまたまAmazonで「二重生活」の映像を一昨日の深夜見たのでした!それでソフィ・カリです!

2018-03-23 05:28:01 | 映画

            (放心したように咲きほころぶハイビスカス)

以前、オタクの言葉が出始めた頃のことが思い出されました。そしてストーカーです。他者を追いかける現象が、個人の執着・怨念・復讐のような感情ではなく、単に他者との出会いを求めて、追うという行為と表象が興味深いと思いました!意外と研究者(人文・社会学)は追いかけているのですよね。

研究もオタクだよね、が以前学生が発表した「オタク」の中からの発見で、オタクの言葉は最近、見えなくなりましたね。市民権を得たのですね。何かに取り付かれることは趣味でもスポーツでも同じなんですね。人は多かれ少なかれ、それぞれの趣向で生きているので、それぞれの人生の目的なり思念、実存する場におけるサバイバルの論理〈感性・知性・常識)が生きているのでしょうか。

他者を追いかけることが、例えば作家論や伝記、ある事象の追跡であれ、総ては人間と社会そのもの(現象と貫かれたシステムや論理)への関心であり、究明したいというパッションが底にある場合と、それがジャーナリストにとっては事象を追求し、利益を得る手段になるのですね。表現なり表出をするという行為は誰でも存在そのものの闘いが表現であり表出を伴う行為と重なるわけで、特別それらを切り取って表現する・表出行為が客観的に作品として浮上していくか否かは境界が昨今は曖昧になっていますね。その曖昧さの面白さがあるのは確かです。何かを追求する行為はラベルによる研究者(大学や企業や研究所)だけのものではなくなっている流動体〈流動性)が、表現・表出の場がネットで押し広げられた現在ですので、それも裾野は広がっているのですね。誰でもが表現・表出主体になれるという可能性があり、そこから突出した時代のエキスとしての作品なり研究の美がどう登場してくるか、はまた既成の価値体系もそこにしかしあり続けるということも事実ですね。

意外性と新しい視点なり思念なりの登場が常に追及されているのですね。科学技術の発見と進展同様に次への絶えることのない希求のエネルギー。地球、宇宙のダイナミズムの中の定点(ある場)で生きている私たち?

「二重生活」は関係性のテーマに見えました。他者の生活を覗き見る行為は多かれ少なかれ日常的に行っている行為でもあるのですね。膨大なメディアや表出された媒体を通しても。リアルと真実なり幻想の境界に佇みながら時間を歩いているあるいは泳いでいる私たちでもあるのですね。

ある女性なり男性の人生を相対化しようとする時、その生きた時代が迫ってくるのは事実で、個人の人生を追求することがいかに安易に見えて難しいかを今実感しているところです。

「人のお尻を追いかけるな、事象を追いかけるな、追いかけて何になるの」と批判している御仁もいますがー。


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