志情(しなさき)の海へ

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山城知佳子&七里圭作品「土の人」「あなたはわたしじゃない」そして吉増剛造アフタートーク、良かったです!

2018-06-09 10:20:06 | 表象文化/表象文化研究会

最も驚いたのは詩人&俳優中里友豪さんの大きな目玉であり、台詞です!七里さんの作品は映像詩ですね。もはや哲学的な謎解きで語りを読み解いていくこと、映像だけではなく、重なる時間の読み解きが長編詩で、最後疲れました。映像と語り、意味性が難渋(何重)に押寄せる感じです。「土の人」は沖縄戦から辺野古まで、貫かれた島の歴史と現在のパラダイムがそこに韓国の沖縄(済州島)を重ねた作風です。きらびやかな映像イメージに戦争&現況ですね。

           

(肖像権がありますので、宣伝のつもりですが、問題がありましたらいつでも削除いたします!         

吉増さんとのトークはなるほどでした。お二人の作品の中に登場する知人への言及が先でしたね。中里さんは腎臓移植の手術などの後で消息をあまりお聴きしなかったのですが、このような凄みのある、映像の中でメインキャラを演じていたのですね。土の人です。「土の人」の今まで見たことのない百合畑で人間の両手が飛び出して拍手する場面は驚きでした。写真では分からない映像の魅力がありますね。作風は多言語のエコーでポリフォニーになっていて、それでいて土の人です。土の人たちは「土人」と機動隊に呼び捨てにされた目取真 俊さんがいて、土着の人々、土とともに生き死にを繰返していく民衆のイメージです。彼らが背後に戦争を重く引きずっているという事実を描いているのですね。山城さんの中で現実を見る眼差しの中に戦争を引きずっているという事実に、驚いたのは事実です。

字幕に吉増さん少し言及していましたね。字幕はもっと突き詰めたいですね。音が喚起するイメージがあり、音から意味性もやってくる感じはありますね。韓国のことばのリズムもすんなり入ってきます。

彼女の作品のほとんどは見ているつもりですが、パフォーマンスに戦争の影が出没していますね。

最近、観光客向けの「ナンバーバル」パフォーマンスが盛んになってきた沖縄ですが、ことばの持つ力を払拭できないですよね。彼らも琉球音楽を使っていますね。音楽のもつリズムとことばは無視できませんね。身体表現や音楽は、マイムにしてもそのまま伝達言語、イメージ言語でユニバーサルですね。

映画館から出て吉増さんにご挨拶して詩人の矢口さんとも少しお話しました。吉増さんは「彼女いい才能だね」とお話していて、「まだ未完成の部分もあるね」だったか「作品がまだ粗雑の部分があるね」のニュアンスだったかもしれないが、そのようなことを付け加えていました。ワタシは「才能がキラキラしていますね。吉増さんは全身芸術なんですね」などと言葉にしていました。以前氏の朗読を拝聴し、奥様のマリリアさんの舞踊を見たことがあり、確か批評を新聞に書いたような覚えがあります。詩集は何冊かは読んだのですが、昨今丁寧に読んでいるわけではないので~。全身アーティストの吉増さんは詩だけではなく、声の創作(朗読)、写真、銅版版画、多くの対談など、移動を繰返しながら、かつ読書家なんですね。以前那覇の拙宅にこられた時、たくさんの付箋のついた本を手元にもっていました。

そういえば、「沖縄は意外とマッチョだから山城さんが女性であることはいいね」と話した時、吉増さんは「そうだね」と相槌を打っていました。

昔の吟遊詩人はパフォーマーだったのですね。だから山城さんが吉増さんに惹かれる気持ち、憧憬しているような眼差しを感じたのですが、パフォーマーでありことばの繊細さを大事にし、かつビジュアルイメージが強烈です。普段着なり常識的な生活習慣なりコンセプトを覆すような衝撃を写真や映像でこれでもか、と繰出しているように見えて、脈打っている歴史、戦争、傷が貌を出すのですね。

つまりこの時空、昨今は東アジアが根拠になりつつあるのですね。しかしこなたはかなたと、かなたはこなたと繋がっている世界です。人類の共通の歴史認識/感性が流れていますね。

「あなたはわたしじゃない」は再度見たいですね。母と娘の葛藤に見えたのですが、それだけではない自然と人間、創造/想像もイメージとしては膨らんできます。映像詩の魅力ですね!








 

『キッチャキ中里友豪』詩集


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