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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

名古屋 城東園

2011年08月13日 13時30分00秒 | ◇愛知
名古屋では名楽園に次ぐ規模。
名古屋城の東に位置するため、この呼称がついたという。
昭和30年ごろ、業者数156、従業婦数360


入口付近のカーブがカフェーらしい装い。和風の建物を改築したものだろうか。


4つの独立した建物が並んでいるようで、じつは全部がつながっている。
名楽園のような豪壮さはないものの、そのスケールの大きさには驚かされる。

 
小豆色のタイルが見える。城東園にはタイル張りの意匠が少ない印象。
そういう建物がもともと少なかったのか、いち早く取り壊されてしまったのかは不明。

 
カフェー風の建物。何かモチーフがあるのか、大胆な装飾がおもしろい。


転業旅館とおぼしき物件。玄関の軒下には「旅館千尋」の木製看板が掛かっている。
唐破風を構成する凝った瓦や、二階軒下に残された大きな電球も見逃せない。

 
渋い色合いのモルタルと石タイル。玄関脇には「二十歳未満お断り」のプレートがあった。


隣が空き地になっているのが幸いして、建物の全体が一目瞭然。
この間口にしてこの奥行き。しかも三階まであるようだ。


「米喜」と書かれた看板が残る建物。石材のすき間に塗られた赤色が妙に生々しい。

豊川 圓福荘

2011年08月13日 10時30分00秒 | ◇愛知
豊川市にあった遊里。規模は小さかったようだ。
昭和30年、業者数20、従業婦数87


赤い壁がひときわ目を引く遺構。
近年まで右下の置き石のあたりに「圓福荘」と書かれた石柱が立っていたはずだが、
残念ながら撤去されてしまったらしい。


どぎついほどの赤色を緩和するかのように、ベージュ系のタイルが縞模様を描く。
玄関脇の装飾窓は、釣鐘をかたどったものだろうか。


料理店の鑑札が残っている。


裏側から一枚。派手な表と対照的な、質素なたたずまい。


もう一軒の遺構。かなりリフォームされているが、窓や欄干の造りに特徴が見られる。
この建物にも「圓福荘」の石柱があったはずだが、同様に撤去された模様。


玄関まわりに注目すると、軒下の装飾や通路の赤塗りにそれらしい雰囲気が残っている。

蒲郡 歓楽荘

2011年07月30日 17時30分00秒 | ◇愛知
三河湾、竹島、蒲郡温泉に近在したカフェー街。
場所柄、観光客向けの遊里だったと思われるが、詳細はわからず。
昭和30年、業者数10、従業婦数27

インターネットで仕入れた情報によると、以前は蒲郡駅南口前に大きな娼楼が
5~6軒建っていたそうだが、その後取り壊されてしまったらしい。
しかし周辺にまだ何か残っているかもしれないと思い、本日の締めくくりに探索してみた。


明らかに普通の住宅ではない和風建築。しかし、遺構と断定できるほどの決定打はない。

 
入口が2つある小料理店。20歳未満お断りのプレートは三谷観楽荘のものと同一。


一見なんの変哲もない砂利道だが、入口に埋め込まれた石が意味ありげ(車止め?)。


砂利道に入ってみると、突然こんなパブが現れた。
入口が閉ざされ、すでに廃業状態とはいえ、どうしてこんな路地にという驚きが大きい。

 
同じ路地にあった木造平屋。玄関には割烹旅館の看板が。
上記のパブ同様、路地裏という言葉さえそぐわない立地。やはりそういう場所だったのか。


広い道(国道23号線)に面したところにも雰囲気のある物件が残っている。
凝った桟や出格子は妓楼を思わせるが、こんな街道筋に堂々と妓楼があるものか疑問。

三谷 歓楽荘

2011年07月30日 16時00分00秒 | ◇愛知
三河湾、三谷温泉の近くに存在したカフェー街。
温泉客をあて込んだ遊里と思われるものの、資料が乏しく、詳しいなりたちは不明。
昭和30年、業者数10、従業婦数29

 
不自然に広い横道(車両通り抜け不能)に面した小料理屋。
玄関に20歳未満お断りのプレートがあった。18歳ではなく20歳というのはめずらしい?


この界隈でもっとも雰囲気の感じられる割烹旅館。複雑な構造をしている。
赤紅色と肌色に塗り分けられた壁や、玄関脇の丸窓と角窓の組み合わせが目を引く。

 
左の路地へ入ると、門柱にプレートが。こちらは18歳未満お断りになっている。


リフォームされた邸宅に残されていた装飾。

 
ちょっと見は一般住宅のようだが、二階の欄干に彫り抜きの細工を発見。
ところが、彫り抜きの柄が妙に子どもっぽい。木の材質も微妙で、証拠とはいえないか。


玄関はタイル張り。薄い青系統の色調でまとめられたスタイリッシュな外装。

どういうわけか、この町は、遊里特有の妖しいオーラがほとんど感じられない。
花街色の強い町だったのだろうか。
あるいは、八幡園と名楽園で濃厚な空気を吸ってきて、感覚が麻痺しているのか。
いずれにしても、もう少し調べてみる必要がある。

素盞男神社

2011年07月30日 14時05分00秒 | ◇愛知
中村遊廓ゆかりの神社。読みは「すさのお」。




中村一の大楼、四海波の名が刻まれた玉垣。


ここにも四海波の名前が。旅行会社に転業したようだ。

 
和合楼の玉垣。


少し読みにくいが、灯籠の石柱に「中村樓 林久五郎」とある。

名古屋 名楽園 ~拾遺編~

2011年07月30日 14時00分00秒 | ◇愛知
中村遊廓やその周辺などを、落ち穂拾い的に掲載。


大門(南側)。信号の名前も「大門」。


大門(北側)。南側とデザインが若干異なっている。


ポルノ映画館「中村映劇」。遊廓の南東入口あたりにある。


こんな路地にソープランドの裏入口が。表がスーパーと向き合う立地ゆえの配慮か。


遊廓の西側に位置する「寿湯」。銭湯は遊廓に欠かせない存在だ。


長寿庵(旧・千尋)の入隅に置かれている鬼瓦。昔使われていたものだろうか。

名古屋 名楽園

2011年07月30日 13時30分00秒 | ◇愛知
遊廓(旭遊廓)→移転(中村遊廓)→赤線(名楽園)
昭和12年、業者数138、娼妓数2000
昭和18年、業者数19、娼妓数220
昭和28年、業者数81、従業婦数900
昭和33年1月、売春防止法施行の2ヶ月前に自主廃業


大型スーパーとソープランドが向かい合う奇妙な光景。
日が高かったことも手伝って、まるで白昼夢でも見ているような気分にさせられた。
スーパーの建っている場所の角地には、かつて名楽園組合の事務所があったという。


旧・第二トヨタ楼。相当リフォームされているが、鮮やかなタイルと丸窓はカフェーの証。


旧・春福楼。玄関の欄間に文字看板が残っている。
左側の取ってつけたようなモルタル造りは、カフェー風に利用していたものだろうか。


屋号不明。格子が張りめぐらされた典型的な妓楼建築。
渋い色合いの中、赤錆色の欄干と緑白模様のタイルがアクセントになっている。

 
旧・千尋。艶っぽい建物もさることながら、壁面に飾られたシンボリックな美人画が白眉。
警備会社のステッカーは無粋だが、盗難対策のためにはいたしかたないのだろう。

 
旧・酒井楼。その格調高くも重厚なたたずまいは圧倒的。塀は色調を抑えつつ華やか。
中村遊廓でも指折りの大楼だったことは想像に難くない。

 
旧・稲本。この地域では四海波に次ぐ大店だったという。
日本と中国の建築様式を織り交ぜた豪華絢爛な店構えは、他に類例のないものだ。

名古屋 八幡園

2011年07月30日 11時00分00秒 | ◇愛知
花街→遊里→赤線
昭和30年ごろ、業者数68、従業婦数324


一階全面に豆タイルが張られた外観はカフェー建築の見本。
赤いタイルで縁取られた丸窓と、風車を思わせる桟の取り合わせがユニーク。


明らかにカフェー風だが、一番凝っている3階部分の用途がよくわからない。
二階の軒下を見るとこぢんまりとした照明灯が並んでいる。


紅色の壁面や小ぶりの丸窓が特徴的。二階の軒下には上と同じような照明灯が。

 
「若菜」という屋号を持つ立派な和風建築。ここ八幡園では大店だったであろう。
赤、白、黒で彩られた木塀も見逃せない。


一見現代的なたたずまいだが、奥深い入口から秘密めいた雰囲気がただよう。

 
堂々の和風娼楼。格子窓をのぞいてみると、窓の桟が扇状にしつらえられていた。

 
入口まわりだけカフェー調に改造されている。円柱のピンク色がなまめかしい。
「床元」「とこ元」「とこもと」「Tokomoto」と、4種類もの屋号の書き方を確認できる。


玄関の両脇に、屋号の書かれた行灯風の看板が残されている「一力」。
入口の足元は石畳とタイル張りになっている。

豊橋 有楽荘

2011年04月29日 11時00分00秒 | ◇愛知
遊廓→赤線
料亭は現役、旅館はほとんどが退役の雰囲気。
しめ縄を飾っている家が多いのは土地の風習だろうか。
昭和30年、業者数46、従業婦数178


1階の左部分が若干カフェー風な「秀の家」。
夜、軒下のランプが店を照らす情景を見てみたい。


家の規模にしては立派な構えの玄関が2つ。内部の間取りが気になる。
こちらも軒下にランプを設置。


落ち着いた色調の遺構が多い中、どぎつい赤色が異彩を放っている。
玄関戸が開いているし、漠然とだが現役のようなエネルギーを感じた。


空に同化しそうな水色。上記の赤い建物とは別の意味で目を引く。
昔からこの色づかいだったのか興味深い。


重量感のある「料亭富久有」。遊里時代からこの地域では大店だったであろう。
店先の看板に明かりがついていたから現役と思われる。


状態のよい「杜月」。玄関部分の、屋号が彫り抜かれた波形の桟がおもしろい。
左側は、張り見世でもできそうな出格子窓だ。

豊橋 東田園

2011年04月29日 07時30分00秒 | ◇愛知
遊廓(吾妻)→移転→赤線
町全体が、二重の長方形で囲ったような遊廓特有の区画になっており、
いまなお一種独特の空気に包まれている。
昭和30年、業者数36、従業婦数185


2階の窓の桟と欄干の取り合わせが絶妙。欄干には窓枠のような役割もあるのか。
建物に夢中で撮影時には気づかなかったが、綺麗な松だ。


こちらの松は、ななめ具合が見事。
昔は毎日毎夜、店先で男女の艶っぽいやりとりを見てきたのだろう。
だいぶリフォームされているものの、雰囲気はよく残っている。塀のデザインもおもしろい。

 
同一物件を表口と裏口から。奥行きの長い建物で、当時は大店だったと思われる。
状態があまりよくなく、今後が心配。


全体的には和風だが、玄関に若干カフェー風の特徴がある。


欄干に屋号を透かし彫りにした店が多い。


鮮やかな豆タイル。かわいらしくも見えるし艶かしくも見える。
玄関その他の部分は和風。

深夜の豊橋有楽町

2011年04月29日 00時30分00秒 | ◇愛知
翌朝の探索前にちょっとだけ訪問。
いくつか旅館を見つけたが、営業している様子はなかった。


まず街灯からして極端に少ない。もちろん人通りもない。
いるのは闇にとけ込む遊里探訪者だけだ。


静まり返った深夜の町を、そっと、せかせかと歩く。


こんな時間に、こんな場所でフラッシュ機能を使うわけにはいかない。
わずかな街灯を頼りにひっそり撮影。


そろそろ退散しよう。真夜中に練り歩くような場所ではなかった。