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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

新潟 山ノ下

2012年10月07日 13時00分00秒 | ◆甲信越

この道路沿いに妓楼が建ち並んでいた。




装甲をまとったような外観の臨港館。遊里とは関係ないらしい。


地図で銭湯となっていた場所は更地化していた。


近隣の飲み屋。




長岡 文治町

2012年10月06日 08時00分00秒 | ◆甲信越
昭和5年ごろ、業者数32、娼妓数120

 
文治という地名はもはや存在しないものの、公民館や電柱にはその名が残っている。
公民館には神社が接しており、何かないかと探したが、遊里との関係を示すものは特になし。


下見板の落ち着いた色と漆喰の純白が対照的な旅館。玄関を傾かせた造りも特徴的だ。
視線を奥へ移すと、右隣の建物とつながっている様子が見て取れる。


謎の物件。料亭のように見えるし、少し手の込んだ一般家屋のようにも見える。


黒壁と赤壁の混在する旅館。旅館というとまっさきに転業旅館を想像してしまうが、はたして。
入口の角度がななめに振られている構えは、先ほどの旅館と共通している。

 
一見普通の住宅のようでいて、植木に隠れた窓をのぞくと、少し変わった組子細工が現れる。
そのほか、玄関に風流な装飾が施されていたりと、気になる意匠がいくつか見受けられた。


三台分の駐車スペースに三か所の入口。昔は旅館だったのではないかと思えるたたずまい。
しかし、外まわりが修繕されすぎていて、実際にどうだったのかはわからない。


年代物件であることは間違いないながら、遺構かと問われると違うように思えてしまう。
遺構かどうかは別として、下見板や明かり取りといった部位に惹かれてカメラを向けた。

甲府 若松町~東青沼町

2011年11月12日 14時00分00秒 | ◆甲信越
花街
明治42年、芸妓置屋の指定を受ける。
昭和4年ごろ、業者数70、芸妓数270

 
花街は濁川の南側にあった。


若松町の説明書き。昔町内にあった「若松劇場」が町名の由来といわれているようだ。


わずかに点在する料亭は花街のなごりだろうか。


青沼界隈の和楽器店。この店の歴史はわからないが、古くからこの地で商売を営んでき
た店だとしたら、往時は花街の御用達として繁盛していたのではないか、と勝手に空想。

 
古い建物二軒。遺構かと問われるとあまりピンとこないが、一応掲載。

 
奥のほうに丸窓が。正面は木が生い茂っていて、建物の様子は見えなかった。

甲府 穴切

2011年11月12日 11時00分00秒 | ◆甲信越
遊廓→赤線
明治40年、新柳町の大火によりこの地へ移転。
昭和4年、業者数21、従業婦数159
昭和21年、業者数13、従業婦数57
以降、売春防止法施行まで存続した。


遊廓はこの近辺にあったという。奥は「日」の字のような整然とした区画になっているが、
遺構らしい遺構はまったくなく、それらしい建物が見られるのはむしろ後方。


入口が三つあるカフェー風の建物。中央の縦長の小窓がおもしろい。

 
外装はシンプルだが、カフェーの鑑札が残っていた。板で覆われた二階部分が気になる。

 
上記の右隣の物件。和風建築を改装したような造り。こちらにもカフェーの鑑札が。

 
気になった建物。相当リフォームされているが、丸窓や扇窓などが残っている。

 
不思議な外観。よく見ると丸窓も目につく。間取りはどうなっているのだろう。


大胆な石材の使い方に驚いたが、雰囲気から察すると単なる一般住宅かもしれない。

甲府 湯村

2011年11月12日 09時50分00秒 | ◆甲信越
温泉街にできた遊里。
行政資料に記録がないことから、青線的な位置づけだったのではないかと思われるが、
真相は定かではない。

現地はいかにもひなびた温泉街といった風景。
こういうご時世だから、さすがに景気がよさそうには見えなかったものの、年配のグループ
や合宿とおぼしき学生たちなど、団体客がそれなりに来ているようだった。


入口のあたり。提灯が飾られている。


湯村温泉旅館協同組合。


カフェー風にも見えるが、かなり改装されており、実際はなんともいえない。


真っ赤な欄干が目を引く。奥の一軒だけのための橋にしては、その豪華さに驚かされる。
建物の淡い色彩とあいまって艶っぽいたたずまいだ。

 
温泉街から少し外れた住宅地に、妙に道路の広い一画がある。
ひょっとしたら昔は……と期待しつつ歩いたが、遊里の痕跡はまったくなかった。


バルコニーに特徴のあるスナック。遺構にしては新しすぎるか。


路地に入ると古い一軒家が残っていたりした。

法性山 玄法院

2011年11月12日 09時20分00秒 | ◆甲信越
新柳町遊廓(穴切新地の前身)ゆかりの寺。


山門。非常につつましい看板。


剣のモニュメントが印象的。剣と寺(仏教)の取り合わせはめずらしいような気がする。


手水石。裏側に「新柳町」の名、そして発起人と世話人の名前が連なっている。


狛犬と灯籠。壊れたからなのか、狛犬の台座や灯籠の火袋などが造りかえられている。


灯籠に「芸妓中」と刻まれている。金沢でも見かけたが、「中」の意味がわからない。


灯籠の裏側。上が屋号、下が芸妓名だろう。

上野原 関山

2011年10月09日 06時30分00秒 | ◆甲信越
遊廓
明治30年2月4日、中央線敷設工事の作業員向けに遊廓許可
明治33年、業者数6、娼妓数32
明治35年、業者数6、娼妓数26
大正14年、業者数3、娼妓数16
昭和4年、業者数3、娼妓数19
以降、昭和20年の公娼制度廃止まで存続。

なお、上野原には戦後、RAA(特殊慰安施設協会)の施設ができたという。
この施設が、関山新地から移行したものなのか、別の場所に新設されたものなのか、
現時点ではわかっていない。

 
「関山」という地名は消滅しているが、いまもバス停や電柱にその名を見ることができる。


大鷲神社前の通り。妓楼が建っていたのはこのあたりではないかと思われる。
しかし、妓楼とおぼしき建物は、周辺を歩いても見あたらなかった。


古い平屋建築。右のポール看板には「旅館中屋 駐車場」と記されている。


「中屋」の本館。転業旅館であろうか。


気になった灯籠。関係ないとは思うが、一応掲載。

富士吉田

2010年05月22日 06時00分00秒 | ◆甲信越
戦後、富士吉田を含む富士米軍キャンプ周辺には彼ら目当ての業者や娼婦が入り乱れ、
取り締まりが追いつかない状態だったという。
昭和27年、業者数42、従業婦数95


堂々たるカフェー建築。紫色の照明灯が何とも妖しげ。


こちらも壮観。石造りが凝っている。


どぎついほどのタイル張り。吸い込まれそうな入口だ。


三階建ての和風建築。丸窓をしつらえた3階は、当時さぞよい眺望だったろう。


充分個性的な建物だが、周囲が濃厚な物件ばかりなのでホッとしてしまう。

深夜の富士吉田

2010年05月22日 00時20分00秒 | ◆甲信越
せっかく深夜に着いたので、様子見がてら散歩。


思っていたより営業している店が多くてびっくり。
景気が昔と違うから、閉業した店が大部分だろうと勝手に想像していた。


カラオケや酔客の歓声が聞こえてくる。
静かな店もあるとはいえ、街全体としては、閑古鳥が鳴いているムードではない。
何度も言うのは失礼だが、いやあ、本当に驚いた。


こうなると、人通りがあまりないのが不思議に思えてくる。
腰をすえて飲んでいるということだろうか。


つづら折りになった細長い路地「新世界通り」。ここは開いている店が少なかった。

 
「アポロ」と「日昇旅館」は真っ暗。暗いせいでその威容が際立つ。