Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

御朱印

2008年05月08日 | 
 朱印というと子どもの頃は、歴史で学ぶ「朱印船」位しか頭に浮かばなかったが、いつの頃からか寺社仏閣に行くと墨書とともに朱色の印を押す「御朱印」なるものがあることを知った。友人が集めていたのだが、正直、私はあまりそれに興味がないまま、月日が流れた。
 何がきっかけだったのかわからないが、昨年、息子が御朱印帳を京都の三十三軒堂で買って以来、御朱印を集めるようになった。彼はもともと駅やら観光地でスタンプを押すのが好きだったこともあり、そんな「ノリ」で始めたのだろうと思う。
 この4月末に息子と京都に出かけたとき、私は息子にこう言った。
「御朱印はスタンプと違うんだよ。まず自分で押すものじゃない。これは寺社にお参りをした証で、お守りみたいなものなんだよ。集めることが重要じゃないんだ。もし集めるだけだったら、二度と同じお寺や神社に行く必要なんかないだろう?」
 普段は「うそー」と私の話しを半信半疑で聞く息子もこのときばかりは神妙だった。
「ぼくは、こんなにたくさんのお寺からお守りをもらったのと同じなんだね。」と彼は私に念を押した。正直、自信はなかったが私は頷いた。
 それから以後、彼は御朱印をお願いするときも、受け取るときも背筋を伸ばして、ありがたく受け取るようになった。そんな姿を見て、たまには親らしいことが言えたんだな、と思えて嬉しかった。しかし小学6年の私だったらきっと、そんな話を聞いたらこういっただろうな。「だって300円払ってるじゃん。僕じゃなくて、むこうがありがたく思うのが普通じゃない?」と。わが息子は親に似ず、まことに素直である。


靖国神社にて

2008年05月07日 | 東京
 先週の土曜日、古書店のある神保町から歩いて、九段下の靖国神社まで散歩をした。というのは靖国神社の中の遊就館で幕末維新展が開かれていて、それを見るためである。
 それにしても靖国神社にはいったいどのくらい行っていなかったのだろう。中学3年の時に大村益次郎の銅像を見るために訪れた記憶があるが、その時は正直、この神社に何が祀られていて、どんな意味を持っているのかわからなかった。そうした意味を知ったからというわけではないが、とにかくここに足を向ける機会がこれまでなかったのである。
 神社を訪れた5月3日は、午前中の雨も上がり雲の隙間から太陽が覗く陽気で、たくさんの観光客らしき人々が神社を訪れている。ご老人の夫婦、家族三代そろって訪れる人々、デートらしきカップル、そして外国人観光客・・・。この神社には、儀礼的目的で訪れる日本人と、名所である神社を訪れる観光客が混在しているのだ。そういう意味では、まるでバリの寺院のようである。バリでは日本人が観光客であるのだが。
 礼拝の様子をぼんやり眺めながらいろいろなことを考えてしまう。日本人がここに来て手を合わすのは自由である。個人の思い、あるいは日本人としての思いなどそれぞれだろう。靖国が政治的な話題にのぼるようになってから、ここに行くという行為が、あたかも政治性を帯びた行為のようにみえてしまうのだが、こうしてその場に立ってみると、そんな考えは誤解であることを実感する。
 そんな思いに耽る中・・・「NO CAMERA!」と耳をつんざくばかりの大きな声が、社殿全体にこだました。神社で手を合わす日本人の写真を撮影しようとした外国人に対して、警備の男性が怒鳴ったのだ!
 さて、私としては困惑してしまった。確かに拝殿している人の写真を撮るのは失礼だという気もするが、日本人同士で撮影することだってあるだろう。だいたい、われわれ日本人はバリで、寺院に降臨する神々に高く手を合わすバリ人の姿をパチパチと撮影しているではないか。もしここにバリ人がいたら、いったいこの光景に何を思うのだろう?


祝ブログ2年目へ突入

2008年05月06日 | 家・わたくしごと
 昨年の5月6日から始まった私のブログはとうとう本日で2年目に突入した。昨年のブログを覗いてみたが、なんと連休最後は今日と同じように風呂屋にいって本を読んでいるのだ!なんと成長していない連休の過ごし方だろう。
 2年目に入ったからといって、とりわけブログの内容が変わるわけではないが、身近な題材を15分で描く練習だと思って、今後も継続していこうと思う。お付き合いくださっている読者の方々にも感謝。

三文判

2008年05月06日 | 東京
 先週、東京で会議があって、その開催時間前に所用で渋谷を訪れる。道玄坂の109ビルの一階に入っている印鑑屋の横を歩いているときに面白いケースを発見した。といってもいわゆる既製の安価な印鑑である三文判のケースなのだが、そこに書かれていた文章「日本の名字5000傑(この名字には日本の名字の80%が収容されています)」に惹かれたのである。
 一旦通り過ぎたのだが、この三文判ケースが気になり再びこの場所に戻って自分の名字を探してみた。あった、あった!しかも私の名字の三文判は複数売られている。つまり私の名字は5000傑に入っているわけだ。
 ところで沖縄に来たことのある方は、沖縄の三文判ケースを見たことがあるだろうか?正直言ってかなり驚くこと請け合いである。なんと日本の名字5000傑にあたる私の名字などは全く見当たらず、かつて急に印鑑を必要としたとき三文判がないため、注文発注したこともあるのだ。私の名字はここ沖縄では完全にマイノリティーである。要は、三文判ケースに収納された名字というのは、その地方の必要性に応じて名字が選択されているのである。これから沖縄に来る予定のある方はぜひ、印鑑屋や文具店で三文判ケースを覗いてみてほしい。あなたの名字は見つかるだろうか?

潮干狩り

2008年05月05日 | 家・わたくしごと
 どんなきっかけだったのかは記憶にないのだが、昨晩になって「明日、潮干狩りに行こう」ということになった。場所は那覇空港の目と鼻の先にある瀬長島である。空港に飛行機が降りるためのライトが点灯している場所で、すぐ上をボーイング747が通過するというなかなか光景的にも刺激的な場所である。
 わが家は沖縄にきて9年、しかし今回が潮干狩りは初体験である。とにかく「熊手」が必要だろうと、ホームセンターで290円の熊手を一つかって瀬長島に到着。誰も潮干狩りなんてしていない。本当に貝なんているわけ?と半信半疑でテレビ番組で見たようにただ掘り始めたのである。すると、ポツリポツリとスーパーの魚屋で売っているアサリがとれるではないか!そうなると、まずは「貝の味噌汁」を目標にして、数が増えると次は「スパゲティ・ボンゴレ」、いやいや「あさりのワイン蒸し」か?ともう必死である。
 2時間はやっただろうか。収穫63個であった。一般に潮干狩りというのは、入漁料とか獲った貝の量り売りとかのシステムがあるような話を聞いたことはあるが、ここはわが家から車で25分。駐車代も入漁料もタダ。お金のかからない家族サービスがこんなところに転がっているなんて驚きである。砂抜きという作業が残っているのだが、さて今晩のおかずは?


お好み焼き

2008年05月02日 | 
 大阪の観光ガイドというのは、とにかく「食べ物」で満載である。正直なところガイドを見る限り、大阪城以外の名所はないのではなかろうか、というほどの勢いである。しかもその食べ物は寿司とかフレンチではなく、とにかくB級グルメ満載なのである。
 「お好み焼き」というのもその代表的な食べ物の一つ。店屋でお好み焼きを食べた経験のほとんどない息子にとって、お好み焼きは「大阪の代表」であり、何がなんでも食べなくてはならない食べ物なのだ。親はその期待にこたえなくてはならない義務がある。
 大阪での大学院時代、いつも行列がたえなかったと記憶する千日前のお好み焼き屋に入る。実は私自身、大阪で一枚700円以上もするお好み焼きを食べるのは初めてで、常に「貧坊ちゃま」の私は、たいていキャベツ焼き110円(以前は100円だった)かイカ焼き100円で大満足だった。
 息子と向かい合って、お好み焼きを作る。「自分で作るの?」と不思議そうな顔をする息子の前で、鉄板に具を広げてキツネ色になるのを待つ。なんだか不思議な光景である。息子と二人、個室の鉄板の上で焼かれるお好み焼きを黙って見つめている。何をしゃべっていいのかわからなくなってしまう。まるで初めてのデートのようだ。
 「お父さん、もう裏にしていいんじゃない?」
 息子のやさしい笑顔を見て、我に帰る・・・。

ボロブドゥール?

2008年05月01日 | 
 大阪で公園を歩いていると、息子が植木を指して突然面白いことを言った。
 「お父さん、なんだかボロブドゥールみたいだね」はっ?ボロブドゥール?ここは大阪やで。どこがボロブドゥールなんや?
確かに不思議な形で剪定された大きな植木である。言われてみると、確かにボロブドゥール遺跡の頂上にあるストゥーパの形にそっくりではないか。
 昨年の秋、息子を初めて中部ジャワのボロブドゥール遺跡に連れて行った。日の出の涼しい時間に訪れるというのが、乙なボロブドゥール観光なのだが、われわれがこの遺跡に到着したのはまさに正午。日陰を探すのも難しい時間に遺跡を歩き回ったせいか、「遺跡」よりも「暑さ」の記憶の方が鮮明である。息子も同じように暑さに苦しんでいたはずなのに、彼の目にはそんな悪条件の中、あの不思議なストゥーパの形が焼きついていたのだろうか?
 涼しい春の大阪で見つけたボロブドゥール風の植木をもう一度眺めてみる。ただの植木のはずなのに、その一つ一つの植木の中には仏像が安置されているような「ありがたい」植木に見えてくる・・・。