Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

浜松まつり(三日目編その4)~おめでとうございます!(絶叫)

2014年05月06日 | 浜松・静岡

施主夫婦と子どもが並ぶ


鏡割り


担がれる施主

「おめでとうございます!」
拡声器でガラガラ声の若者が絶叫する。
「バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ!」
ラッパの音が一度、三度、五度の順に音をあげていく。
「ウイショ、ウイッショ」
この叫び声で、太鼓のリズムが刻み出し、ラッパの旋律が奏で始める。

 これが初子祝いの始まりである。とにかくすごい。家の前に施主(たいては夫婦とその子ども)が立ち、その家(店)の前をグルグルまわり、それが終わると口上となり、その後、鏡開きと相成る。施主(子どもの父親)が、皆の「ヨイショ、ヨイショ」の掛け声で、力いっぱい樽のふたを木槌でたたく。何回目かに蓋がわれて酒が飛び散るやいなや、あっという間に施主は肩車され、その瞬間、再びラッパと太鼓が始まる。施主は担がれて、家(店)の前を何周かまわる。田町ではそのとき、かならず鏡割りをした樽のふたを持つ担当がいる。この瞬間が最も興奮する時ではなかろうか?
 樽酒や食事がふるまわれて、その後、施主や役員が大杯で酒を飲み、それが終わると万歳三唱で、次の場所へと移っていく。その際も何度も家の前をラッパ隊と百人近い組員が回るのである。とにかくすごいのは、拡声器をちょっとはすにかまえてわざとハウリングを起こしているんじゃないかと思うハスキーな声で叫ぶ若者である。ものすごい指示と統率力。この人の指示には誰も逆らえない。
 うれしそうに涙が流す施主の姿を見て、こっちまでグスン。デジカメの画面が見えないよ…。


用意された食べ物

以上を持って三日間の浜松まつり(初日、二日目、三日目編)のブログは終了です。今までは一つの話には一枚の写真と決めてきましたが、これは自分の記録の意味もあって写真を複数掲載しました。あと数分で5月5日が終わり、6日になります。まだ遠くでラッパの音やホイッスルの音がします。これで終わっちゃうんですね。ものすごく喪失感があります。祭りのあとの空虚さ、というか…。参加していない私がこうなのだから、参加しているみなさんはどんな気持ちになっちゃうだろう。数日はぼんやりしながら、リハビリに励みます。ブログを読んでくれた方、ありがとう。私感ですから違っていることもあるかもしれません。でも、いろいろ楽しめた三日間でした。浜松のみなさんに本当に感謝しています。

浜松まつり(三日目編その3)~子どもラッパ隊

2014年05月06日 | 浜松・静岡
 初子祝いの施主の家には、だいたい何時に行くか決められている。地域にもよるのだろうが、田町では子どものグループが先に施主の家をまわる。祝いの言葉や万歳三唱、ラッパと太鼓の演奏が行われると、袋に入ったお菓子が配られる。子供たちはそれをうれしそうに受け取るのである。
 子どもがラッパや太鼓を演奏するのは、次の世代の継承にとって重要なことだ。しかし一方で、この継承には親の協力が欠かせない。子どもがやりたいといっても、親の都合によってーーたとえば仕事で練習などに送り迎えできないとか、役員ができないとか(やりたいくないとか)--できない子どももいるらしい。確かに親の負担はそれなりにあるだろう。とすると地域密着型の親でなければなかなか勇気を持って参加できない可能性はある。
 どこの地域にもあるわけではなさそうだが、子どものラッパ隊は結構な数がある。今年は二日目に浜松駅の横の広場ソラモで、子どもラッパ隊の演奏が買い物客や観光客向けに行われていた。継承はたいへんなのだろうが、各地で子どもたちがこうした芸能に関心を持って継承していくことを切に願う。

浜松まつり(三日目編その2)~見せるという行為

2014年05月06日 | 浜松・静岡
 
店の前での演奏


四辻でのパフォーマンス


四辻でのパフォーマンス

 たぶん街練りには、いくつかの意味があるのだと思う。一つは儀礼的な意味。演奏するという行為そのものが、初子祝いという儀礼空間を特別なものにする。もちろん街全体がこの音楽によって「儀礼空間」化して、ハレの場を作ってしまう。もう一つは、その場に活気や商売繁盛のような特別な意味を付与するような役割である。たとえば、店は接待、あるいは寄付などにより、店の前で演じてもらうことで、商売繁盛を願う。
 もう一つ重要な役割は「見せる」というパフォーマンス的な役割。これは「まなざし」が多い地域ほど発達するのではないだろうか?たとえば、私の住む田町は、町内の人々以外に歓楽街には大勢の人々が集まる。そうした人々がそのパフォーマンスに目を止めるからである。
 今日も雨降りの中、有楽街(繁華街)のど真ん中で、パフォーマンスが繰り広げられる。旗を中心に追随者は背中向きに「おしくら饅頭」のような形で反時計回りにグルグルまわる。別にバリのように四辻の儀礼ではなく、人が集まる場所でのパフォーマンスなのであり、毎年、ここで繰り広げられるらしい。

浜松まつり(三日目編その1)~初子祝いに思うこと

2014年05月06日 | 浜松・静岡
 あいにく三日目は午後から雨になってしまう。凧は午前中にはあげられたようだが午後には早い時間に片づけられたという。浜松の街中での合同練りも中止になった。そのせいか観光客はまばらだったと思う。しかし、当たり前だが重要な街練り(町内の練り)は、雨であろうと行われるのである。
 私が住む田町という町内は、たぶん普通の町内とはいえない。なぜなら街中で有楽街という繁華街の中心がこの町内に属していることから、外からの参加者も多いし、たぶん店の接待や、初子(初節句)祝いの数も多い。今年は初子祝いが7件、店の接待が2件の計9件。祭りは三日間なので一日3件平均でまわらなくてはならない。たぶんこれはほかの町内と比べれば(もちろん実証的な数字はないが)多いと思う。これは私感に過ぎないのだが、繁華街なので、そこで初子が誕生すればご近所も期待するだろうし、どうしても店の面子というものもあるに違いない。
 規模も施主によって異なっている。今晩、四つの町内の初子祝いも見たが、やはり田町は他と比べればかなり派手である。繁華街なので他の町の法被をきた若者も大勢その様子を見ているのだが、彼らは「規模が違うなあ」と後ろでつぶやいていたのが印象的だった。駅周辺から離れた住宅地などの初子祝を見たことのない私にはわからないのだが、こうした呟きや浜松祭りの経験者の語りから察するにやっぱりここは派手なんだろう。
 さすがだと思ったことは、土砂降りの中でも雨具を着ないことである。彼らがいうには(実際に聞いてみた)、雨カッパと傘は「邪道」なのだそうだ。確かに誰も着ることはなく、全身びしょぬれで、それでも「ウィショ…」と掛け声をかけラッパを吹く。唯一、太鼓だけにはビニールをかけてたたく。これは楽器の特質上、仕方がない。考えてもみれば、バリだってオダランでどんなに雨が降っても屋根がない場所での儀礼はびしょ濡れになっても行うし、儀礼のときは皆、どんなに濡れようと儀礼着である。やはりそれが儀礼なんだろう。ちなみにこの写真、母親に抱かれた子ども(初子)もびしょ濡れである。大丈夫なんだろうかとこちらが心配してしまう…。