あいにく三日目は午後から雨になってしまう。凧は午前中にはあげられたようだが午後には早い時間に片づけられたという。浜松の街中での合同練りも中止になった。そのせいか観光客はまばらだったと思う。しかし、当たり前だが重要な街練り(町内の練り)は、雨であろうと行われるのである。
私が住む田町という町内は、たぶん普通の町内とはいえない。なぜなら街中で有楽街という繁華街の中心がこの町内に属していることから、外からの参加者も多いし、たぶん店の接待や、初子(初節句)祝いの数も多い。今年は初子祝いが7件、店の接待が2件の計9件。祭りは三日間なので一日3件平均でまわらなくてはならない。たぶんこれはほかの町内と比べれば(もちろん実証的な数字はないが)多いと思う。これは私感に過ぎないのだが、繁華街なので、そこで初子が誕生すればご近所も期待するだろうし、どうしても店の面子というものもあるに違いない。
規模も施主によって異なっている。今晩、四つの町内の初子祝いも見たが、やはり田町は他と比べればかなり派手である。繁華街なので他の町の法被をきた若者も大勢その様子を見ているのだが、彼らは「規模が違うなあ」と後ろでつぶやいていたのが印象的だった。駅周辺から離れた住宅地などの初子祝を見たことのない私にはわからないのだが、こうした呟きや浜松祭りの経験者の語りから察するにやっぱりここは派手なんだろう。
さすがだと思ったことは、土砂降りの中でも雨具を着ないことである。彼らがいうには(実際に聞いてみた)、雨カッパと傘は「邪道」なのだそうだ。確かに誰も着ることはなく、全身びしょぬれで、それでも「ウィショ…」と掛け声をかけラッパを吹く。唯一、太鼓だけにはビニールをかけてたたく。これは楽器の特質上、仕方がない。考えてもみれば、バリだってオダランでどんなに雨が降っても屋根がない場所での儀礼はびしょ濡れになっても行うし、儀礼のときは皆、どんなに濡れようと儀礼着である。やはりそれが儀礼なんだろう。ちなみにこの写真、母親に抱かれた子ども(初子)もびしょ濡れである。大丈夫なんだろうかとこちらが心配してしまう…。
私が住む田町という町内は、たぶん普通の町内とはいえない。なぜなら街中で有楽街という繁華街の中心がこの町内に属していることから、外からの参加者も多いし、たぶん店の接待や、初子(初節句)祝いの数も多い。今年は初子祝いが7件、店の接待が2件の計9件。祭りは三日間なので一日3件平均でまわらなくてはならない。たぶんこれはほかの町内と比べれば(もちろん実証的な数字はないが)多いと思う。これは私感に過ぎないのだが、繁華街なので、そこで初子が誕生すればご近所も期待するだろうし、どうしても店の面子というものもあるに違いない。
規模も施主によって異なっている。今晩、四つの町内の初子祝いも見たが、やはり田町は他と比べればかなり派手である。繁華街なので他の町の法被をきた若者も大勢その様子を見ているのだが、彼らは「規模が違うなあ」と後ろでつぶやいていたのが印象的だった。駅周辺から離れた住宅地などの初子祝を見たことのない私にはわからないのだが、こうした呟きや浜松祭りの経験者の語りから察するにやっぱりここは派手なんだろう。
さすがだと思ったことは、土砂降りの中でも雨具を着ないことである。彼らがいうには(実際に聞いてみた)、雨カッパと傘は「邪道」なのだそうだ。確かに誰も着ることはなく、全身びしょぬれで、それでも「ウィショ…」と掛け声をかけラッパを吹く。唯一、太鼓だけにはビニールをかけてたたく。これは楽器の特質上、仕方がない。考えてもみれば、バリだってオダランでどんなに雨が降っても屋根がない場所での儀礼はびしょ濡れになっても行うし、儀礼のときは皆、どんなに濡れようと儀礼着である。やはりそれが儀礼なんだろう。ちなみにこの写真、母親に抱かれた子ども(初子)もびしょ濡れである。大丈夫なんだろうかとこちらが心配してしまう…。