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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ミュージアム・グッズ--バリバリ★ワヤン(2)

2009年06月07日 | 那覇、沖縄
 現在、浦添市美術館で開催されているバリ島の影絵人形の展覧会「バリバリ★ワヤン!?」では、期間中、バリのグッズが販売されている。その中での注目の一品は、写真のバリのミニ・ワヤン。といっても操るためのワヤンではなく、車などにかけられたり、キーホルダーになる人形である。
 私が昔、バリのある集落でワヤンの勉強をしている頃、たまに村の人々が人形を作る私の先生のところに、小さなワヤン人形を作って欲しいと頼みに来た。たいていそうした人々は車を新しく買い、お守りにそれを車のバックミラーに下げるためだった。しかし、ダランは「ワヤンに使う人形をつくった皮の余りが出たら、それで作るから」というだけで、決して注文を受けることはなかった。しかし、不思議とそうした依頼は記憶していて、数ヵ月後に小さな余りの皮で車用のワヤンを作ると、依頼者の家まで私にバイクで持っていかせた。お金は決してとらなかった。理由は「余りだから」。皮も色も、他のものを作った余りだからという意味である。私はお金の換わりに新聞紙に包んだコーヒーとか、野菜を持たされて帰った。そうした家にあるものであれば、ダランは喜んで受けとった。
 私の先生は皮が余っていても、薄い皮である場合は決して小さなワヤンにせずに、油でおせんべいのように揚げて食用にした。薄い皮ではいいものはできないというのが理由である。そんな人にただであげてしまう車用のワヤンにも気を使うダランだった。
 今回のミュージアムグッズは、そんな亡くなった私の先生の言葉を思い出して、バロンとよばれる獅子細工に使うような厚い皮で作られている。しかもそのキャラクターは、アルジュナとクリシュナの他は、すべて写真の従者である。小さなワヤンというのは、ほとんどバリのお土産屋には売られていない。売られていても皮は薄く、すぐに反ってしまうようなものばかりである。ということで、ミニ・ワヤンは、この展覧会のお勧めのミュージアム・グッズの一品である。

チョップリンさんの《トゥルナ・ジャヤ》

2009年06月07日 | 大学
 昨晩、勤務する大学でバリ舞踊のレクチャーコンサートがあり、バリ舞踊家のチョップリンさんのお話と実演があった。大学のガムランサークルによる演奏で《トゥルナ・ジャヤ》という20世紀に創作された舞踊作品を踊っていただく。
 これまで何度もこの舞踊作品を演奏する機会はあったが、バリの舞踊家と合わせたのは初めてで、水曜日から始まった合わせの練習からそのテンポ感、勢いなどに圧倒されたが、やはりバリ人、衣装を着た本番の舞踊はとにかく「すごい」の一言であった。
 演奏者は常に舞踊の側面で演奏しているために、正面から見る舞踊家の容姿を見ることができない。そう思うと観客がうらやましくも思えるのだが、実は横で演奏するわれわれは演奏者の息づかいから、その一挙一同を肌で感じることができ、その動きを瞬時に音楽のテンポ、強弱へとコード変換している。特に速度の速い曲やリズムの複雑な曲はコード変換も0コンマの秒単位で対応しているだろう。つまり、踊り手の動きを一瞬でも見逃したとき、その音楽と舞踊のバランスは崩れてしまう。
 チョップリンさんの踊りは、慣れていないからではなく、その動きのメリハリ、緩急が多く、それが音楽とのやり取りの中でとてつもない緊張感を生み、またそうした雰囲気が観客にも伝わり、誰もが息を呑む。息をすう間がないような不思議な緊張感である。さらに、その顔の表情の豊かさは、音楽にもまたさまざまな表現をもたらす。演奏者は意識しなくても、その表情がわれわれの表現を誘導しているかのごとく。とにかく観客には申し訳ないのだが、私達はとてつもなく大きな経験をさせてもらったと思う。ガムランを続けていてよかったと思えるひと時の体験。