Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

インドネシア料理屋

2014年11月11日 | 東京
 先週の土曜日、友人たちと新高円寺にあるインドネシア料理屋「カフェ・バリ・チャンプル」にでかけた。初めてのお店である。高円寺駅南口から新高円寺に続く商店街を歩くと10分ほどで着く。昔は古本屋を探訪した街なのでこのあたりには詳しいのだが、その時にはインドネシア料理屋はなかった。
 このお店、料理人はバリ人である。たいてい日本のインドネシア料理屋はインドネシアで大多数を占めるイスラムの人々を意識しているし、料理人もイスラムを信仰している人が多いので豚肉は出ないし、浜松のインドネシア料理屋ではさらにアルコール飲料も一切ない。それだけイスラム色が強いのだが、この店はヒンドゥー教を信仰している(だろう)バリの料理人だから豚料理も出てくるのだ。
 最初に行ったインドネシア料理は、西新宿にあったインドネシア・ラヤ。1980年代の大学生時代の頃だ。今はもう店をたたんだが、壁にジャワのお面(トペン)が所狭しと架けられていたことを思い出す。全体的に少し薄暗い感じがしたが、それでもインドネシア料理が懐かしくなると、よくその店を訪れた。今はいい思い出だ。あの頃は日本でバリの料理が食べられるなんて考えたこともなかった。
 さて、新高円寺の「カフェ・バリ・チャンプル」だが、かなり美味い。特に豚のラワールは最高である。食べるのに没頭した結果、写真がないのが残念だが、それをつまみにアラック(インドネシアの蒸留酒)をチビチビ飲むはずが、アラックが品切れだったのでバリの儀礼のように「ご飯のおかず」として、白いご飯をいっぱい食べて、体重がしっかり増えたのであった。 

鍋料理

2014年11月09日 | 東京
 だんだん寒くなってきた。鍋の似合う季節到来である。そんなことを考えながら、鷹の台駅の売店の前を通ると『何度でも作りたい絶品 鍋101レシピ』が目につくのだ。ちなみになんで100ではなく101なのか、という点についてはここにはふれず、12月に東京で上演するワヤンの演目の中で話をすることになっている。
 鍋にするか…と考えてみたが、浜松の家には一人用の土鍋を持っていないことに気が付く。普通の鍋を火にかけても作れないことはないがあまりにも風情というものがないではないか?
 そんなことを考えていたら、「百均」に一人用土鍋が「200円」で売られていることを発見したのであった。今度、買うか…。 

東京でソーダ・グンビラ soda gembira

2014年03月04日 | 東京
 ワヤン公演のあと、東京の打ち上げ会場は、バリ料理がおいしいと知られる表参道のブリマデ。今回はアルコール抜き、ソフトドリンクで突っ走ろうと決意。メニューをながめたら、
 「ソーダ・グンビラがあるじゃないか!」(心の中の密やかな呟き)
 もうそれだけで歓喜の渦の中に巻き込まれ、ほとんどワヤンのあとの興奮も冷めやらない状況の中で、テンションは最高潮に達し(絶対、表面的にはそんな風に見えていない)、それを隠ぺいすべく、
 「ぼくはソーダ・グンビラね」(右手で眼鏡をちょっと上げながら、勝ち誇ったような表現で)
と、エリートっぱくーーこの日はエリート女子社員風の方がもう一人いたからなのだが、冷静沈着なふりをして、店員の目を見ずに注文をしたのだった。目で本音は隠せないものだ。絶対に見破られてはならない!それでは僕の負けだ。
 周りがビールとアラックで盛り上がる中、運ばれてきたのがこの写真の私が愛するまさに「すさんだ心を癒す一輪の清涼飲料」なのである。そうだ、思い出した。このスタソーマ物語で使われるセリフを言うときはソーダ・グンビラを思い浮かべればいいんだ。もう「噛む」ことは絶対にない!
 味はどうかって?決まってるじゃないか!最高だよ。最高。ビンタン・ビールの100倍は酔ったね。しかもそのおかげで腰痛もかなりよくなったし。打ち上げ幹事のみなさんに感謝。このテンションで名古屋公演に突入だ!えっ、ワヤンのネタにソーダ・グンビラが出てくるかって?いやいやいや、そりゃわかんないね。
 ブリマデさん、一つだけリクエストを言わせていただくと、ソーダの量がちょっと少なかったな。インドネシアのF&Nのソーダの量があるともう少し楽しめるんだけど。だってこの飲み物「ソーダ・グンビラ(楽しいソーダ)」なんだから、たくさん楽しませてほしいもの。そして幸せな気分になりたいもんね……。
 

明日は撮影会です

2013年10月04日 | 東京

 明日は東京にてスタソマ物語に登場する皆様の撮影会です。時間は午後5時過ぎからの予定。場所は国分寺のワヤン・トゥンジュク一座スタジオにて。ということで、浜松から撮影会のために大きな虎がやってきます。
 この12月に東京公演で上演予定のスタソマ物語はラマヤナ、マハバラタとつながってはいますが、ヒンドゥーの物語というよりは仏教説話をインドネシア文学として書きかえたものといえるでしょう。スタソマ自身は仏の化身なのですから。
 捨身飼虎という仏様のお話があります。仏様は前世で自らの身を虎にささげる話です。スタソマ物語でもまたこの話が少し形を変えて登場します。もちろんスタソマ王が死んでしまっては話が続かないので、インドラ神がちゃんと生き返らせてくれるわけです。そこがおもしろいところで、ヒンドゥーの神が登場するのですね。
 ということで、そんな虎さん、親子で明日の撮影会に行く予定でしたが…、どうも浜松のワヤンの箱の中には子虎がいないようなので、一足先に東京にふらりと行ってしまったようです。しっかり世話ができない親虎をPがしっかり鎖をつけて連れていきます。 きっと素敵なチラシに掲載されるはずです。もちろん撮影時は鎖は外します。逃げないようにちゃんと見張ってますから大丈夫。


芝の上で

2013年08月10日 | 東京

 一年中、ワヤンの上演をしていますが、バリのように屋外で公演することは決して多くありません。もちろん外でできない季節もありますし、ワヤンは暗くならないとできませんから、結果的に夜公演となると、今度は(それほど大きな音はしないにもかかわらず)、近隣への音の配慮からやはり屋外公演は難しいものです。 
 8月7日に、みなとみらいホールの屋上庭園で、久しぶりに外の空気をたくさん吸いながらのワヤン上演をしました。写真はリハの様子ですが、やはり芝の上はいいですね。香りがまったくちがいますし、楽器の音も天高く響くようです。それにこの場所、ビルに囲まれていますから、「苦情」という問題はまったくないし。
 本番は子供たちがたくさんいて、縁日のように飲み物や食べ物も売られて、なんだかお客さんはリラックスできすぎる環境でした。もちろんたくさんのお客様のおかげでワヤンの公演も大成功。演目「天女スプラバ使者に立つ」はこれで一区切りです。秋は久しぶりにラマヤナ物語から「クンバカルナの戦死」を新解釈の演出で、また12月からは仏教説話「スタソマ物語(前編)」です。


ビールとグラスの関係

2013年08月02日 | 東京

 ヨーロッパにいくと、ビールの銘柄によってグラスの形や種類が決められている。「生中!」って頼むと、ジョッキにビールを注いでくれる感覚は、ベルギーやオランダ、ドイツ北部にはあるんだろうか?少なくてもビールジョッキ文化はドイツ南部の飲み方なんじゃなかろうか?ビアホールでソーセージをつまみにしながら飲むいわゆる日本的なビール。
 さて、水曜日は品川発22時過ぎの最終のひかりで浜松に戻る予定だったので、BYGから移動してもう一軒、ヨーロッパビールバーに行く。この店、久しぶりなのだが、天井が高いのがいい。しかも会計が一杯ごとに料金を支払う明朗会計システム。いいね。お金がなければもうストップ。チャージもなし。
 この高い棚に入っているのは、多くはビールのグラス。銘柄ごとにことなるグラスでいっぱい。香りを楽しむためのグラスや、色や泡が美しく見えるもの、いろいろだそうだ。ベルギーの珍しい瓶ビールもたくさんあるのだが、やはりここはドラフトということで、またまたベルビュー・クリークの生にしてしまう。ゆっくりと会話を楽しみながら飲むビール。「喉越しビール」もいいが、こんなビールの飲み方もまた素敵である。そんな年齢になったんだね。


老舗健在

2013年08月01日 | 東京

 渋谷のBYGといえばロック好きの聖地みたいなところで、ここではアメリカのウエストコーストなロックがレコードで流されている店。地下はライブハウス。かつて「はっぴーえんど」もここでライブをしていたらしい。1968年から変わることなく営業。ちなみに隣はあの名曲喫茶「ライオン」。こちらにはだいぶお世話になった。
 若者の街渋谷だが、この店が並ぶ界隈はなんといっても遊興街ど真ん中。道玄坂から行けば、道頓堀劇場の前を通らなきゃいけないし、まわりはラブホだらけである。しかし、そんなところにBYGもライオンも今に忘れ去られたようにたたずんでいるから、またいい。今風の若者はここまで足を伸ばすまい。こんな静かでいいところなのにさ。
 友人がジェファーソン・エアプレインの曲をリクエストしたらすぐにレコードに針が落ちる音が聞こえた。ライオンと違って別にロック名曲喫茶じゃないので、おしゃべり自由だし普通に飲んで時間を過ごせる。
 えっ、そんなところに行くのはオジサンだけだって? ふふふ・・・そんなこという奴の頭の中には、でっかいロック(岩)が入っているのさ!


通路から広場に戻っていたんですね

2013年06月10日 | 東京

 「ここは広場ではない。通路である。歌うのをやめなさい。ここは広場ではない。通路である。」
 このセリフははるか40数年前、新宿西口で繰り広げられた警察の拡声器を通した叫びである。「フォークゲリラ」とよばれた若者たちは、新宿西口広場でフォーク音楽集会を開き、さまざまなメッセージを社会に発していた1960年代終わりの頃の話だ。私はすでに生まれてはいたが、そんな時間に新宿西口に行くわけはないので、正直、ニュース映像や本の中から学んだ、いわゆる「歴史の知識」にすぎない。
 こうした若者の「危険な」現象を阻止すべく、「権力」は、ある日から、新宿西口広場を、「広場」ではなく「通路」にかえてしまったのである。通路は歩くところだから、そこに若者が集まり座って集会を開くことができなくなってしまったのだ。というより、集会をできなくしたのである。
 さて、一昨日、新宿西口にたまたま用があってこの場所を通ったとき、黄色いサインボードに目をやると、なんと「西口広場」になっているではないか!ということは、「ここは広場ではない。通路である。」とまるで抑揚のないアナウンスが繰り返された場所は、「ここは通路ではない。広場である。」とまた元に戻ったわけだ。まあ、今、この広場で集会をやることはさまざまな規制があってできないんだろうが、たとえできても、あんなフォークゲリラなんて現象が今起きるなんて全く想像すらできない。たとえ起こったとしても、今度は、渋谷のスクランブル交差点でアナウンスをした敏腕の機動隊広報部のお兄さんが、昔よりずっとスマートなアナウンスで、若者を手のひらで転がすように、上手に移動させるに違いないけれど。


大根か花か?

2013年05月22日 | 東京

 実家の近所の畑は、最近まで白い大根の花で一面覆われていて、ある意味、とても美しいのである。しかし最初、この花が何のために畑一面に咲き乱れているのかわからなかったし、この花が何の花だかすらわからなかった。近づいてみると、なんと根元には大根の頭の部分が出ているではないか!そう、大根の頭から無数の花々が大根の養分をたっぷり吸ってこれぞとばかり自己主張しているわけである。
 それにしてもこの目的は花を見せることなんだろうか、それとも大根を放置した結果の「ナレノハテ」なんだろうかと考えてしまう。しかし常識的に考えれば、大根の花を小平と国分寺市民(この畑はちょうど両市の境界に位置している)に楽しんでもらうためにこの状況を作っているとはとうてい思えないのだ。
 両親に聞いてみると、どうも大根を植えてはみたものの高齢などの理由から収穫できなくなった結果、放置にいたったらしい。しかし、収穫する農家の人が何らかの関係で確保できなくても、これらを近隣の人に開放して、自由に抜いてもって帰ってもらうなどの方法はなかったのかと考えてしまうのである。畑の中に勝手に入られることで、畑に何らかの問題が生じることだってあるだろうが、せめて一人二本まで持ち帰りOkで、箱が置いてあって、そこに一人100円入れるとかなんらかの方法はとれなかったのかと今さらのように思ってしまう。まあ、放置の結果として、美しい「花畑」を多くの人々が楽しんでいるのだから、それもまたいいのかもしれないのだけれど。


開梱の記録

2013年05月21日 | 東京

 もう2週間以上前のことになってしまったのですが、わが一座が注文したガムラン・アンクルンが東京の実家に届き、開梱中の写真です。箱は全7箱、今回は急いだわけではありませんが、別送品手続きをして、航空貨物で送ってみました。
 飛行機というと送料がかなり高いイメージがありますが、実は思った以上に安く送ることができました。船だとかなり頑丈な箱で自分で開梱するのも、資材廃棄もたいへんなので結果的には産廃として廃棄せざるを得ないのですが、そのためにかなりの費用を払うことになります。しかし航空便はしっかり梱包はされているものの軽量箱ですから、自分たちで電ノコなどで切って廃棄ができるのです。一座面々はこの作業に午前11時から従事。約1時間半で釘もきれいに抜いて片付けました。
 航空貨物は到着がひじょうに早いのです。当たり前ですよね。通関の手続きがあったとしても、送ってから1週間なんて期間はかかりません。楽器はすべて傷一つなく到着。それにしても写真のように楽器にピッタリフィットで、ほんとうにしっかり計測された立派な箱でした。おそるべしバリの梱包業者!