私の実家は東京西部の国分寺市にあり、庭は父により手入れが行き届いています。季節ごとにいろいろな花や、時には野菜が楽しめるのですが、4月末は昔からある藤と、その前にある西洋シャクナゲが満開になる季節でした。本来ならば、もう少し前にアップする写真んだったのですが、デジカメを東京のガムラン・スダジオに置いてきてしまったので、ちょっとアップが遅れてしまったもの。
この季節は私がとても好きな季節なのです。藤が薄紫の花をたくさん咲かせてくれる季節だからです。祖父が大事にしていた木で、私が子どもの頃からあった藤棚ですが、ずっとこの花に魅了されていました。「これは鑑賞用の藤ではなく、もっと野生種に近い山藤だから」と母は繰り返し私に話してくれるのですが、それでも見事な花をつけ、朝にはミツバチやクマバチが花蜜をもとめてたくさんやってきます。小さな藤棚かもしれませんが、私の心の中では、どこの藤園にもまけないすばらしい花をつける木なのです。藤棚の下はブーンとうなる種類の異なるハチの羽音が、不思議な響きを醸し出します。
月に二回くらいのペースで戻る実家ですが、次に行くときはアジサイの花のつぼみが膨らむ季節。そしてその次は、ブルーベリーの実の収穫の季節かな(もう少し先だったかな)。今年は何瓶ブルーベリージャムが作れるでしょう。そんな東京の実家に帰って庭を見るのは私の楽しみの一つなのです。
昨日、代々木公園のタイ・フェスタ2013で買ったセラドン焼の直径25センチのプレートです。タイ北部、チェンマイ周辺で作られている陶器ですが、結構重いので、バンコクに行ってもなかなか荷物の重量のこともあって、知ってはいてもこれまで買ったことはありませんでした。ネット通販などでは売られていても、こうして店頭で見ることはあまりなく、しかもプレートを探していた私にとってもぴったりな大きさと柄でした。
このお皿をみて、まず思い浮かんだのがバリで買ったバリ・モティーフの花柄テーブルクロス。こちらのお皿はタイ・モティーフの花柄のプレート。実はすごく似ているんだけれど、やっぱり民族性の違いなんでしょうね。細部は異なっています。今朝の朝食で使ってみましたが、テーブルクロスとの相性がとてもしっくりきます。
また探すものが増えたかな。ポーランドの陶器に加えて、タイの陶器。やっぱり飾る楽しみより使う楽しみ。夕飯はこのお皿に何をのせようかしらと思案中。でもガムランの練習あるから、夜帰ってあまりたいそうなもの作れないかしらね?
音の森ガムラン・スタジオが開設されてからもう2年です。年月が経つのは早いものだな、とつくづく感じてしまいます。音の森にバリのガムランが移ってから、私はまたここで月に一度程度のペースで講座を持つようになりました。東京を離れてもう15年目の私のことを忘れないでいてくれている音の森の方々や講座生の方々には本当に感謝しています。
今週の日曜日、この音の森ガムラン・スタジオの二周年記念特別企画で、「ガムラン・アンクルンの世界」が開かれます。実はこのガムラン・アンクルンは私の楽器なのですが、音の森に置かせていただいています。その楽器を使ったイベントがこの「ガムラン・アンクルンの世界」です。バリに行かれた方は、火葬儀礼などでこの楽器を見たことがある方もいるかもしれません。でも観光客用のイベントなどでは使われることのない楽器です。もともとは死者や魂のために行われる儀礼で演奏されるガムランでしたが、今は場所によってはオダランなどの寺院の儀礼や舞踊の伴奏として用いられるようになっています。
今回のデモンストレーションでは、踊りが3曲、それ以外に数曲の器楽曲を演奏します。なかなか聞く機会のない音楽をガムラン好きの皆さんに楽しんでいただければいいなと思います。ちなみに上のフライヤーの左側の部分、「ガムラン・アンクルンの世界」と読んでくださいね。くれぐれも縦書にして「ムンンルのガラアクンの世界」とは読まないように。
音の森二周年記念特別企画
Lecture&Demonstration
「ガムラン・アンクルンの世界」
日時:2013年4月28日(日)15:30開場 16:00開演
出演:レクチャー:梅田英春
演奏:Sari Mekar
(梅田英春・PUTU・皆川厚一・櫻田素子・城島茂樹・
増野亜子・渡辺泰子・大平美樹・根岸久美子・宮元真佐人)
舞踊:Nyoman Sudarsana・車田れい子・安田冴
料金:1500円
お申し込み方法:
要予約(先着順)
直接、又はE-mailにて、お名前・人数・ご連絡先を明記の上、
お申し込み下さい。
会場:音の森ガムラン・スタジオ
E-mail gamelan@otonomori.jp
路地から見る巨大なマンションを見ているうちに、ウルトラQに出てくる怪獣を思い出した。M78星雲からやってきた正義の味方がいない時代、怪獣はひたすら東京の街に襲いかかるばかりで、手のほどこしようがなかった時代のこと。
こういう考え方は、エントロピックなまなざしなんだろう。古き良き街並みが、都市開発の中で次々に消えていくっていうネガティブな視点…。授業で偉そうなこといっているくせに、どうして自分は「新しい街が次々に生成していく」というポジティブな視点からこの風景を受け止められないのか?でも、誰もが消えゆく過去を惜しむもの…。
いくつかの雑誌記事などでセルスト・ブルシエ=ムジュノの《クリメナン》が紹介されていて、なんとなくイメージは湧いていたのだが、やはり実際の作品を見、聴くのとは大違いだった。コンピュータ制御されて音が奏でられる電子音楽の世界とは異なり、この作品は実にマニュアルな作品。しかし、音が出る予測、瞬間、そうした時間的経緯が目で見える作品にはある種の安心感を覚えるのだ。
それにしても水面に揺らぎながら浮かぶ白磁の器の美しさもさることながら、その器が不規則にぶつかって奏でられる音は実にやわらかくて、あたかも水琴窟のさまざまな音が響いているようで、まさに癒しの音、癒しの作品。会場に用意された椅子に座ってしばし夢心地になる。
私はデジカメを構えてこの写真を撮ろうとしたときに、すぐ横に年老いた母親とたぶん私よりもずいぶん年上の娘の二人が、私と同じように東京駅をしばらく黙って眺めていた。「きれいだね」とか「すばらしいね」とか、普通は言葉にしたりするものだろうが、とにかく無言だった。不思議な沈黙によって、私の身体は凍りついたようにその場から離れることができなくなってしまった。
しばらくすると母親の方が静かに口を開いた。
「戦争中みたいだね」
それは、ある種の悲しみを込めた深いため息のような響きだった。そのとき私はハッと気がついた。復元された駅舎は、その建築美だけではなく、戦争という深い傷を蘇らせる悲しい装置であるということを…。
夜の蝶は陽が暮れない羽ばたかない。陽が昇るとは人目を避けて暗闇で眠る。でもライトアップの造形はどこにもいけない。その姿を白昼に晒すしかないのだ。はじめはきっと恥ずかしくて、でも動けないことにもどかしさすら感じていたのだろうが、今やもう悟りの境地に達したかのように、堂々と眠りについているようだ。
ぼくは君たちの夜の勇姿をみてあげることはできない。だから、今晩も光り輝くであろう君たちの「本当の姿」を想像することにするよ。君は何色に輝くのかい?それは君のお気に入りの彩りかい?通りゆく人々のさまざまな心を、この場所で大切な人に会う若者たちの心を、親に手をひかれる子供たちの心を…ほんのつかの間、ポカポカと温めてくれているのかい?
最も身近なところで自然のうつろいを感じることができるのは、東京の実家に戻ったときに歩く玉川上水の木々の彩りである。特に沖縄に住んでいた十数年間は、たまに戻る東京でこれを見つめながら四季を感じてきた。今はほとんど毎週末のように練習やら学会などで、東京に戻れるようになった。つまり、また東京に住んでいた頃のように四季を敏感に感じられるようになったということだ。
11月も半ばになると、玉川上水沿いのもみじの葉が色づきはじめて、枝の先端から幹に向かって、やわらかな赤色からちょっぴりくたびれた緑色へと、ゆるやかなグラデーションを描くようになった。瞬きしてしまうような真っ赤に染まったもみじも美しいが、こんな晩秋へよそ見もせずにまっすぐに向かう彩りも素敵だ。1週間後、また稽古で戻った時、どんなグラデーションを描いているだろうと思ったら、またこの場所で空を見上げるのが次の帰京の楽しみになった。
12月7日(金)、8日(土)に師走恒例になりつつある渋谷、光塾でのワヤン上演を行います。今回は、ワヤン・トゥンジュク梅田一座による上演です。
光塾のことを、「進学塾」だと考えていて、机をよけてそのスペースでワヤンをやるのではないかと思っている方がいるとしたら大間違い。光塾は、JR渋谷駅新南口から徒歩1分のフリースペースです。歩いて1分というのがすごい!新南口はハチ公口からは少し距離がありますが、JRでいらっしゃる方は湘南ライナーのホーム歩いていただければ、ほとんど駅の中の移動だけで光塾に到着できます。
今回も一回の公演は45名限定です。もっと広いところでという要望もあるのですが、この師走公演だけは、寒い冬、みな肩を寄せ合って、人形に手が届きそうな雰囲気の中でワヤンを楽しみましょう。今、バリでは、伝統的なワヤンには45人なんて集まりません。日本ってすごいなあ。
予約開始は明日から、メールにて受け付けます。定員に達したところで予約を締切ります。ご興味のある方は、ぜひ、お早目にご予約ください。
なお申し込み等の詳細は、こちらのアドレスでご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/wayangbali/