朝から強い日差しです
ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。
蕨沢川を渡らずに、南に下ります。
向こうに見える堆肥の覆屋、屋根にアオサギさんの姿はありません
去年は、よくあそこにいたのにね。
前に回っても、アオサギさんの姿はありません
右端にぽつんと残ったサイロ、酪農王国を夢見た跡です
三四郎地蔵&サマンサ地蔵&ののこ地蔵、ヘメリカリスがきれいに咲いたね
こんな巨大輪も咲き始めました
6月6日、最終回の鄕右衛門忌、テーマは「竜骨伝記の真実」でした
正徳4年(1714)、田中藤左衛門が竜骨を持って上野国山上の常広寺にやってきます。
その竜骨には「竜骨伝記」と鑑定書とも言うべき「證書」が添えられていました。
大正12年1月1日の火事で、竜骨も竜骨伝記も證書も焼けてしまいました。
でも、焼ける前にこれを写した人が2人います。
新田郡世良田村の毛呂権蔵と小俣・鶏足寺の和尚です。
毛呂権蔵家にも、ご挨拶しておきましょう
鶏足寺は、そのうちに季節を選んで、また参拝しましょう
5月27日、毛呂家すぐ裏の世良田行政センターに駐車して、裏から訪問です。
何年ぶりかな
シーンと静まりかえってます
毛呂家は、船田善昌館跡なのです
新里の人は、「新田義貞は善昌寺にいかってんだ(埋葬されているんだ)」と普通に信じてます
新田生まれのひめちゃんちのおかあさんには、「馬鹿なこと言ってんじゃあないよ」
250年前、毛呂権蔵もその著『上野国志』善昌寺の項で、「坊主の言っていることは嘘ばかり、でも景色のいいところだね」と記しました。
新田のゆかりを、くどくど聞かされたのでしょう
「おれっちは、船田善昌館跡だ」とは言わなかったでしょうけど、納得できず腹立たしい事だったでしょう
ひめちゃんちのおかあさんも、権蔵さんの怒り、共有してます
静かすぎて声をかけにくい、またそのうちにお邪魔します
権蔵さんのお墓のある普門寺(ふもんじ)にも寄っていきましょう
歴史公園入り口の信号から、普門寺の駐車場に回り込みます。
普門寺に駐車して歩いて戻り、さっき表示のあった閻魔堂(えんまどう)も覗いておきましょう
ガラス越しでよく見えませんが、閻魔大王と十王がおいでのようです。
合掌
普門寺へ戻ります。
歴史巡りコース、満徳寺→です。
ここから歩くと近いのかな?
屋台庫です。
世良田祇園に出動するのでしょう
普門寺、何年ぶりだろう?
すっきり整理されているような感じです
権蔵さんのお墓、見つかるかな?
(つづく)
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