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内閣府参与辞職にともなう経緯説明と意見表明、今後〈全文)

2010-03-07 17:04:38 | メディアから
3月7日の東京新聞に、内閣参与を務めていた湯浅誠氏に関する記事が二つ掲載されている
一つは「官民往来増やして」という言葉に代表させて湯浅氏が内閣参与を辞任したことを伝える記事であり、もう一つは27面特報面にある「本音のコラム」に山口二郎氏が書いた
「湯浅誠氏の闘い」と題したコラムです
そのコラム全文を引用させて頂く

「 先週の日曜日にNHKテレビで、湯浅誠氏の奮闘を描いた番組を見た。
 彼は、日本の反貧困運動のリーダーであり、昨年秋から内閣府の政策参与として失業、貧困、ホームレスなどの問題に政府の内部から取り組んだ。三ヶ月の闘いの様子を描いたドキュメンタリーには、役所の硬直性と、政策転換の難しさが浮かび上がっていた。
 役人はそれぞれいい人たちである。貧困問題を軽視しているわけでもない。しかし、自分の組織が過大な責任を背負い込むのを避けることを第一に考えて行動する。生活保護を実際に給付するのか自治体だが、保護申請の受付を容易にすれば市外からも大勢申請者が集まってきて、それだけ市の財政を圧迫する。
 この種の役人体質を笑うのは簡単だ。だが、実際に仕事をする現場職員にとっては、生活保護費や職員の超過勤務のためのお金を財務省がくれるならともかく、頑張って仕事をすればするほど自分の組織の持ち出しが増えるのではかなわない。
 そうした役所の発想を突破することこそ政治主導である。残念ながら、湯浅氏は政府内部から政策を変えることの限界を感じ、辞職を申し出た。湯浅氏の経験を検証し、官僚支配を打破するために何が必要かを考える必要がある。
 湯浅氏を引っ張り出した政治家はきちんと対応して欲しい。」
引用終り

あの番組で役人体質を如実に表わしていたのは、宿泊場所が、代々木の青少年センターに決まる経緯であった。まず、断る。その理由は暖房のためのボイラーをたく職員が休暇でいない。1500人収容の施設に500人しか入れない。青少年センターに決まったことを広報させない。年明けの4日には終わらせる。挙句には館内放送の設備を使わせないときた。あきれ果てて声も出ない。この施設を管轄する文科省の政務三役は何をしているのだろう。貧困対策は民主党の政策そのものではないか。文科省の政務三役は日教組出身者ばかりなのか。まるで、日教組の体質がそのまま文科省に持ち込まれているようだ。文科省の政務三役は痛烈に反省すべきだし、首相も官副総理もハッキリした指導力を発揮すべきだろう

湯浅誠氏がマスコミに送ったFAXがレイバーネットで公開されている

http://www.labornetjp.org/news/2010/1267807607040staff01

以下全文を記載しておきます

「内閣府参与辞職にともなう経緯説明と意見表明、今後

反貧困ネットワーク事務局長
NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長

                 湯浅 誠

 このたび、10月26日より就任していた内閣府参与の辞職願が、3月5日付で受理されましたので、ご報告します。1月29日の辞職願提出から受理に至るまでの期間が長かったため、多くの方よりご心配等をいただきました。感謝申し上げるとともに、以下、経緯の説明と私の意見、今後のことを述べさせていただきます。

 長文になりますが、お許しください。

1、経緯

 昨年10月4日に菅副総理より就任の打診を受けた際、私は以下のような“条件”付での就任をお願いし、副総理よりご承諾いただきました。10月26日の任命書自体は、鳩山総理大臣名で「内閣府本府参与に任命する」という、課題も期限もない定例の書式によるものでしたので、私と菅副総理の内々の取り決めでした。

一、(1)実効性のあるワンストップサービス(その場で決済し、居所確保できる)の実現、(2)行政機関の年末年始開庁、国の責任による住宅確保、を年末に向けた主要対策に据える。

一、当面の就任期間を年末までとする。それ以降については、双方協議の上決定する。


 以後、年末年始対応までの期間が非常に限られている中、私としては上記(1)~(2)を実現するために努力してき
たつもりですが、力及ばず不十分な点が多々ありました。この点については、これまでも報道等で話してきたし、今回の経緯説明とは趣旨が異なりますので、ここでは割愛します(詳しくお知りになりたい方は、近日刊行予定の清水康之・湯浅誠『闇の中に光を見出す ~貧困・自殺の現場から~』(岩波ブックレット)をご参照ください)。


 1月6日、山井厚労大臣政務官に「現在の年末年始対応が一区切りついたら辞職する予定」との意向をお伝えし、また1月11日に菅副総理にも同様の意向を伝えましたが、両者からは慰留を受けました。

 1月18日、東京都の年末年始総合相談が終了しましたが、なかなか最終報告が出てこなかったため、1月29日に1月末日を以て辞職する旨の鳩山総理宛の辞職願を、菅副総理に提出しました(東京都からの利用者状況報告等は、その後2月5日に提出されました)。

 2月17日、貧困・困窮者チームとして鳩山総理へ年末年始対応の報告を行う機会があり、その場で改めて辞意をお伝えしました。鳩山総理からは一度は慰留していただきましたが、最終的には「あなた(湯浅)の一番いいと思う方法でやってください」と言っていただきました。

 その後も菅副総理・山井政務官と何度か話し合いを重ねた末、3月3日、改めて定例の書式で辞職願を提出し、3月5日、受理されました(辞職のためには解任通知が必要と思っていましたが、解任通知は不要だそうで、辞職願の「受理」が必要だったということです)。

2、意見

1)政府(政権)との関係

 今回の辞任は、政府と私の間で何らかのトラブルがあり、それによって私が辞職を希望したという経緯ではありません。したがって、いわゆる「喧嘩別れ」の類ではありません。

 また、一連の年末年始対応ですべての課題が解決したと考えているわけでもありません。課題は依然として山積しています。

 にもかかわらず辞職するというのは、もしかしたら理解しがたいことかもしれません。しかし、私としてはこのような関わり方が自分にとってもっとも自然なものと考えています。

 私は、アドバイザー(参与職とはアドバイザーです)として政府に関わるということを、次のように理解しています。

政府がある“課題”を成し遂げようとしたとき、その“課題”遂行のために外部からのアドバイスを必要と感じ、その要請をします。要請を受けた側は、当然その“課題”の内容や、政府が取り組もうとしている手法や期間を吟味し、双方の方向がある程度合致したとき、両者の「契約」が成立します。それは、“課題”単位の契約関係であり、かつ今回の場合、年末年始対応までの約3ヶ月間でタイムリミットを迎える時限的なものでした。それゆえ、どれだけ内容的に充実していたかは別にして、当初予定していた一連の取組みが終了した段階で、辞職しました。

 世間ではしばしば、「政府に入る」ことは、政府を包括的に支持することや、政府と「べったり」になる、あるいは政府に「取りこまれる」ことを意味するかのように語られることがありますが、私にはそれがアドバイザーとしての本来のあり方だとは思えません。議院内閣制の下では、政府の代表は政党の代表です。政府の方針を包括的に支持するということは、政党の方針を包括的に支持するということでもあるでしょうが、そのような立場は民主党員の立場であって、アドバイザーの立場ではありません。

 また「言われたことは何でもやります」という、政府の“お手伝いさん”的立場というのとも違うと思います。ピラミッド型の官僚機構の中では、各省庁の政務三役と官僚の関係は上下関係でしょうが、アドバイザーとしての参与は通常の指示命令系統に属していません。したがって、部下もなく権限もない代わりに、政務三役に対してもより水平的な関係に立っています。何でも言うことを聞く人は、アドバイザーにはなり得ません。

 したがって、「ある“課題”の遂行のために、政府に対してより水平的・自立的な立場からアドバイスする人」が参与なのだと理解しています。私の勝手な解釈かもしれませんし、一度就任したからには政府がどのような方針決定をしようと最後まで支える、という立場の参与がおられてもいいとは思いますが、私はそうではないし、もし参与になることが政府と一蓮托生になることを意味するのであれば(菅副総理が私の“条件”を承諾してくれなければ)、就任しませんでした。私にとって重要なのは、政府ではなく、貧困問題が現実として改善されていくことだからです。政府が貧困問題に取り組むなら、私も協力する。貧困問題に取り組まずに放
置するなら、批判する。それは、政府が民主党政権であっても自民党政権であっても同じです。

 私は、市民運動家・社会活動家です。そして活動家は、各政党に対して中立的であるべきだと考えています。「日本の運動は政党に系列化されすぎている」というのが、尊敬する宇都宮健児弁護士(反貧困ネットワーク代表)の口癖ですが、私もそうありたいと願っています。そして、大学教授が参与に就任したからといって大学教授を辞さないように、私も市民運動家・社会活動家を辞めたつもりはありません。その意味では、「在野の運動か、政府の参与か」という二者択一が強調されることにも違和感があります。


2)官僚との関係(官民関係)

 官僚と民間の官民関係においても、私はもっと頻繁に「入ったり(就任したり)出たり(辞めたり)」できてもいいのではないかと思っています。

 今回就任するまで、私にとって「霞ヶ関」との関係は、会議室で向き合って交渉するか、正門前でハンドマイクを持ってアピールするか、しかありませんでした。中で具体的にどういう人たちが、どういう議論をして、どうやって政策決定をしているのか、さっぱり知らなかったし、見えませんでした。それゆえ、参与に就任して具体的な政策決定プロセスに関わってみると、官僚の人たちがどういう理屈で考え、どういうところに神経を使って、どうやって政策決定に至っているのかを垣間見ることになり、それは驚きや発見の連続でした。

 しかし、その驚きや発見は、私一人のものでしかありません。逆に私は、活動の仲間から「見えない」と言われるようになりました。中ではバタバタグチャグチャやっているのに、外からはその様子が一切見えない。ブラックボックスのようだと感じました。そして、外に見えるのは、どこまで本気で言っているのかよくわからない「官僚答弁」ばかり。これでは官・民の心理的距離は広がるばかりで、見えないことによるフラストレーションが不信感を惹き起こします。私が見聞きする官僚批判の中には、もっともだ思うものもあれば根拠のないバッシングと感じるものもありますが、その背景には「見えない」ことによる疑心暗鬼があるのではないか
と思います。

 官僚の側にも、わざと「見えなくしている」ような面があります。ブラックボックスは「守秘義務」という壁
で囲われています。外(民間)の人の話を聞くこと(ヒアリング)はあっても意思決定には参画させない。そのときに、常に必ず持ち出されるのが守秘義務です。「守秘義務のかかってない人間はいれられない。情報が漏れたら(反対する人たちに)つぶされる」と、霞ヶ関の中ではしばしば言われます。しかし、話している内容は国家機密や安全保障上の重要事項ではなく、一週間後には公表するような生活に密着した事柄だったりします。「守秘義務」は、まるで外部の人間を排除するための方便として使われているような面があり、そのとき外部の人間は、自分たち(官僚)の自由な意思決定を妨げるかく乱要因と位置づけられているかのようです。

 しかし、こうした官民の相互不信は、結局誰も幸せにしないのではないかと思います。官僚の人たちは制度・政策のプロ(職人)です。しかし、さまざまな立場の当事者の生活実態やその人たちの気持ちについては、まったくの素人です。他方、私たち現場の人間は、それぞれが携わっている分野での職人ですが、制度設計や政策の整合性を図る技術面ではド素人です。だとしたら、両者が同じテーブルを囲みながら相互の長所を生かし、より良いものを作るために建設的な共同作業を展開したほうが、より多くの人たちにとって幸福な結果をもたらすことができるのではないでしょうか。

 そして私は、そうした両者の溝を少しでも埋めるために、官民の間をもっと頻繁に行き来する人たちが増えるべきではないかと感じています。いわゆる「新しい公共」という概念では、公共を担うのは官だけではない、とされています。しかし現実問題として、民からは官がどう政策決定をしているのかさっぱり見えない、官は民を政策決定プロセスから排除するという中で、「ともに担う」ことなどできない。もっと、政策決定プロセスを知っている民間人、現場を知っている官僚が増えるべきではないでしょうか。

 私一人が入ったり出たりしたところで、全体に及ぼす影響は微々たるものです。ゼロかもしれません。本来ならば、NPOなどの市民団体の意見を政策決定プロセスに反映させる仕組みができあがる中で、もっとシステマティックに解決されるべき課題と思います。しかし、それはまだない。私や自殺対策のNPO法人ライフリンクの清水康之さんが、いわば「一本釣り」されて内閣府参与となったのは、とりあえず現場の意見を汲み上げるための方策という点で過渡的・実験的な性格を持っていると思っています(一人だけポチャンと官僚の中に投げ込まれて、さあやってみろ、というのは矛盾の凝縮体でもあと思いますが)。できれば私は、そうした中で、官民関係(内外関係)をもっと見通しやすくするために、「入ったり出たり」がそんなに特別なことではないよう
にしたいし、前例が乏しいなら前例を作りたい。それぞれの知見とノウハウは、本来は双方にとって有益なはずだと思うからです。

3、今後

 以上のことから、今後についても、政府が貧困問題についてどういう方針を持つかによって決めるというのが、私にとっては自然な結論と感じます。

 あたりまえですが、私は政権にとって外部の人間であり、大きな方針やそれに基づく具体的な課題設定は、政府が決めるべきものです。それが選挙を通じて国民から国政を付託されている政府の責任でもあり、主体性でしょう。そして、その課題について個別具体的に協力するかしないかを判断するのが、私の主体性です。

 年末年始対応を経て、私が関わっていた緊急雇用対策本部の貧困・困窮者支援チームとしては、年末年始に大量に年を越せない人が生まれないような通年対応が課題だと結論づけました。また私個人としても、とりわけ、(1)低所得者向けの住宅政策と(2)真に生活保護の手前に位置する第二のセーフティネットの構築、寄り添い型の人的サービスの確立が必要だと提案しました。

 政府が、自らの判断で、それらを取り組むべき“課題”と位置づけ、かつアドバイスを求めてくれるなら、再びその“課題”を遂行するために喜んで協力させていただくし、他の“課題”を設定して、その“課題”の遂行のために他の人のアドバイスを必要とするなら、それもそれでまったくかまわない。私にとって大事なことは貧困問題が改善することであり、在野であろうと政府の立場であろうと、それぞれにできることとできないことがある以上、またどちらの立場になろうと社会活動も政策提言もともにやっていく以上、参与であるかどうかが決定的な意味を持つとは思えないからです。

 最近、どんな立場になっても、やっているのは結局「隅(コーナー)のないオセロのようなものだ」と感じるようになりました。オセロでは、隅(コーナー)を取れば、一気に多くの石(コマ)をパタパタとひっくり返すことができます。外にいるときは中に入ればそれができるような気がし、中にいるときは外に出たほうがもっと思い切ったことができるような気がする。しかし、おそらくはどちらも幻想で、現実はどこにいようと「隅(コーナー)のないオセロ」なのだと思います。一気にどんとひっくり返せるような魔法はなく、一個ずつ地道に反転させていくしかない。

 現在、私はそのように思っています。

引用終り



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