院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

相関関係と因果関係の混同

2006-07-12 08:59:44 | Weblog
 喫煙と肺がんには相関関係がある。「相関」というのは統計学の用語である。事象Aの増加と機を一にして事象Bが増加する場合、AとBには「正の相関がある」と統計学ではいう。反対に事象Aの増加とともに事象Bが減少すると「負の相関がある」という。

 ここで重要なのは、「相関がある」ということは「因果関係がある」ことをまったく意味していないことである。

 話がややこしくなるので、具体例で説明しよう。ここ数十年のテレビの増加と結核の減少には「負の相関」がある。これは統計学的に厳然とした事実である。しかし、「テレビが結核を減らした」という「因果関係」は「相関」からは導けない。「相関」と「因果関係」とは本質的に無関係なのである。「相関」について「因果関係」を論じるのは、統計学上の結果に対する人間による「解釈」である。

 再度言うと、喫煙と肺がんには「正の相関」がある。でも、「喫煙が肺がんの原因である」という主張は、統計学的データに対する「解釈」(あるいは思い込み)に過ぎない。

 喫煙と肺がんに関する統計学上のデータに対しては、突飛なようだが、「元来、肺がんになりやすい人がタバコを好む」(だから、そういう人が禁煙しても肺がんになる確率は変わらない)という「解釈」も「タバコ原因説」と論理的にはまったく同等の権利でもって成立しうるのである。

 意外に思われるかもしれないが、喫煙が肺がんの「原因」であることを証明した研究は、今もってひとつもない。米国公共政策センターのロバート・F・トリソン教授(非喫煙者である)がいくら調査しても、そのような研究論文は見つからなかった(『喫煙と社会』、平凡社)。

 最近、東京や名古屋の大都市繁華街での路上喫煙が禁止された。タバコの火が通行人に対して危険だ、ポイ捨てが美観をそこねるというのが理由である。一理あると思う。

 だが、受動喫煙が肺がんのリスクを増すからと言われると、ちょっと待ってくれと言いたい。車の排ガスで自殺はできるけれども、タバコの煙で自殺はできない。繁華街といえば車の通行も多いところで、排ガスが充満している。そんな場所で受動喫煙を主張されても困ってしまう。

 さらに言えば、嫌煙権論者が車を運転するのは自己矛盾である。みずから排ガスばらまいておいて、嫌煙権も何もないではないか。嫌煙権論者には車に乗らないでほしい。

 タバコは確かにけむいし臭い。だから分煙には大賛成である。しかし、禁煙外来を開設するには、病院の敷地内全部を禁煙にしなければならないという。いったい何の意味があるのだろうか。

 なにか不穏な動きを感じる。ナチスが当時の優生学を援用してユダヤ人を迫害したように、現代は生半可な統計学理解でもって愛煙家を弾圧しているのではないか。かつてのファシズムが姿を変えて生き残っているとしか思えない。