みなさん大丈夫ですか?
ケガをしていませんか?
家族の方は無事ですか?
心配して下さった方。
有難うございます。
私も八蔵さんも元気です。
日に日に被害が拡大し不安が募ります。
でも、不安を感じているだけでなく、今自分が出来ることを精一杯し、生きることが大切なんだと感じています。
こうなって初めて人間の愚かさを知り、この天災は人間が作り出した物ではないか…と感じます。
優しやさや思いやりを無くし、自分の利益だけを求めるようになってしまった人間に、『もう一回学びなおしなさい』と試練を与えられたような気がします。
あまりにも大きな試練ですが、もう一度考え直し、生き直さなければならないと感じます。
被害にあわれた方の死を無駄にしない為にも、この天災から学び、しっかり生きなければならない。
みんなで助け合って、譲り合って生きていくことの大切さを、もう一度一から学びなおさなければならないと感じます。
今回、家族の大切さを強く感じました。
私の母は地震のあった日、たまたま東京に出てきていて、連絡が取れなくなりました。
母は色んな病気を持っていて、その中でも一番心配だったのは低血糖を起こさないかどうか…でした。
体調がよくない母が一人だったら…。
食べ物を口にしないと低血糖を起こし死んでしまいます。
体力のない母が長い列に並んで食べ物を買うことは不可能です。
友達と一緒にいるはずですが、別れてしまった後だったらどうしよう。
インシュリンは多めに持っているのか?
他の病気の薬はちゃんともっているのか?
何度連絡をしても携帯はつながらず…。
そのうち私の携帯の充電も少なくなり、家族みんなが必死に連絡をし続けました。
でも、母とだけは連絡がとれません。
心配しながらもしなくてはならない事があります。
土日に買い物をしようと思っていたので、食料は殆ど常備していません。
信号も街頭も何もかも消えた街は真っ暗。
食べ物を買いにコンビニに行きましたが、陳列棚は既に空っぽ。
携帯で商品棚を照らし、なんとか手に入れた『どら焼きとウーロン茶』を手に並んでいると大きな余震。
真っ暗な揺れる店内で『食べ物は無くてもいいからどうか母が無事でありますように』と涙が止まりませんでした。
だから母の無事を家族から確認できた時はどんなに嬉しかったか。
声が聞きたかった。
母の無事を目で確認したかった。
母の存在の大きさを知った日でした。
母は友達と別れる前で、その友達が母を守ってくれました。
体力のない母を風の当たらない安全な場所に避難させてくれたり、安全な場所に休ませて、その方が食料を確保する為、長い列に並び母に食料を与えてくれました。
そして電車が運行するようになってから自分の家に母を連れて行ってくれ助けてくれました。
母一人なら死んでいたと思います。
その方のご主人のご協力もあり、母は助けられました。
そのご夫婦が自分たちの欲望より、他人である母を優先してくれたので母は助かりました。
その家族、夫婦の絆があったからこそ、他人である母を思いやり、守る心のゆとりがあったのだ…と感じました。
母を助けて下さって、本当に本当にありがとうございました。
もう一人の友人も母を助けてくれました。
温かい家によび、食事を与えてくれました。
その方にも心から、心から感謝いたします。
私の弟のお嫁さんも母をどれだけ心配してくれたか。
結局母が家に戻ってきたのは日曜になった夜中。
お嫁さんが母を駅まで迎えに行ってくれました。
母の安否を電話で確認できても、母の顔を見るまでは安心できなかったようで…。
私の母を自分の母の様に心から心配してくれたお嫁さんに涙が出ました。
血はつながっていなくても本当の家族になっているんだと、とても暖かい気持ちに包まれました。
素晴らしいお嫁さんを持った事を幸せに思います。
年をとった私の両親の負担を減らす為に、こらからの非常食の買い出しに走ってくれ、おしまず自分の体を駆使し懸命に動いてくれるお嫁さんに心から感謝しています。
お嫁さんがいなかったら、母が買い出しに行き、重い荷物を持ち長い列に並び、いつ余震が起こるかも知れない不安な中、出かけなくてはなりません。
頑固な父の面倒も良く見てくれます。
仕事もあり、子供の世話もあり、疲れてるのに、年老いた私の両親をいたわり助けてくれるお嫁さんに感謝します。
親孝行なお嫁さんで…感謝しきれません。
本当にありがとう。
家族が一つにまとまり結束していれば、それはきっと周りにも良い影響を及ぼすと知りました。
いい家族を持って私は幸せだと今回改めて感謝しました。
『大丈夫か』と日に何度も連絡をくれる父、母、弟、お嫁さん。
この家族が私の宝物だと…喜びでいっぱいです。
でも、八蔵さんの両親を助けてあげられず申し訳なく思います。
お義母さんと電話で連絡をとっていますが、準備しておいた方がいい物を伝えると『教えてくれて有難う、じゃーすぐ買いに行く』と行っていました。
八蔵さんのお義母さんも、私の両親同様、年をとっていて、足が悪い…。
家族の為に、重い荷物を自転車の荷台に積み込んで、フラフラ自転車を運転するお義母さんを想像すると心配でたまりません。
買い物途中に地震が来て、転んだりしないか、大丈夫か…。
こんな時に近くにいて助けてあげられないのを申し訳なく思います。
『大丈夫よ』と電話口で明るく笑うお義母さんですが、テレビに映るお年寄りの方とダブって切なくなります。
口には出さなくてもそんな母を想い、気にかけている八蔵さんの気持ちを思うと苦しいです。
そんな八蔵さんの苦しみを近くにいても取り除く事ができない自分の無力さに憤りを感じます。
テレビでも、自分が食べなくても子供の為におにぎりを残す母がいました。
泥だらけで子供を抱く母がいました。
泣き叫んで子供の名前を呼ぶ父がいました。
『家族』について改めて感じるものがあり、家族の大切さを実感しています。
色んな方が心配してくださいました。
ここに一つ一つ書きませんが、本当に嬉しかったです。
有難うございました。
私はちょうどトールのお教室をしていました。
絵の具も水もひっくり返り、揺れが激しく怖かったです。
生徒さんと手をつないで机の下に身を隠しました。
なかなかおさまらない揺れに、このまま死ぬのかな?と思った時、一瞬八蔵さんの顔が浮かびました。
後は真っ白で記憶がありません。
声が出ない私に、私より年上の生徒さんが『こういう時は声を出した方がいいのよ』と励ましてくれました。
揺れがおさまると避難するように言われて避難しました。
駐車場の天井が崩れ、私が駐車していた隣の車の屋根に落ちていました。
なぜか急に荒れ狂ったように雪が降りました。
自然が怒っている…そう感じました。
家に帰ると真っ暗。
ストーブも懐中電灯もなく真っ暗な中で一人寒くて震えて過ごしました。
体が冷えきってしまうと毛布にくるまっても体温が上がりません。
寒くて眠れない…。
当たり前のようにつく光、暖かさ、あふれる食べ物。
それは当たり前の事ではないんだ…。
感謝を忘れ、当たり前の様に受け取っていた自分への天罰だと感じました。
電気がついてテレビを見て初めて被害の大きさに愕然としました。
それまで怖くて(今も怖いですが)気持ちがしっかりしていませんでしたが、『怖いと言っても大したことない、もっと大変な所がある、しっかりしなくちゃ』と強く気持ちを持つことが出来ました。
この災害で、理解しあえた人、残念だけど理解し合う事が出来ない人も知りました。
でも、理解しあえない人を自分と同じ世界に引き込もうとする自分は間違っていると気が付きました。
価値観が違う人は、違う世界で生きていけばいい。
色んな真実を見せて、気づかせてくれた、教えてくれた災害です。
これから自分は何をしなくてはいけないのか。
どうすべきなのか?
私なりに考えてしっかり生きたいと思います。
具体的にお仕事の内容は書けませんが、八蔵さんも仕事柄、連絡が取れなくなった被災者が家族と連絡を取る『家族と家族をつなぐ』お仕事を頑張っています。
日頃、会社に文句ばかり言っていた私ですが、『八蔵さんのしているお仕事は素晴らしいお仕事だ』と思うこともでき『いい仕事だ』と思う事が出来ました。
トラックの運転手をしている弟。
今日は『救援物資』を運んでいます。
間接的に助ける事が出来るお仕事に弟が携わっていることにも感謝しています。
義妹さんはお花屋さん。
30時間ほど電気がつきませんでした。
電気がつかないと普段聞こえている音が全く聞こえない。
不安な気持ちで一人部屋にいたとき、凛と咲いている『ラナンキュラス』を見て癒されました。
自分以外に生きている命の存在を感じた時、安堵感に包まれました。
『こんな時に花なんか売っている場合じゃない』と義妹さんは言っていましたが、『こんな時だからこそ、その花を見て癒される人がいる』。
いいお仕事だと思います。
みんな直接何かはできなくても、助け合っている。
私は何をすべきか。
何もできない。
でも、今をしっかり生きる事がこれからにつながると感じました。
まだ行方不明な方が沢山いて…心が痛みます。
一人でも多くの方が家族のもとに帰れますように。
そして一日でも多く、元の生活に戻れますように。
これから何が起こるかわかりません。
みなさんも十分気を付けてくださいね。
ケガをしていませんか?
家族の方は無事ですか?
心配して下さった方。
有難うございます。
私も八蔵さんも元気です。
日に日に被害が拡大し不安が募ります。
でも、不安を感じているだけでなく、今自分が出来ることを精一杯し、生きることが大切なんだと感じています。
こうなって初めて人間の愚かさを知り、この天災は人間が作り出した物ではないか…と感じます。
優しやさや思いやりを無くし、自分の利益だけを求めるようになってしまった人間に、『もう一回学びなおしなさい』と試練を与えられたような気がします。
あまりにも大きな試練ですが、もう一度考え直し、生き直さなければならないと感じます。
被害にあわれた方の死を無駄にしない為にも、この天災から学び、しっかり生きなければならない。
みんなで助け合って、譲り合って生きていくことの大切さを、もう一度一から学びなおさなければならないと感じます。
今回、家族の大切さを強く感じました。
私の母は地震のあった日、たまたま東京に出てきていて、連絡が取れなくなりました。
母は色んな病気を持っていて、その中でも一番心配だったのは低血糖を起こさないかどうか…でした。
体調がよくない母が一人だったら…。
食べ物を口にしないと低血糖を起こし死んでしまいます。
体力のない母が長い列に並んで食べ物を買うことは不可能です。
友達と一緒にいるはずですが、別れてしまった後だったらどうしよう。
インシュリンは多めに持っているのか?
他の病気の薬はちゃんともっているのか?
何度連絡をしても携帯はつながらず…。
そのうち私の携帯の充電も少なくなり、家族みんなが必死に連絡をし続けました。
でも、母とだけは連絡がとれません。
心配しながらもしなくてはならない事があります。
土日に買い物をしようと思っていたので、食料は殆ど常備していません。
信号も街頭も何もかも消えた街は真っ暗。
食べ物を買いにコンビニに行きましたが、陳列棚は既に空っぽ。
携帯で商品棚を照らし、なんとか手に入れた『どら焼きとウーロン茶』を手に並んでいると大きな余震。
真っ暗な揺れる店内で『食べ物は無くてもいいからどうか母が無事でありますように』と涙が止まりませんでした。
だから母の無事を家族から確認できた時はどんなに嬉しかったか。
声が聞きたかった。
母の無事を目で確認したかった。
母の存在の大きさを知った日でした。
母は友達と別れる前で、その友達が母を守ってくれました。
体力のない母を風の当たらない安全な場所に避難させてくれたり、安全な場所に休ませて、その方が食料を確保する為、長い列に並び母に食料を与えてくれました。
そして電車が運行するようになってから自分の家に母を連れて行ってくれ助けてくれました。
母一人なら死んでいたと思います。
その方のご主人のご協力もあり、母は助けられました。
そのご夫婦が自分たちの欲望より、他人である母を優先してくれたので母は助かりました。
その家族、夫婦の絆があったからこそ、他人である母を思いやり、守る心のゆとりがあったのだ…と感じました。
母を助けて下さって、本当に本当にありがとうございました。
もう一人の友人も母を助けてくれました。
温かい家によび、食事を与えてくれました。
その方にも心から、心から感謝いたします。
私の弟のお嫁さんも母をどれだけ心配してくれたか。
結局母が家に戻ってきたのは日曜になった夜中。
お嫁さんが母を駅まで迎えに行ってくれました。
母の安否を電話で確認できても、母の顔を見るまでは安心できなかったようで…。
私の母を自分の母の様に心から心配してくれたお嫁さんに涙が出ました。
血はつながっていなくても本当の家族になっているんだと、とても暖かい気持ちに包まれました。
素晴らしいお嫁さんを持った事を幸せに思います。
年をとった私の両親の負担を減らす為に、こらからの非常食の買い出しに走ってくれ、おしまず自分の体を駆使し懸命に動いてくれるお嫁さんに心から感謝しています。
お嫁さんがいなかったら、母が買い出しに行き、重い荷物を持ち長い列に並び、いつ余震が起こるかも知れない不安な中、出かけなくてはなりません。
頑固な父の面倒も良く見てくれます。
仕事もあり、子供の世話もあり、疲れてるのに、年老いた私の両親をいたわり助けてくれるお嫁さんに感謝します。
親孝行なお嫁さんで…感謝しきれません。
本当にありがとう。
家族が一つにまとまり結束していれば、それはきっと周りにも良い影響を及ぼすと知りました。
いい家族を持って私は幸せだと今回改めて感謝しました。
『大丈夫か』と日に何度も連絡をくれる父、母、弟、お嫁さん。
この家族が私の宝物だと…喜びでいっぱいです。
でも、八蔵さんの両親を助けてあげられず申し訳なく思います。
お義母さんと電話で連絡をとっていますが、準備しておいた方がいい物を伝えると『教えてくれて有難う、じゃーすぐ買いに行く』と行っていました。
八蔵さんのお義母さんも、私の両親同様、年をとっていて、足が悪い…。
家族の為に、重い荷物を自転車の荷台に積み込んで、フラフラ自転車を運転するお義母さんを想像すると心配でたまりません。
買い物途中に地震が来て、転んだりしないか、大丈夫か…。
こんな時に近くにいて助けてあげられないのを申し訳なく思います。
『大丈夫よ』と電話口で明るく笑うお義母さんですが、テレビに映るお年寄りの方とダブって切なくなります。
口には出さなくてもそんな母を想い、気にかけている八蔵さんの気持ちを思うと苦しいです。
そんな八蔵さんの苦しみを近くにいても取り除く事ができない自分の無力さに憤りを感じます。
テレビでも、自分が食べなくても子供の為におにぎりを残す母がいました。
泥だらけで子供を抱く母がいました。
泣き叫んで子供の名前を呼ぶ父がいました。
『家族』について改めて感じるものがあり、家族の大切さを実感しています。
色んな方が心配してくださいました。
ここに一つ一つ書きませんが、本当に嬉しかったです。
有難うございました。
私はちょうどトールのお教室をしていました。
絵の具も水もひっくり返り、揺れが激しく怖かったです。
生徒さんと手をつないで机の下に身を隠しました。
なかなかおさまらない揺れに、このまま死ぬのかな?と思った時、一瞬八蔵さんの顔が浮かびました。
後は真っ白で記憶がありません。
声が出ない私に、私より年上の生徒さんが『こういう時は声を出した方がいいのよ』と励ましてくれました。
揺れがおさまると避難するように言われて避難しました。
駐車場の天井が崩れ、私が駐車していた隣の車の屋根に落ちていました。
なぜか急に荒れ狂ったように雪が降りました。
自然が怒っている…そう感じました。
家に帰ると真っ暗。
ストーブも懐中電灯もなく真っ暗な中で一人寒くて震えて過ごしました。
体が冷えきってしまうと毛布にくるまっても体温が上がりません。
寒くて眠れない…。
当たり前のようにつく光、暖かさ、あふれる食べ物。
それは当たり前の事ではないんだ…。
感謝を忘れ、当たり前の様に受け取っていた自分への天罰だと感じました。
電気がついてテレビを見て初めて被害の大きさに愕然としました。
それまで怖くて(今も怖いですが)気持ちがしっかりしていませんでしたが、『怖いと言っても大したことない、もっと大変な所がある、しっかりしなくちゃ』と強く気持ちを持つことが出来ました。
この災害で、理解しあえた人、残念だけど理解し合う事が出来ない人も知りました。
でも、理解しあえない人を自分と同じ世界に引き込もうとする自分は間違っていると気が付きました。
価値観が違う人は、違う世界で生きていけばいい。
色んな真実を見せて、気づかせてくれた、教えてくれた災害です。
これから自分は何をしなくてはいけないのか。
どうすべきなのか?
私なりに考えてしっかり生きたいと思います。
具体的にお仕事の内容は書けませんが、八蔵さんも仕事柄、連絡が取れなくなった被災者が家族と連絡を取る『家族と家族をつなぐ』お仕事を頑張っています。
日頃、会社に文句ばかり言っていた私ですが、『八蔵さんのしているお仕事は素晴らしいお仕事だ』と思うこともでき『いい仕事だ』と思う事が出来ました。
トラックの運転手をしている弟。
今日は『救援物資』を運んでいます。
間接的に助ける事が出来るお仕事に弟が携わっていることにも感謝しています。
義妹さんはお花屋さん。
30時間ほど電気がつきませんでした。
電気がつかないと普段聞こえている音が全く聞こえない。
不安な気持ちで一人部屋にいたとき、凛と咲いている『ラナンキュラス』を見て癒されました。
自分以外に生きている命の存在を感じた時、安堵感に包まれました。
『こんな時に花なんか売っている場合じゃない』と義妹さんは言っていましたが、『こんな時だからこそ、その花を見て癒される人がいる』。
いいお仕事だと思います。
みんな直接何かはできなくても、助け合っている。
私は何をすべきか。
何もできない。
でも、今をしっかり生きる事がこれからにつながると感じました。
まだ行方不明な方が沢山いて…心が痛みます。
一人でも多くの方が家族のもとに帰れますように。
そして一日でも多く、元の生活に戻れますように。
これから何が起こるかわかりません。
みなさんも十分気を付けてくださいね。