カーク・ダグラスが亡くなった。103歳、大往生である。
ドク・ホリディをダグラスが、ワイアット・アープをバート・ランカスターが演じた「OK牧場の決闘」(1957年)は、同じ題材の「荒野の決闘」とは大きく異なり、講談調の男臭いアクション映画である。
結核を患うドク役のダグラスの豪快な飲みっぷりが最高で、よく真似てはそのたびみっともなくむせたものだ(注:上の映像はスペイン語吹替版です)。
この映画の撮影中にダグラスとランカスターは友情をはぐくみ、生涯の親友、そして自他ともに認めるライバルとなった。
イディス・ヘッドが衣裳を担当している
ダグラスの自伝「くず屋の息子(上下)」早川書房(1989年)刊は僕の映画話の最大のネタ帳である。
面白いエピソード満載なのだが、とりわけ忘れられないのは、何度か共演したジョン・ウエインとの「戦う幌馬車」(1967年)撮影時のものだ。
たしかに、ウエイン後期の凡作はすべてその通りになっている、と思い当たり、以来それを観るたび吹き出してしまう。
少し長いが下に引用する。
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ウェインの身体の不調は傍目にも見てとれたが、それで仕事をあきらめるような男ではなかった。プロに徹しているという点では、私は常々、彼のことを感心していた。いつもまっ先にセットに現れ、たいていのときは、特殊効果の連中のしていることを点検していた。そして何にでも、くちばしを入れた。私は話しかけるべきだった。このことではずっと悔やんでいる。しかし実際には、それどころではなく、彼にすっかり辟易していた。ウェインは監督をいいようにこき使っていた。自分の製作会社を設立し、自分を押さえつけていた ジョン・フォードのような強い監督たちから離れると、今度は、彼が監督を牛耳る支配者となったのである。「なんだと、こんな所にカメラをすえる気か。まったくもう。あっちにすえるんだ!」口ケ地はまったくの田舎だった。カメラをどの方角に向けようと関係ない。どこも美しい景色だった。勢ぞろいの場面では、しばしばウェインを真ん中にして片側にカウボーイが数人、反対側にも数人が並んだ。ウェインは左を向いて何かしゃべり、右を向いて何かしゃべる。そして一 同、前進するという具合だ。ある時点でふと気がつくと、いつのまにか私もこの振り付けにまきこまれ、彼の右に来ていた。ウェインが左の男を振りむいているあいだに、私は身をかがめ、焚き火にかけてあったコーヒーを注いだ。得意の芝居を続けようと、こちらを振りかえり、しゃがみこんでいる私をさがす羽目になったときの彼のあの表情は、一生忘れられないだろう。彼はどなりつけてきた。「いったいぜんたい…… !」 「 いやね、ジョン、みんなまるでロケッツ(ニューヨークのダンシング・チーム)みたいに勢ぞろいしていただろう。あれじゃ芸がないと思ってね」 彼は渋々ではあったが、承服した。