25歳の宮沢賢治が花巻農業高校に着任したのが大正10年、やぶ屋の創業は大正12年。
新し物好きの賢治先生が、新築二階建てのそば屋の常連になることは必然だったであろう。
「今日はブッシュ(藪)に行きましょうか。」
そう言って同僚を誘い、好物の天ぷらそばと当時高価だった三ツ矢サイダーを食す。
なんてハイカラな。
盛岡のフェザン(駅ビル)にやぶ屋のテナントが入っている。
「今日はブッシュにしようか。」
二人の子供たちからの返事はなかった。
確かに、彼らは「宮沢賢治被害者の会」(家族や友人に熱心な賢治ファンがいて、興味もないのに繰り返し話を聞かされ続けたため心底ウンザリしている方々)の正会員だ。
メニュー化されている「宮沢賢治セット」