今朝もまた、ウグイスの啼き声で6時ごろ目が覚めた。
ことし、令和四年は、東都の乾(いぬい…正しくは酉とりの方角だと思うが、巽が捩れない…ので敢えて…)の我が庵、お隣の文化園では近年リスぞ棲む…武蔵野市の一角にては、月暦二月十二日で新暦3月14日(日付だけ偲べば1701:元禄14年にては江戸城松の御廊下内にて刃傷事件の在った日、平成の世ではホワイトデーなる名称が盛んだった暦日)に、初鳴きを観測致しまして、
以来、隣国の戦火である人災の風評、地震や3月のライオンらしき気紛れなお天気と強風などの天変地異に心悩ませる日々を、朝方の一時だけでも、忘れるよすがとなっていた。
それでふと、あれは何度目の寅年であったか、年賀状に歌舞伎『鬼一法眼三略巻/きいちほうげん さんりゃくのまき』菊畑(きくばたけ)での虎蔵=実は牛若丸の拵えの似顔絵を極彩色で描き、版下にしてプリントごっこで印刷し、お送りした知人から「趣味爆裂の御年賀状、ありがとう御座います」との賀詞を賜ったのは…歌舞伎座ぐるいをしていた30代半ばのことで有りましたでしょうか…、そんなことがあったのを、春告げ鳥の囀りで想い出したのだった。
さて、私が20世紀最後の寅年に選んだ図柄は、前髪時代の源義経が平家を打ち負かす為、武術の奥義書・虎の巻を得んと、庭師に化けて潜伏している鬼一法眼の館でのお話でありましたが、
その鬼一法眼、長寿の御祝いである鳩の柄の杖をお上から賜る後期高齢者でありまして、剣のみならず風流も解する仁徳のあるご老体で、折からの菊の季節、庭木の手入れに、落葉を樹の根方に幾枚か残して掃除する、その風雅の心得を賞翫する雅さも持ち合わせている。
平安の和歌に表象される文化は貴族社会に限られたものであったようだけれども、永禄10年1567、稲葉山城を攻略し岐阜と名付けた織田信長が天下布武:てんかふぶを唱えてから、ほぼ半世紀のちの慶長20年=元和元年1615、大坂夏の陣にて天下を手中に収めた徳川家康が元和偃武:げんなえんぶを、日本列島の中心(?)で叫んで以来、平和であるからこその文化生活はあまねく庶民に行き渡り…日本国は紆余曲折あったものの、2022年の私もが、風雅を心に持ち得ている現在を迎えているわけである。されどしかし…
文化が再び特権階級に限定されるものであってはならない、そして、21世紀にもなろうというのに、昭和元禄から後退して、社会が富裕と貧困の二極化にある状態を、人間として看過することを恥ずかしい、と感じる見識がある人間を育てる土壌がなくてはならない、と、
再開発という御達しにより、ご近所の井の頭文化園のみならず、神宮外苑のイチョウ並木までもが伐採されてしまうらしい、文化・風土を蔑ろにした都市計画が推進されている現在に、
この鶯の声はいつまで聞かれるものかしら、庶民の心の慰めとは何処に在るものかしら…と、谷渡りを習得した彼のものの行く末に、心を痛める春の愁い…
ことし、令和四年は、東都の乾(いぬい…正しくは酉とりの方角だと思うが、巽が捩れない…ので敢えて…)の我が庵、お隣の文化園では近年リスぞ棲む…武蔵野市の一角にては、月暦二月十二日で新暦3月14日(日付だけ偲べば1701:元禄14年にては江戸城松の御廊下内にて刃傷事件の在った日、平成の世ではホワイトデーなる名称が盛んだった暦日)に、初鳴きを観測致しまして、
以来、隣国の戦火である人災の風評、地震や3月のライオンらしき気紛れなお天気と強風などの天変地異に心悩ませる日々を、朝方の一時だけでも、忘れるよすがとなっていた。
それでふと、あれは何度目の寅年であったか、年賀状に歌舞伎『鬼一法眼三略巻/きいちほうげん さんりゃくのまき』菊畑(きくばたけ)での虎蔵=実は牛若丸の拵えの似顔絵を極彩色で描き、版下にしてプリントごっこで印刷し、お送りした知人から「趣味爆裂の御年賀状、ありがとう御座います」との賀詞を賜ったのは…歌舞伎座ぐるいをしていた30代半ばのことで有りましたでしょうか…、そんなことがあったのを、春告げ鳥の囀りで想い出したのだった。
さて、私が20世紀最後の寅年に選んだ図柄は、前髪時代の源義経が平家を打ち負かす為、武術の奥義書・虎の巻を得んと、庭師に化けて潜伏している鬼一法眼の館でのお話でありましたが、
その鬼一法眼、長寿の御祝いである鳩の柄の杖をお上から賜る後期高齢者でありまして、剣のみならず風流も解する仁徳のあるご老体で、折からの菊の季節、庭木の手入れに、落葉を樹の根方に幾枚か残して掃除する、その風雅の心得を賞翫する雅さも持ち合わせている。
平安の和歌に表象される文化は貴族社会に限られたものであったようだけれども、永禄10年1567、稲葉山城を攻略し岐阜と名付けた織田信長が天下布武:てんかふぶを唱えてから、ほぼ半世紀のちの慶長20年=元和元年1615、大坂夏の陣にて天下を手中に収めた徳川家康が元和偃武:げんなえんぶを、日本列島の中心(?)で叫んで以来、平和であるからこその文化生活はあまねく庶民に行き渡り…日本国は紆余曲折あったものの、2022年の私もが、風雅を心に持ち得ている現在を迎えているわけである。されどしかし…
文化が再び特権階級に限定されるものであってはならない、そして、21世紀にもなろうというのに、昭和元禄から後退して、社会が富裕と貧困の二極化にある状態を、人間として看過することを恥ずかしい、と感じる見識がある人間を育てる土壌がなくてはならない、と、
再開発という御達しにより、ご近所の井の頭文化園のみならず、神宮外苑のイチョウ並木までもが伐採されてしまうらしい、文化・風土を蔑ろにした都市計画が推進されている現在に、
この鶯の声はいつまで聞かれるものかしら、庶民の心の慰めとは何処に在るものかしら…と、谷渡りを習得した彼のものの行く末に、心を痛める春の愁い…
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