長生き日記

長生きを強く目指すのでなく良い加減に楽しむ日記

279   水気とり

2016-08-18 23:40:47 | 日記
 今朝、明け方、と言っても雨戸を閉めているので外の明るさはわからなかったが、凄い雨の音で目が覚めた。気象屋さんではなくていい加減だが、あの降り方は一時間当たりにして100ミリほどではなかろうか。それが十分近く続き下火?になりまた少し経って五分ほどが何回か繰り返した。起きてみれば良いものを布団から出るのがおっくうで、タブレットで雨雲レーダーやアメダス、善福寺川の水位カメラなどで見物していただけ。危険水位は越えなかった。朝になって晴れてきたのでもう降らないだろうと傘を持たずに校正に出かけたが、昼前から暗くなってまたシャワー。朝ほどは降らなかったが(時間当たり30ミリって感じか)これも断続的にかなり降った。5時過ぎに帰るころにはほとんど上がっていてラッキー。子供の時の記憶は定かでないがよく言われるように集中的に降るのは最近の傾向だろう。地球全体の温暖化と都市の熱気とか関係しているのかしら。あんなに降って空中の水分がなくならないのだ不思議なくらい。湿った空気が連続的に供給されるからだ。それにしても、大気中の水蒸気は多いものだ。市販の湿気取りなんて気休めで、タンス内とかで使わなければ意味ないなあ。塩化カルシウムで500mlほど集めるのが、昔のデシケーターみたいで少し懐かしく、ドラッグストアで安売りしているとつい買ってしまう。

278  鏡

2016-08-17 23:39:53 | 日記
今日はまた暑さがぶり返した。このところいろいろ重なって行けなかったので久しぶりの弓道稽古。袴、胴着とも夏用ではないので暑い暑い。でも、お仕事で汗をかいている人たちに比べればブツブツ言うこともなく、汗たらたら。着替えの部屋には鏡があるが、着付けに必要という訳ではない。鏡の中の人は誰だろう。


277  郷に入れば郷に従え、か

2016-08-16 22:26:15 | 日記
♫ちーちーぱっぱ ちーぱっぱ 「先生! いちたすいちは何ですか?」
「えー、おほん 人間の学校では1足す1は2と教えちょりますが、わが雀の学校では、いっちょるたすいっちょるはにちょると おしえちょります」 ♫ちーちーぱっぱちーぱっぱ 「先生!2足す2は何ですか?」
「えー、おほん 人間の学校では、にたすにはよんと教えちょりますが、わが雀の学校では、にちょるたすにちょるはしちょると おしえちょります」 ♫ちーちーぱっぱちーぱっぱ むーちをふりふりちーぱっぱ ・・・・ ・・・・  
と、以下えんえんと、じゅうにぶんにやっちょるまで、弓道部の合宿打ち上げコンパで歌ったのはついこの間の今頃の季節のような気がする。
ある集団に属する、そこの習いに従う、従順で出世する、反抗する、洗脳される、淘汰される、出ていく、揃えるよろこび、外れる恍惚、・・・。

276   終戦の日に思う、時代の危機とは

2016-08-15 23:45:26 | 日記

今日は終戦記念日である。本当に終戦の日だった時に僕はちょうど六か月の幼児だったからよく言われる暑い夏の放送を知らない。成長するにしたがって・・わからないなりに戦後教育の良し悪しを感じ、60年安保闘争の雰囲気は嗅ぎ、60年代あたりでは少しの反米デモにも行き、ゲバラはカッコイイと思ったり、学生闘争にも少し参加し(主に大学管理法反対、学内民主?化だったか)、左派が当たり前のような大学集団の近くにいてその功罪を目の当たりにし、ベトナム戦争反対などにも行き、中国文化革命やポルポト虐殺など訳が分からなくなり、暗いソ連を覗き、アメリカの明暗を感じ、共産主義の退廃没落を見、民族?国家主義の台頭も見、などなど、もちろん日本の社会変化の中にいて・・・・。
人は歴史から学ぶか、政治家とか文化人とかって信用できるのか(もちろん、右も左も、右左なんてもう古い)、守るべきは何か、リベラルって何か、なんてもじもじしているうちにテロが増え、無人機戦争になり、情報とかがグローバル化し、時代の危機、いつだって危機かも。勝ち負けではなくて時代と人間は更新していく。若い日人にだんだん託すしかないのだろう。願わくば、いかさまな政治勢力に利用されず、右でも左でも(あれ、また言っちゃった)全体主義的なうっとうしい世にならないよう健全に見張り“参加”してほしい。まあ、長生きの我々も真の意味において、時代の危機に向きあいたいものである。短歌であろうと長生き日記であろうと。
写真はそういう名前の本、内容的に多くは是とするわけではないが。


275  メモリアル

2016-08-14 22:07:45 | 日記
 今日墓参りに行く途中、ペチュニアの植え込み上でぶらぶらしている蛹を見つけた。タテハチョウ、おそらくツマグロヒョウモン、のだろう。脱皮殻ではなく、寄生蜂にやられたのか、何らかの病気だったのか、羽化前に無念の死を迎えたらしい。触ると軽くて落ちてしまい、路上の枯葉にまぎれて見つけるのに少時を要した。
 昨夜、海外派遣の問題をテレビでやっていて、文民警察官としてカンボジアで活動されポルポト一派?に襲撃され亡くなった若い熱意ある方の死の様子を知った。当時のニュースでは見ていたのだろうが忘れてしまっていた。無念だったろう、お気の毒に。救われたのは、彼の遺族が(と報じていたが、おそらくその他の機関、ボランティアも加わって)寄付し設立した現地の学校が、彼メモリアルの学校として続いていることだった。
 これから、自衛隊や公的機関、あるいは民間組織の危険地派遣で命を落とす方の例が増えると(残念ながら)予想される。そういうことに派遣反対と騒ぐだけの人たちがいるが(それも一つの見解だとは思うが)、そういう時代になったのだ、そしてそれに行って貢献したいと思う人がいてその気持ちも大切なのだと思う。派遣にあたっての状況の吟味はもちろんだが、本人の意思を確認尊重すること、その活動の意義と安全を出来るだけ配慮すること(現地に入ってしまうとなかなか難しくなると昨日の報道にあったが)、それなりの派遣手当を支払うこと、事故があった場合のケアおよび無念の死の場合にメモリアル事業(なるべくその活動支援と関係した)を行うこと、などを法律で決めておくのが必要であろう。