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タイと日本の由々しき問題!

2007年12月22日 | タイの出来ごと、あれこれ
タイに関わる者として、ちょっと驚きのニュースがある大手新聞に掲載されていました。

昨年、日本に入国したタイ人女性は約8万人だそうですが、その一部の人が前時代的な「人身売買」という形で
日本に連れて来られ、売春などを強要されている女性が後を絶たないそうです。

一昨年に不法滞在者として、入国管理事務所に逮捕された外国人は、韓国、中国、フィリピン、タイ(12,787人)の
順だそうですが、売春などを強要される外国人女性はタイ人が一番多いようです。タイ国内で「日本のビザを
取得するのが難しい」といわれますが、これでは在タイ日本大使館が若いタイ人女性に、日本の観光ビザでさえ、
簡単に発行しない理由が分らないでもありませんネ。

大手新聞の取材によりますと、
タイで、まず元締めに仲介人がタイ人女性を紹介。その折に240万円の契約金を支払い、女性が逃げた時、家族に
払わせる契約金相当の借用書も持参させる。日本での稼ぎをあてにしている家族は借用書を拒まないとの事。
女性に服を脱がせ、出産の跡が無いかなどを調べることも受け入れ、人身売買と知りながらも「仕事」と割切って
日本行きを希望する女性が多く訪ねて来ると言います。

元締めは、日本のスナック経営者に一人当たり240万円で売り渡す。女性は、スナック経営者に日本での生活費などとして、
500万円の借金をした形にされ、500万円になるまで日本で働き、あとは自由の身となる。この頃には、当然のこと
不法滞在者となっています。元締めも日本の経営者も、損をしないように手を打っているようです。

パスポートは、日本人と結婚した者からパスポートを買ったり、借りたりして配偶者ビザを取得したり、偽造パスポートを
利用しているようです・・・ でも こんなことが現実に、まだ 行なわれているんですね。驚きです!

11月20日から外国人に指紋採取を義務付ける日本の入国審査制度が始まりました。この制度導入前は、他人名義の
パスポートで入国しており、これからは難しくなるでしょうが、こうした国境を越える犯罪は、先進国である
日本が先頭を切って解決すべき由々しき問題だと思います。

タイの田舎、地方での生活者の現実を鑑みると、元締めと日本サイド組織が撲滅されない限り、この問題は解決されないでしょう。

ワタクシ、十数年前に土浦市で、あるタイ人女性をタイへ逃がしてあげた手助けをしたことがありますが、
殆んどのタイ人女性が、日本へ来たことを後悔してしまう事を知っているだけに、タイサイドで何とか このような女性が
日本へ来ることを防げればと切に思います。


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3 コメント

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売春大国ニッポン (Prius)
2007-12-22 23:58:45
売春は必要悪である。
日本は、世界に冠たる売春大国です。
ピンサロやファッションマッサージのような準売春も含めると、売春婦の数ではタイを凌駕するかも知れません。

日本には売春防止法があるのに、実に不思議な現象です。
日本社会の「本音と建前」の見本のような現象です。

しかし、本番行為を行う日本人の売春婦は現代の赤線とも言うべきソープランドに限られて、横浜黄金町のような現代の青線とも言うべき場所では東南アジアの女性が大半です。

つまり、東南アジアや南米からの出稼ぎ売春婦無しでは、日本の青線は維持できない状況にあるのです。
これが、タイ女性はじめとする外国人売春婦が日本を目指す大きな背景です。

人身売買の被害に遭った東南アジア女性には気の毒ですが、このような人身売買を廃絶するには、受け入れ側である日本側が外国人売春婦を必要としない(または合法的に受け入れる)社会体制にする以外にありません。

売春防止法という法律を廃止して、売春を合法化し、売春婦を管理できる体制作りが求められます。

以下の長文は「メガポリス」誌からの転載です。

人身売買に対する法律が強化されたにもかかわらず、日本の性風俗産業は盛んである。これは、もっとも悲劇的な一人の犠牲者の話であるかもしれない。

ブアは絶望に暮れていた。夫が交通事故にあって以来ずっと、小さな村(タイ北部のロムサック郡)に所有する畑は人手が足りなくなった。一日に必要な最小限の食糧すら口にできず、ブアは3人の子供を養うため途方に暮れていた。

ある日、ジョーという年老いた男が現れた。ジョーの娘とブアの母親は親しい友人であり、ブアも顔見知りの男であった。その男はブアに、思ってもいないチャンスを持ちかけてきた。日本で歌手として働かないかという。ブアは日本のことは何も知らなかったが、すぐに使えるお金が手に入る。仕事のために家族と離れ離れになることを悩んだ末、将来良い暮らしが約束されていたので、残りたいという思いを断ち切った。

ブアはこの時知らなかった。しかし、これが人身売買を経て最後には刑務所へと続く道のりへの第一歩であった。

年間で約10万人のタイ人が日本に入国している。その過半数は女性で、正確な数字は不明だが大多数の受入先は1.2兆円の日本の性風俗産業である。

日本企業の勢力拡大や中東からの売春ツアー、ベトナム戦争など、これらは60-70年代のタイで人身売買発展における決定的な要因となった。この頃、他の地域に比べタイ北部の経済は深刻な低迷に陥っていた。追いつこうと躍起になって、地方当局では、若い娘を学校に通わせずにバンコクのマッサージ屋で働かせるように親たちに奨励した。

80年代には、タイ人売春婦の人数は年間で平均5,000人ずつ増加した。まさに需要も供給もあった。経済は潤い、金銭的余裕から買春を行う男性も増え、売春を行うために地方から訪れる女性も増えた。バンコクやパタヤといった都市では、ネオンに包まれミニスカートにハイヒールのバーガールが、通行人に向かって口をすぼめささやき声で楽しんでかないかと誘惑している。5年後には、絶望的な状況に追い込まれて成人向けの仕事を選択するという貧しい村の娘だけの話ではなくなった。教養があり経歴を備えた女性が、稼ぎが良いとの理由で、きちんと説明を受けた上で自ら性風俗産業で働くことを決断している。ビルマやラオス、カンボジア、ベトナム、中国の地方からも若い女性が詰め掛けてきている。

アジアでの移民労働者のネットワークが多国籍になるにつれ、意欲的な労働者にとって、日本は即座に人気のある目的地となった。70年代、会社員の間で盛んだったタイやフィリピンへの買春ツアーは、いくらか打撃を受けてその数も減少した。その結果、日本は詰め掛ける国際的なセックス取引に広く門戸を開き、タイはその主な供給先となった。

出国の直前に、ブアはタイ人女性を紹介された。この女性は日本人の夫がいて、タイと日本を頻繁に行き来するという。「日本に到着したら、彼女が働く場所を案内するよ」とジョーは言った。興奮と一抹の不安はあったが、身のまわりのものをほとんど持たずに、名古屋行きの飛行機に乗った。

ブアとその女性は、女性の夫と空港で待ち合わせした。その時だった、ブアが疑問を感じ始めたのは。三重県の四日市市に連れて行かれ、今度はポンという同じくタイ人の女性に引き合わされた。そこでブアは230万円で「取引」された。ブアを引き取ったポンは、渡航費に加え、ブアの借金は合計550万円あるという。ブアは困惑したが、借金があるのは当然だとなだめられた。事実、そのときは仲介人ジョーにはバンコクでの滞在費3週間分や、航空券代は払っていなかった。

ブアの仕事はウエイトレスではないと気づくのにそれほどの時間はかからなかった。ポンにアパートに閉じ込められ、客からの電話を待つように命じられて、彼女の不安は恐怖に変わった。客から電話が鳴り、受付係が受話器を取り、運転手が客との待ち合わせ場所のあらゆるホテルに連れて行った。売春をさせられるために。

すべては暴力団が背後で操っていた。ブアの病気や月経には関係なく、一日5~6人もの客の相手を強要された。借金を半分に減らすまでの5ヶ月間、いやいや要求どおりのこと行った。

ポンという女性が何者で、なぜ日本に住むことになったのか、詳しいことはまったく分かっていない。しかし、彼女は初代の人身売買の被害者ではないかと推測される。1980-90年代前半に移住した初代のタイ人女性の多くは、日本に定住し日本人男性と結婚し、現在は共謀して売春宿の経営、母国の友人や親戚のスカウトを行っている。

実際に利益を手にするのはポンのような移住女性ではなく、組織化した「人身売買業者」たちである。匿名で目立つことをしない、仲介人ジョーのような人間が、人身売買のすべての工程を管理し、利益をむさぼる。

「人身売買業者」とは、人身売買システムで活動する様々な人物をさす包括的な言葉だ。リクルーターの担当は、タイ北部などに出向き、被害者層の女性を誘惑することである。警戒心の強い人でもたびたび甘い言葉で誘われる。「たった数ヶ月でマイホームも夢ではないよ」とか、「タイ人どうし一緒にいれば安全だから」という。リクルーターは、立場が弱く追い詰められた環境にある人々を見つけ出すのに慣れている。対象となる女性は、家族の友人や同じ村の出身者の場合が多く、被害者に偽りの安心感を与える。

一方、ブローカーは脅迫や恐喝を専門とする。彼女たちが日本に到着するやいなや、残忍な方法で出迎える。アジア財団日本事務所、人身売買禁止ネットワークが行った調査報告によると、被害者は家族や自分に対する脅しに従うよう強要されたと訴えており、反抗した場合は罰金と暴力の両方を受けることになるという。女性たちに対して恐怖心をあおり、恐喝して、組織のために稼げるだけお金を稼がせることがブローカーの役割である。初回の取引が完了したとしても、そこで終わりではない。

「日本は他国と比べ、性風俗産業が非常に発展しています。その多くは、人身売買の被害者を搾取する店から間接的に利益を得ています。たとえば、風俗店を宣伝する雑誌や新聞、インターネットのプロバイダー、ウエブ・デザイナー、被害者がよく出入りする飲食店、ブティック、タクシー会社などです。性風俗産業は巨大で、人身売買と暴力は見えない幾重もの層に隠れています。」現代の奴隷制と戦う国際的なNPO団体、ポラリス・プロジェクトのケースワーカーを勤める藤原志帆子氏は語る。

このような劣悪な環境下にも関わらず、多くの移住女性は保護を求めていない。基本的人権の認識に乏しく、自由なお金がないまま、彼女らはその環境が外国人労働者としての仕方ないことなのである、とひたすら我慢しているのである。家族にお金を送ることが一番の目的でし、救助を申し出ても、ポケットからあふれるほどの札束を手にするまでは、本国送還を拒むのだ。

ブアも長い間、恐怖と虐待、性的奴隷に耐えてきた。しかしある日、ある出来事が彼女を変えた。ポンにある島の売春宿に売り飛ばされると告げられる。逃げようとすれば海に投げ落として溺死させるという。ブアはそれが何を意味するか理解した。ポンはもっとお金を搾取したいのだと、そして、新たに莫大な借金を彼女に課してくるだろうと。同時に、性欲旺盛な客や暴力団メンバー、、新たな監視下の生活、そして死の恐怖に新たに適応していかなければならないのだ。一瞬にして、5ヶ月間の恐怖生活の終わりはもはや見えなくなった。パニックに陥り、ブアは近くで働いていた友人と一緒に脱走を計画した。しかし、友人だけが成功し、計画は失敗した。

そして、ここから事件は日本史上もっとも悲惨な事件となって幕を閉じる。ブアは友人のブーン(三重県で同じく働いていた若いタイ人移民女性)を呼び出し、何があってもこの状況から逃れなければいけないといった。他の店に売り飛ばされないためなら、ボスであるのポンの殺害もいとわなかった。2000年7月、ブアの計画どおり、ブーンはビール瓶でポンを殴り殺した。ブアはポン殺害の容疑で7年の実刑判決を受ける。しかし、刑務所の医師により卵巣癌のため余命数ヶ月と診断され、2005年に解放され家族の元に送還される。一方ブーンは、10年の懲役を受け、現在も日本で服役中である。

日本は人身売買禁止に向けたイニシアチブが欠如しているとして、国際的に激しい非難を浴びている。それを受け、2004年12月政府は行動計画を作成した。翌年7月には、刑法が改正され、人身売買罪が公式に新設され、有罪の場合は加害者側に最高10年以下の懲役に処するとした。一方、入国管理法が改正され、被害者と認定されるものに対して保護施設や処罰、強制送還からの免除が与えられた。これらの法改正による実質的な成果はまだ見られないが、人身売買関連の起訴数は年々着実に増加しており、保護される女性の人数も増えている。2005年には警察により81件の人身売買事件が摘発されており、117人の女性が被害者と認定された。警察庁発表の件数によると、タイ人女性の被害者数は、その他の国の被害者の合計を上回っている。
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横浜黄金町 (sam)
2007-12-25 08:52:07
要するに何が言いたいのでしょうか??
>>横浜黄金町のような現代の青線とも言うべき場所では東南アジアの女性が大半です。

横浜黄金町は既に、行政、市民が一体となってかつての場所は解体、
公共施設とし市民に活用されているようですが、
地域の人たちの努力ために間違った情報はやめてほしいもので、この一行でそれ以降の記事そのものの真意が疑われます。
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黄金町は2005年壊滅 (Prius)
2007-12-25 21:24:17
横浜黄金町名物の「ガード下チョンの間街」は2005年に壊滅したようですね。

文中では、単に、タイ人はじめ外国人女性が多い売春街としての一例として、数年前雑誌などで有名だった黄金町を例示しただけであって、文意には何の影響を及ぼすものではありません。
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