「口切りの茶事」「芝山監物・しばやまけんもつ」
桃山時代の武人。利休七哲のひとり。通称源内、初名俊一、のち宗綱。はじめ石山本願寺に属し、のち信長・秀吉に仕えました。秀吉のもとで歴戦の功により監物に叙任、天正16年(1588)4月の後陽成天皇の聚楽第行幸には前駆をつとめています。茶の湯では天正9年2月19日に山上宗二・津田宗及を招いたのが記録上の初見です。
「雁取」長次郎七種のひとつ。利休が愛弟子の芝山監物に贈ったところ、返礼に鷹野の雁が送られてきたところから「思ひきや大鷹よりも上なれややき茶碗めが雁を取らんとは」という狂歌を詠んだことに因みこの名があります。胴にややくびれがあり、高台に利休の書判とされる朱漆がわずかに残っています。サンリツ服部美術館所蔵。
次回は「つ」。