昨日は久しぶりに遺跡の現地説明会に白雲の後輩と参加しました。遺跡の名は「山元遺跡」。新潟県村上市(旧神林村)助渕に所在し、旧岩船潟を中心に広がる低地に向かって北東から南西に延びる、標高約40mの丘陵に立地しています。日本海沿岸東北自動車道建設に先立つ試掘調査で発見されました。調査の結果、弥生時代後期(約2000年前)を中心とする遺跡で、日本海側最北の「高地性環濠集落・こうちせいかんごうしゅうらく」であることがわかりました。遺跡の重要性から工法変更(トンネル工法)され、遺跡は現状保存されています。
高地性集落とは、日本の弥生時代中・後期に、山の山頂部や斜面に形成された集落のことです。
弥生時代の集落遺跡は、周囲に濠をめぐらして外敵の侵入を防ぐ環濠集落が主で、これらはコメの生産地となる水田に近い平野部や台地上に形成されていました。それに対して、人間が生活するには適さないと思われる山地の頂上・斜面・丘陵から、弥生時代中期~後期の集落遺跡、すなわち高地性集落の遺跡が見つかっており、「逃げ城」とか「狼煙台」とかの軍事的目的の集落であったとか、その性格をめぐって様々な議論が提起されています。
この山元遺跡は日本海側最北というだけでなく、東北土器文化圏で初めて確認された高地性集落です。また環濠外の土抗墓群から61点に及ぶ大量のガラス玉が出土しています。
山を登っていきます。最近、全く運動をしていないので・・・ちょっと大変でした・・・。
白く引いてある線が濠(ほり)です。
遠くに弥彦・角田・佐渡が見えるのですが、昨日はお天気でしたが霞んで見えませんでした。弥生時代には岩船潟をのぞみ、さぞ素晴らしい景色だったことでしょう。ひょっとして磐舟柵と何か関係が・・・。