絵本の古本屋 【えほんやるすばんばんするかいしゃ】

営業時間:14時~20時
定休日:火曜、水曜
電話/FAX:03-5378-2204

あれこれ ② 「10/10(土)からの営業を前に」

2020-10-03 | ●思うこと


2018年が終わったとき
「ああ、終わったぁ、、」という感覚がありました。
満足感のような、充実感のような。
大きな区切りがついたような。

でも、よくよく考えてみたら
一体なにが終わったのか自分でもいまいちわからない。
だけど「終わった」という感覚は確かにある。
うーん、、。

これが一体なんなのか、はっきりさせておきたくて
これまでに何度も言語化しようと試みているのですが
どうにもうまくできないので、もしかしたら感覚的なものなのかもしれません。

とはいえ、やっぱり気になる。
芯の部分は言葉にできる自信はないので、その周辺のことを書いてみようと思います。

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2018年が終わると、2019年がやってきます。
終わったんだから、自然と別のなにかが始まるものだと思っていました。

ところが、いつものように何気なくお店を開けていたとき
「あれ、そういえば終わったはずなのに続いているぞ。なんで?」
という疑問がやってきました。
気持ちとしては終わっているのに、
現実は終わっていないし、なにも変わってない、という違和感。
変な例えかもしれないけど
「あれ?そういえば この映画、エンドロール全然終わらないな」
みたいな感じ。

もしかしてだけど、
終わり方がわからない、のかも。

あたり前かもしれませんが、時間が進んでいるんです。
それに合わせてお店も開くんです。
不思議に思って、意識して休んだりもしましたが
時間が進むと、また営業日がやってくるんです。
休んでるのに止まらないから、終われないんです。

そんなこともあって、2019年は どうしたら終われるのかが全くわからず
試行錯誤し続けた一年だったと思います。

「本が今までと一緒だからだ!」と思って、
とにかく一旦空っぽにしようと店内の古本も全て手放そうとしたし、
「場所に甘えすぎているからだ!」と思って
自分にとって一番落ち着く場所である2階部分を閉鎖したし、
(お店は元々2階部分だけだったのが後に1階ができて、さらに1階の奥に部屋ができました)
「計画を立てちゃうからだ!」と思って
出来るかぎり予定も立てないように、お誘い頂いたイベントもほぼお断りしたし、
店内での展示もやらないようにしました。
けれど、こちらのペースとは関係なく進んでいく何かがある。
ベルトコンベアーのような何かに乗っているような、
なんだかわからないけど、意思とは別の何かに動かされている。

一度終わった気分でいるので、とにかく終わりたいし
ひとまず立ち止まりたいのに、そもそも「立ち止まる」が、わからない。
時間が進んでいるように見えてしまう、感じてしまう。
これをどうにかしないと、立ち止まれない(ような気がする)。

そうこうしているうちにも時間はちゃんと進んでいて
2019年はなんとなく、終わった。

でも、年明け早々、転機があった。
背骨さんにお願いしていたお店の改装が終わったのです。
(倉庫だった部屋をお店に改装して頂きました)
内装について具体的な要望も示さず、明確な締め切りも設定せず
背骨さんにほぼお任せ・丸投げのお願いだったので(つまり自分たちは何もしてない)
いつ終わるのか、自分たちも正直よくわかってませんでした。
2019年の2月末にお願いしたので、約一年が経過していたことになります。

新たに生まれたその空間は、心地いいのか悪いのかすぐにはわかりませんでした。
うちの店の中に、うちの店じゃない店がある。
なんかそわそわする。
主観でしか見れないはずの店が客観でしか見ることができない。
客観ではすごくおもしろいと思っているけど、
これを無理やり主観で見ようとすると、妙に緊張する。
これ触っていいですか、とか店主にいろいろ許可を得たくなる感じ。
店主は自分のはずなのに、店主がいない。なかなか主観で見ることができない。
でも、脳内でこんなやり取りをしていると、
知らない自分が時々現れてちょっとおもしろい。
このそわそわ、なんかいいかもしれない。

そして、その空間や現象にはいろんなヒントがあって
古さや時間について、考えさせられました。
少しずつ、いろんなことが思い浮かぶ。

いろいろ実験してみようという気になってきた矢先、
世界中にコロナが発生し、お店は休みになった。

それからお店を4カ月休むことになり、その長い長い休業期間は、
強制的に休まされたという感覚はあまりなくて、
どちらかというと矯正に近い休みであり、時間だったような気がします。
(なんとなく韻を踏んでみた)
いま思えば、凝り固まった頭を柔らかくするために必要だったのかもしれない。

幸か不幸か、何度もやろうと思っても出来なかった
「立ち止まる」も、少しだけ出来たような気がする。
時間やカレンダーやお金に動かされていると思っていたけど
実際は、自分で決めた仕組みやルールに動かされていたことに気付く。
そしてその仕組み・ルール作りのベースに、時間やカレンダーやお金の存在があった。

これをまず無視するところから始めてみようと思ったけど、なかなか難しい。
抜けない自意識、感覚、クセ、執着。

毎日開いているお店への尊敬・敬意だったり、
街に根付いているお店への憧れだったり、
そういうものたちがちらつく。
たぶん、そういう店になりたかったんだと自覚する。
薄々気付いてはいたけれど、うちの店は街に根付いたお店ではない。
17年、高円寺でやってるけど スーパーや八百屋さん、
喫茶店や、ご飯屋さんや、新刊書店のように毎日通う人がいない。
その必要がないし、そもそも役割や性質が違う。
これをまず受け入れなければ。
うちの店は、高円寺やその周辺だけでは成り立たない。
日本中、世界中、広い世界にいるどこかのだれかに気付いてもらって
はじめて、商売としては成り立つ。
大多数の人にとっては興味がないことかもしれないけど、
遠くの近くのどこかのだれかっていうのが、自分にはちょうどいい気がする。
そうだそうだ、古い本なんて元々そういうものだったじゃないか、と思い出す。
その関係性が自分にはとてもちょうどよくて、気楽だったから
(新刊ではなく)古い本のお店を始めたんだった。そうだった。

人と会わない期間が長かったおかげか、
古い本たちとたくさん戯れられた。

古い本を見てると、時間の進み方が違うことに気付く。
うまく説明できないのだけど、時間がぺったんこになってる感じがする。
時間が止まっているわけじゃない。確実に動いている。
けど、進んでる、戻っている、という感じではない。
方向が決まっていない。あっちいったり、こっちいったり、とどまったり。
そしてそれは、自分の体感時間よりずっとゆっくり動いている。
ここになんとなくのヒントがあるような気がした。
と言っても、これをどうすればいいかはまだわからないけど、
これをお店にも反映できないかということを、ずーっと考えている。

でもまあ、考えてるだけじゃどうしようもないので、
実験を繰り返しながら少しずつ形にしていってみようと思っているところ。

前置きが長くなりましたが、10/10(土)から始まる営業期間と展覧会は、
お店としても個人としても大事な一区切りになると思っています。
そして同時に、はじまりにもなるといいなと思います。


店主




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10/10(土)~10/27(火)、期間限定営業いたします。 → 11/3(火)まで延長になりました
それに伴い、展覧会も開催します。

◎詳しくはこちら
https://blog.goo.ne.jp/nabusuraynohe/e/d545641dde926f29758e23538e83a425



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