脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

映画の彼方に懐かしい時間が流れる。

2010年11月20日 12時01分35秒 | 近況
今週は私には珍しく、図書館で邦画ビデオを借りて観ていた。    
小津の無声映画作品で「東京の宿」(1935)、「東京の女」(1933)、「出来
ごころ」(1933)などを初めて観た。

下町育ちの私としては、喜八さんとその子役の突貫小僧が愉快だった。
喜八役は俳優の坂本武(1899~1974)、子役は、突貫小僧こと青木富夫(1923
~2004)である。下町の工場労働者風情の喜八と小学生の息子の突貫小僧の
父子の、べらんめいな絡み合いが、何とも懐かしい気分にさせてくれる。
喜八のような人物風情は、下町でも近頃絶滅してしまったようである。

「出来ごころ」では床屋の壁に、「蟹工船」の作業員募集の張り紙があり、
子供の治療費を工面するため、喜八は蟹工船に乗る決意をする。
が、床屋の主は、アレは地獄船で生きて帰れるか分からないから止めておけ
と忠告している。
小林多喜二がマルハのカニ漁船を告発するような「蟹工船」を世に発表した
のが1929年、世界恐慌の年である。
1930年代には、蟹工船の惨状は世人の広く知る処となっていたようであり、
映画の筋にも登場する、この情報の拡がりには、少し意外な気もした。

それと、小津作品で惹かれたのは岡田嘉子(1902~1992)さんのカワイらしさ
である。特に「東京の宿」の、彼女の佇まいが好い。
和装ではあるが、髪型や顔付きは今風である。
演技としては「東京の女」の彼女が秀でている。
無声映画では顔中、体中で演技をしなければ伝わらない。岡田の表情の豊か
さや演技の迫真性は、今日の映画では失われてしまったのではないか。

岡田嘉子は、恋に奔放だった女性だったようであるが、共産党員で演出家の
杉本良吉(1907~1939)と連れ立って、1938年冬にソ連に亡命する。
二人はスパイ容疑で身柄を拘束され、杉本は銃殺されるが、岡田は生き延び
てその後日本に帰国したりする。

「東京の宿」の岡田は、子連れ未亡人役で、宿も職もなく途方に暮れている。
思い詰めたような、物憂く静かな面影を宿した、清楚な30代女性である。
数年後にソ連に男と亡命するような大胆な雰囲気は、映画からは窺えない感
じである。岡田嘉子は、現代に持ってきても、アイドル並みの容貌であるが、
心の内側には、命懸けでも燃やし尽くす、何らかの思いを秘めていたのだろ
うか。

小津映画のほかには、黒澤の「七人の侍」(1954)を久しぶり観た。
ストーリー、映像ともに、私の知る日本映画の最高傑作だと、今でも思う。
ふと、志村喬(1905~1982)さんの年齢が気になって調べてみた。
初老に見えるが、50歳前のようであった。今の私よりも若いのである。

志村喬のような男の風貌というものも、現代では失われたものなのだろう。
「男」の風貌とは、戦時や動乱を経ては、磨かれた代物だったのではない
だろうか?
それが失われたという事は、私はそれはそれで、良い事であると思ってる。










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