脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

仔細に沈思せよ/自由な距離を保って

2009年04月30日 20時24分59秒 | コギト
近年、鳥インフルエンザが取り沙汰されてきたが、
ここにきて、豚インフルエンザがパンデミック化する兆しにあるが、
ところで、中国のSARSはどうなったのだろうか?

SARSはこの世から撲滅されたのだろうか?
いつの間にか、SARS報道は幕が引かれたかのようにみえる。
SARS感染で死亡した中国人の数は実は相当多いのでは?
中国政府によってSARSは「政治的」に終息したのではなかろうか。
SARSは、おそらく今尚脅威として存在しているはずである。

豚インフルが、かつてのスペイン風邪のように世界を席巻するか、
どうか。目下、猛威の予断も油断も出来ない状況である。
最後の幕は政治が引くのだろう。国際政治的に終息し、収束される。

話筋が飛ぶようだが、
報道は客観的な真実の、統計であり内容だろう。
ヘーゲルは既に、客観性について、それは謂わば、
概念がその下に隠れているヴェールに過ぎないことを喝破していた。
ここでの「概念」とは、「言葉」と置き換えた方が理解し易いが、
「概念」を「情報」に、さらに「情報」を操作する「権力」に
置き換えてみるともっとよい。

豚インフルも、マスコミというヴェールが報じた「客観性」であり
「真実」に過ぎない。その裏面には権力の思惑が隠れている。
もちろん、豚インフル報道を虚報だと言いたいのではない。
現今の経済不況もパンデミックに似ている。
新型金融インフルエンザである。

SARS報道が消えると、SARSそのものも無くなったかのように
錯覚してしまいがちである。
報道がいかに我々に「現実味」を与えていることか。
パンデミックに行き着けば、人心収攬のためにも、権力は前景化し、
個人や社会生活に規制や管理を強化するであろう。
そのような際のマスコミは、面白いほど権力の機関化する。
たとえ事実が別に存在しても、報道されることだけが「真実」の
大本営発表の下に、国民は組み敷き置かれることになるだろう。

何だか、言いたいことが何処かに行ってしまった。
権力・マスコミ批判が趣旨なのではなかったのだけど・・・。
ボードリヤール風な話がしたかっただけだ。

アドルノは言っている。
「哲学というものは、明瞭性などを要求される筋合いのものでは
 ない。むしろそれを限定的に否定すべきである。
 ・・・すなわち哲学は自分が何を言い得ないかを具体的に言わ
 なければならない。」

私の今の思惟が、アドルノの主張の後半まで届いていないことを
不覚にも、未熟にも思う。







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