脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

無縁仏に明日をみた。

2009年04月24日 10時32分42秒 | コギト
毎朝、庭に出て木刀を振るのだが、最近ハエがやけに多い。
家の壁に7,8匹、飛び回っているものを加えると、20匹はいる。
どうやら工場の廃材置き場に発生源がありそうなので、
赤黒く錆付いた鉄材を少しどかして、奥を覗き込んだら・・・、

ネコが死んでた。

死期を予感して、人目の届かない場所を選んだのだろう。
両眼をきつくつぶり、口を叫びのように開け放っていた。
末期はさぞ苦しかったのかもしれない。

ネコの周囲には無数のハエが群れていた。
殺虫剤をばら撒いても、次から次とハエが出てくる。
一段落した処で、ネコの前足を引っ張ったのだが、
下半身が狭い隙間に嵌まり込んでいて、抜けない。
死骸が千切れてはまずいので、だましだまし、引っこ抜いた。

死後一週間くらい経過しているのだろうか。
痩せていて毛皮というか、剥製のようだ。
ノラ猫のようだが、このネコには見覚えがある。

二週間ほど前に、玄関先で私とすれ違ったネコだ。
私が振り返ると、ネコも私を振返り見返してきた。
その眼付きには、なぜか喧嘩を売るような、異様な迫力があった。
あのときのネコに相違ないだろう。

死骸を見ても、可哀相だとかとは、何も思わなかった。
生き物の、ネコに生まれつき、己が自然な宿命に殉じただけだ。
燃えるゴミとして処理して貰おうと、ゴミ袋に入れ、思いつきで、
庭に咲いていた花一輪、手向けておいた。
(本来は、保健所にでも連絡して引き取って貰うのだろうか?)

我が身だって、いつか路傍の骸となって果てるのかも知れない。
そんなことだって、私は「あり」だと思っている。
人生とは、世間という「街道を往く」が如し、と思っている。
「街道」を歩いているのだから、いつ死んでも行き倒れである。

この身は仮の宿り、冥途にみまかれば、抜け殻に過ぎない。
私も「燃えるゴミ」として、骨まで全てを焼き尽くして貰いたい。
私は神仏を信じない。ただ無に帰するだけ、いや本当は、
<ふるさと>としか呼びようのない、星の彼方に戻るのだと、
そんなふうに勝手に思っている。

注)この稿のタイトルは、笹沢左保氏の『木枯し紋次郎』第四巻
 副題から借用させて頂きましたことをお断り致します。




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