脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

最期の命。

2018年09月09日 14時13分54秒 | その他の病気
9月5日、私が単身、介護をしてきた母が、唐突に他界しました。
前日4日の昼には、訪問看護師さんが来て入浴をした後、台所のイス
に腰かけてオレンジ・ジュースをコップに半分程飲み、かすれた小声
で「あ_、おいしい~」と言ったのが、生前聞いた最期の言葉と姿で
した。

ジュースを飲み終えた母を、私はベッドに連れて行き寝かせてから、
台所でお昼のサンドイッチを食べ、2階に上がって部屋で録画番組を
観ていましたが、ウトウト寝てしまい、目が覚めたら4時過ぎでした。
母の様子を覗きに降りると、母はベッドから下り膝を畳について、上
体をベッドに預け、顔全体を掛布団にのめり込ませている状態でした。

今までにもそんな姿は何度か見ていたので、ベッドに戻そうと身体を
抱き起すのですが、体がぐにゃぐにぁして変な具合です。顔色も薄暗
く口をあけたまま意識もなさそう。更には、心臓も動いてない?よう
でした。うつ伏せ寝で窒息したのかと思いつつ、少し心臓マッサージ
の真似事をしましたが、全く反応なしです。

えっ! えーっ? これ死んでるの? すぐ救急へ電話した。救急隊
が来てあたふた人工呼吸やら電気ショックを行ってましたが、心臓は
全く動かないままでした。

 救:「どうしますか?」
 私:「どう? って、もう心臓動いてないんでしょ。どうしたらって…」
 救:「では、お見送りにしますか? それとも救命へ行きますか?」
 私:「え、お見送り? まだ見込みがあるなら、救命へお願いします。」

ということで、地元の大学病院の救急救命(ICU)へ搬送され、様々
救命の処置が執られると、心臓が2回動いては止まりしたのが、3回
目で、これでダメなら延命打ち切りという処で、鼓動が戻りました。

母の心臓は病院に到着する前に、既に1時間以上は停止していたと思
われます。戻るとは言っても、脈拍は100以上と速く、血圧は正常
域になりましたが、眼光反射には無反応、時折顔面をピクつかせるも
のの意識はないままです。他のきょうだい達も駆けつけ、その日私は
夜の11時までICUの病室で様子見を続け、一旦帰宅しました。

一体、このような状態の人間って、回復するのだろうか、良くても植
物状態なのか等々、不安や心配や悲哀やら様々な感情が渦巻いて眠れ
ないまま、午前4時頃枕元の電話が鳴りました。出ると、やはり病院
からでした。心臓が止まりましたという知らせでした。すぐ自転車で
病院に向かい、再度心臓が止まった母と対面しました。自宅での発見
時より顔色が良くなっていましたが、これが最期の死に別れでした。

ご遺体を清拭して貰い、病院では死因を確認したいので、脳のCTス
キャンを撮って、その結果を医師が説明してくれました。脳にくも膜
下出血の跡があり、それで意識を喪失し心停止まで至ったのだろうと
いう話でした。あのとき母は、就眠中に頭がとても痛くなり、耐え切
れずベッドから下りたのでしょうか。私がもう少し早くに、気づいて
あげられたらと、少し後悔と心が痛む思いでした。

母は享年86歳と9か月。今月は丁度2年前に亡くなった父の三回忌
の予定でした。夫婦ともに9月に86歳で亡くなったことになります。
葬儀は、子供きょうだい等近親者のみで、告別式だけの一日葬を明後
日執り行います。

二年前亡くなった父が呼びにでも来たのでしょうか。最期はたいして
苦しまずに、母はあの世に行けたと思います。父も母も、昭和一桁の
戦中派ですが、母は子供時代から日本舞踊が趣味で、踊りを踊ってい
るときが一番楽しかったと言ってました。

母にとっては自分の人生って、どうだったかは知りませんが、勿論、
厭なこともたくさんあったのでしょうが、わりと幸運で幸福な方のヒ
トの人生だったような気が、私にはするのです。(合掌)


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