今朝夢の中で、普段地味な父が、ピンク色のTシャツを着て何事かを
喋っていた。傍で結婚した妹が、この家は自分の夫が貰うからね、と
言っていた。私は庭で洗濯物を干していた。夏の陽射しが強かった。
* * * * * * * *
先週、暑い夏のお昼だった。多分外では、セミもジージー鳴いていた。
三人暮らしの我が家で、父も私も外出していた。精神病の母は、手に
包丁を持つと風呂場に入り、自分の身体を三ヶ所、腕・喉・腹と、刺
切した後、失神して床に崩れたらしい。
その頃私は、母の代理受診で精神科の医師と面談していた。処方箋を
貰って薬局に寄り、その後スーパーで買い物をして自転車で帰宅した。
隣家の前には、消防車と救急車が止まっており、傍に警官がひとり立
っていた。私が玄関を開けようとすると、鍵が掛かっていた。
鍵を持ってなかったので、庭側のサッシ窓を開けて部屋に入ると、何
だか様子がおかしい。調度品が乱れており、廊下には使った後らしい
バスタオルが2枚無造作に転がっていた。洗面台と風呂場の扉が各々
開いており、誘われるように風呂場を覗いてみた。悪い予感はしてい
たが、床一面、夥しい血の赤だった‥‥。
母は、地元の大学病院の救急救命センター(ICU)に搬送されていた。
緊急オペで腹部の縫合と、腕と喉の処置がされ、幸いにも自傷した三
ヶ所とも急所は外れていたらしい。但し、腹部だけは傷が深く再手術
その他の危険性があると告げられた。(腕も、筋肉や神経が切断されて
おり、搬送の2日後に手術を受け、手指の運動機能だけは取り戻せる
見込みである。)
* * * * * * * *
母の意識は既に回復している。自分がやったことも覚えているようだ
が、事柄の重大性を理解していないようだ。頭が痛かったので、死に
たかったという。本人は、死にたいほど重篤苦痛な頭痛持ちではない
はずだ。夜は眠剤を用いるが、寝床でスヤスヤ眠っているのである。
この「頭痛」というファントム(幻)は、一体何だろう?
母はそれから逃れたいがために、死を選ぶという。逆なのではなかろ
うか? 死を望む母の罪悪感が、頭痛を生んでいるのだ。
本人は、自分が生きていること自体が、ヒトに迷惑を掛ける罪悪だと
思っている節がある。申し訳ないから死ぬのだという思い込みらしい。
このような心理に入り込む前に、80歳を超えた老齢者である母にとっ
てこの世の「生」というものが、ボヤけ始めているのではとも思う。
自分の肉体も自分のものではない借り物に見え、玩具のように肉体を
「死」で弄ぶ。老齢と精神病、童心と狂気の下で、あの世とこの世の
境も、ボヤけだしているのではなかろうか。
たとえこれが、母という人間の必然であろうとも、自殺ではなく、天
寿に導いてあげたい。人間は自由であるべきだ。だが、社会のしくみ
の中で人に生かされている以上、或いは悲しむ他者が存在する以上は、
自由を理由に、自分の血を流すことは罪悪である。
寿命より前に、自死することは、(極く僅かの例外を除いて)罪悪であ
る。だがしかし、「狂」というものは、やがて罪悪さえ無効にして、
死へと超越させてしまうものなのだろうか。。。
* * * * * * * *
母の容態は今の処良好に推移している。傷が癒えるまで救命センター
でお世話になる。その後は、カウンセリングを主体とした精神科治療
を受けるようにと、担当医師から強く要請されている状況である。
喋っていた。傍で結婚した妹が、この家は自分の夫が貰うからね、と
言っていた。私は庭で洗濯物を干していた。夏の陽射しが強かった。
* * * * * * * *
先週、暑い夏のお昼だった。多分外では、セミもジージー鳴いていた。
三人暮らしの我が家で、父も私も外出していた。精神病の母は、手に
包丁を持つと風呂場に入り、自分の身体を三ヶ所、腕・喉・腹と、刺
切した後、失神して床に崩れたらしい。
その頃私は、母の代理受診で精神科の医師と面談していた。処方箋を
貰って薬局に寄り、その後スーパーで買い物をして自転車で帰宅した。
隣家の前には、消防車と救急車が止まっており、傍に警官がひとり立
っていた。私が玄関を開けようとすると、鍵が掛かっていた。
鍵を持ってなかったので、庭側のサッシ窓を開けて部屋に入ると、何
だか様子がおかしい。調度品が乱れており、廊下には使った後らしい
バスタオルが2枚無造作に転がっていた。洗面台と風呂場の扉が各々
開いており、誘われるように風呂場を覗いてみた。悪い予感はしてい
たが、床一面、夥しい血の赤だった‥‥。
母は、地元の大学病院の救急救命センター(ICU)に搬送されていた。
緊急オペで腹部の縫合と、腕と喉の処置がされ、幸いにも自傷した三
ヶ所とも急所は外れていたらしい。但し、腹部だけは傷が深く再手術
その他の危険性があると告げられた。(腕も、筋肉や神経が切断されて
おり、搬送の2日後に手術を受け、手指の運動機能だけは取り戻せる
見込みである。)
* * * * * * * *
母の意識は既に回復している。自分がやったことも覚えているようだ
が、事柄の重大性を理解していないようだ。頭が痛かったので、死に
たかったという。本人は、死にたいほど重篤苦痛な頭痛持ちではない
はずだ。夜は眠剤を用いるが、寝床でスヤスヤ眠っているのである。
この「頭痛」というファントム(幻)は、一体何だろう?
母はそれから逃れたいがために、死を選ぶという。逆なのではなかろ
うか? 死を望む母の罪悪感が、頭痛を生んでいるのだ。
本人は、自分が生きていること自体が、ヒトに迷惑を掛ける罪悪だと
思っている節がある。申し訳ないから死ぬのだという思い込みらしい。
このような心理に入り込む前に、80歳を超えた老齢者である母にとっ
てこの世の「生」というものが、ボヤけ始めているのではとも思う。
自分の肉体も自分のものではない借り物に見え、玩具のように肉体を
「死」で弄ぶ。老齢と精神病、童心と狂気の下で、あの世とこの世の
境も、ボヤけだしているのではなかろうか。
たとえこれが、母という人間の必然であろうとも、自殺ではなく、天
寿に導いてあげたい。人間は自由であるべきだ。だが、社会のしくみ
の中で人に生かされている以上、或いは悲しむ他者が存在する以上は、
自由を理由に、自分の血を流すことは罪悪である。
寿命より前に、自死することは、(極く僅かの例外を除いて)罪悪であ
る。だがしかし、「狂」というものは、やがて罪悪さえ無効にして、
死へと超越させてしまうものなのだろうか。。。
* * * * * * * *
母の容態は今の処良好に推移している。傷が癒えるまで救命センター
でお世話になる。その後は、カウンセリングを主体とした精神科治療
を受けるようにと、担当医師から強く要請されている状況である。
自死、自傷の倫理的な議論はおくとしても、
お母様の精神の安定と、Rondoさんの負担が少しでも軽くなることをお祈り致します。
暑い盛り、ただでさえ体調をくずしがちになります、どうか無理なさいませんよう。
母のことで、親身なコメントを大変ありがたく思っています。
今日(8/10)、母に会ってきましたが、とても元気そうでした。
口から流動食を採れる状態になっていました。
麻酔ボケなのか、ボケが進行している印象もありましたが、傷の治りは順調なようです。但し、腹部は今後悪化する可能性はあり得ると、医師から言われました。
病院側では、傷が治り次第、カウンセリング療法を取り入れた精神病院に転院させる方針だそうです。寛解するものか、あまり見通しが立ちませんが、当面はそんな具合です。
とちの木さんは、調子いかがですか?
ブログを更新されてないので、気になってました。
盛夏の折です。夏バテなど、どうかご自愛ください。
(Rondo)