脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

人品と慈愛。

2016年05月21日 16時28分42秒 | 社会時評
舛添都知事が、公金の私用疑惑につき記者会見をした。だが、具体的説
明を求める質問に対して、その回答のほとんどが「(弁護士等の専門家
による)第三者の目による公正な調査に任せたい」というものだった。

私はこの答弁に既視感を抱いた。それは、福島原発事故後に東電の幹部
たちが執った態度・口吻によく似ていた。東電幹部たちは記者会見で、
原発事故の責任と賠償を問われると、決まって「国のご支援を頂きなが
ら、また国のご指導を仰ぎつつ、誠心誠意果たしてゆく所存」だのと、
中身のない当事者逃れの定型答弁を再々した。

自分の口からは、実のあることは何も語らず、「責任当事者逃れ」に終
始する態度は、昔の東電幹部と都知事の答弁はよく似ている。両者は同
じマインドの持ち主なのだろう。またそのことよりも、都知事に強く感
じたことは、謝罪がヘタ過ぎることである。東電幹部の方がまだ役者は
上だった。

舛添氏は知性派エリートのせいか、頭を下げることが様になってない。
まるでサルに鉛筆を持たせて文字を書かせるように、不器用・不格好で
ある。仕方なく不慣れな身振りをしている風だが、おそらく高慢なプラ
イドが邪魔をして、上手に謝罪が出来ないのであろう。

マザーテレサだったか誰の言葉だか忘れたが、「学問は人を高慢にさせ
るが、慈愛は人の品格を高める」という。この言葉はナルホドと思う。
学だの知性だのは確かに、ヒトを高慢にさせる一面がある。それに対し
ヒトの人品を高めるものは、「慈愛」であるというのは、卓見だと思う。

ただの「愛」ではなく「慈愛」である。漠然と愛というと、恋愛を中心
とした異性感情に誤解されやすいが、慈愛というと差別のない博愛であ
り、愛の前に慈しみが付いている分、他者への親しみと思い遣りに溢れ
た愛という印象である。

人の品格とは、飛行機のファーストクラスでも高級ホテルのスイートで
もない。地位や身分、銭金や着飾った見栄えでもない。ただ慈愛の質と
量にあるのかもしれない。他人から尊敬と信頼を得たいのなら、知性や
教養、処世術を増やすことよりも、慈愛について学び実践し続けるべき
なのだろう。
(こういう私はどうなのかって?  さぁ、ただの評論家ですから。。)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 都知事のお品格。 | トップ | 口腔カンジダ症。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会時評」カテゴリの最新記事