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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

移ろいゆくもの

2022-01-21 | 日記
 私の住んでいる町には3軒の書店があるのだが、そのうちの1軒の店先に「今月末日をもって閉店いたします」との貼り紙がしてあった。理由は特に書かれていないので憶測するしかないのだが、結局、客足の減少に伴う売り上げ減、すなわち経営難ということに尽きるのだろう。
 いわゆる町の本屋さんという感じの比較的小さな書店だったのだが、品揃いが工夫してあってたびたび寄らせてもらっていた店だった。こうした書店の経営が立ち行かなくなっていく背景には、いわゆるネット販売の増加や電子書籍の普及、読書離れによる書店での購買層の減少等があるというのは一般的によく言われることである。これに対し、何かよいアイデアがあるかと言われれば口を噤むしかないのだが、町の中からこうした場所が少しずつ失われていくことは寂しいものである。
 書店、本屋は地域の文化の拠点であり、公共財的な価値を持っていると言っても過言ではないのである。

 少し話は変わるのだが、そんな矢先、1月11日に神田神保町の岩波ホールが本年7月29日をもって閉館するとの発表があった。ここは客席数200余の小ぶりなホールであるが、開館から54年を経ての閉館という事態には誰もが言葉をなくしてしまうようなインパクトがあった。それだけこのホールはわが国における「文化創造の根拠地」として実に大きな働きをしてきたのだ。
 私もまた岩波ホールで上映された数々の映画によって蒙を啓かれた者の一人であるが、映画以外にも、演劇シリーズの一環として上演された鈴木忠志演出の「トロイアの女」(1974年12月10日~1975年1月31日)と「バッコスの信女」(1978年1月4日~1月31日)の両作品は深く記憶に刻まれている。いずれにも能楽の観世寿夫師が出演されていて、その所作や声の圧倒的な響きと強靱さは今も忘れることが出来ない。
 それはまさに、伝統芸能と現代演劇の融合により新たな地平を切り開こうとする試みだったのである。当時は、現在各地に整備されているような公共劇場はほとんど存在せず、それだけに岩波ホールが果たした文化芸術における創造拠点としての働きは計り知れない価値を持つものだったのだ。

 さて、岩波ホール閉館の理由は、「新型コロナの影響による急激な経営環境の変化を受け、劇場の経営が困難と判断した」とされている。民間劇場・ホールの宿命として、採算性を度外視して経営するわけにいかないのは理解できるのだが、それにしても公共的な財産として、存続するための何らかの手立てはなかったのかとため息をつかざるを得ない。とりわけ、昨年2月には耐震性の強化やスクリーンを新しくするといった改修工事を経てリニューアルオープンしていたばかりでもあり、関係者の無念、心中は察するに余りあるのだ。