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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

トップガールズ

2010-12-23 | 演劇
 今月はじめに観た舞台、「トップガールズ」について書いておかなければならない。
 作:キャリル・チャーチル、翻訳:安達紫帆、演出:高橋正徳、企画制作:ミズキ事務所、会場:アイピット目白。

 幕開きはロンドンのキャリア・ウーマン、人材派遣会社の重役に昇進したマーリーンの祝いの席から始まる。実は、それはマーリーンが見た夢というか空想の世界なのであって、その席には、探検家イザベラ・バード、法王ジョーン、ブリューゲルの絵に描かれた悪女フリート等々、歴史上、芸術作品上で数奇な運命を生きた5人の女性たちが招かれ、ワインの酔いにまかせてそれぞれの女性としての戦いの人生について喧々諤々と語り合う。
 次の場面では一転して現実の世界が現れ、働く女性をめぐる様々な軋轢や葛藤など、現代女性の多様な姿が描かれる。
 そしてマーリーンとその姉ジョイスの会話を中心とした最後の場面では、自らの意志では選択できない時代と社会、環境、性など、女性にとっての切実な命題が露わにされ、観る者に深く問いかける。
 この舞台の初演は1982年。時あたかも鉄の女と呼ばれたマーガレット・サッチャーがイギリス初の女性首相となった頃である。彼女の出現は果たして女性の成功を意味していたのか、との問いもこの芝居にはこめられているようだ。

 出演者は、神保共子、山本道子、古坂るみ子など、文学座や演劇集団円の劇団員たちで、この演ずるには難解で相当に骨のある芝居をベテランの味でうまく料理していたが、私が特筆しておきたいのは、マーリンの姉ジョイスを演じた「かんこ」さんのことだ。
 かんこ、とはもちろん芸名であるが、以前は「菅伸」の名前でアンダーグランドの舞台で活躍していた女優さんである。知り合ったのは私が20歳の頃だから本当に昔々の話だ。
 その最後の舞台はたしか昭和の終わり頃で今回のように本格的な舞台復帰は22年ぶりとのこと。その間、出産、育児という時期があり、まあいろいろあったのだろうけれど、私生活上のことは私には分からないことが多い。何しろ彼女とは22年間も音信不通状態だったのだ。
 ただ、その間の時間の積み重ねが決して無駄ではなかったということは、今回の舞台の演技を見ればすぐに分かる。ベテラン揃いの布陣となったこの舞台において、彼女はひと際大きな独特の輝きを放っていたからだ。
 役者というものは不思議なもので、舞台を離れたり、芝居の世界から遠ざかったことがそのまま劣化を意味しない。例えばダンサーや歌手、音楽家であればそういうわけにはいかないだろうけれど、俳優は日常生活の中からでも多くのものを学び得るということの証である。年を重ねることが演技のふくらみとなって顕れる。
 もちろんそれはすべての役者に言えることでは決してない。多くの蓄積や感性があってのことであり、何より大切なのは感性であり、役者であり続けたいという意志の力なのだろう。
 彼女は、舞台に立つことのできない鬱々とした日常の暮らしの中で、ヘタクソなタレントの芝居を観ては毒づき、感動させる芝居を観ては激しく嫉妬しつつ日々イメージトレーニングしてきたと冗談まじりに言っていたが、その気持ちはよく理解できる。
 
 かんこさんはメールで「人の顔を見て老けたなというのは禁句よ」と言ってきたけれど、そんなことをもちろん言うはずもない。
 終演後、昔の仲間を交えて、22年という空白期間など吹き飛んでしまい、ほんの何日か会わなかっただけのように話に花が咲いたのは嬉しいことだ。
 それもこれも無闇に厳しかった肉体訓練や稽古、テントの芝居小屋を組み立てる材木運びにともに汗したという共通の思い出があるからだ。
 まあ、ただの感傷といわれてしまえばそうなんだけどね。でも、あの濃密な時間は強烈に私の脳裏に焼きついて今も離れない。
 そんな昔をなつかしみつつ、また何か新しいことが始まるという予感に震えた一夜なのだった。