seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

眼鏡デビューのこと

2010-05-10 | 日記
 しばらくブログから遠ざかってしまったが、なかなかパソコン画面に向かうという気分になれない状態だったのだ。
 すでに2週間以上も前のことになるが、左側の白目の部分の血管が切れ、出血するという事態となった。当の本人にはまるで自覚がなく、下まぶたのあたりに少しばかり異物感があるなというくらいの感覚しかなかったのだが、ちょうどそばにいた人から「ちょっと、目がすごいことになってるよ!」と注意されて気がついた。

 もともと充血しやすいタチではあるのだが、それどころの話ではなく、鏡を見ると、左の眼球を中心に目頭から下まぶたの部分にかけて白目がどす黒く血に滲んでいる。
 あわてて眼科医に駆け込んだのだが、いろいろ検査した結果、要は目の酷使による疲労ということらしい。
 乱視が相当程度に進行し、それに老眼が加わったうえ本来の近視も進んでいる、その状態で本を読んだり書類を見たりするのだが、そのピント合わせの調整を力ずくでやろうとするものだから目に負担がかかるのだ。
 手許の書類を見ながら、少し離れた場所に置いたパソコンの画面を眺めつつ作業をするという状態が最も疲れる。どうりで最近肩こりが甚だしく疲れがちだったわけだ。
 「よくこんな状態でいられましたね」と医者には言われた。「メガネをつくるべきですね」

 数日経ってようやく決心がつき、眼鏡屋に行ったのだが、そこでも「2年前にはつくっておくべきでしたね」と言われてしまった。
 つくったメガネは中近両用というやつで、室内での作業用だから、それをかけて屋外を出歩くと目がかすんで危険なことになる。
 それにしても読書は格段に楽である。肩こりも気持ちのせいか薄らいだようだ。
 それはそうなのだが、屈折の入り混じったレンズの調整を自分で加減するのにまだ慣れていないのと、近くにあるものがより大きく見えるレンズの特性なのか、手許に大きな原稿を置いて書いている時など、角度によってその用紙がひし形に歪んで見えてしまうのはどうしたものか。
 まだ操作に慣れないオモチャをあてがわれたようで戸惑ったままである。

 ただ、メガネのフレーム越しに世界を見る、という体験は新鮮なものだ。もちろん役のうえでメガネをかけて演技するという体験はあるのだが、実生活でメガネをかけるのは初体験なだけにそれで人前に出るのが気恥ずかしくもあり、何だか妙に誇らしくもある。それこそ新しいオモチャをもらった子どものような気持ちなのだ。
 サングラスは人格を変えるというけれど、こうした普通のメガネも顔の一部となれば、ある種の化粧のようなものだから、それをかけた人間の気持ちも変わり、ものの見方も変わるような気がする。
 これから自分の前にどんな世界が現れるのか、不思議な期待感でわくわくとしている。