いとうな日々

MLB、プロ野球他野球全般、ニュースなどについて、勝手にコメントさせて頂いてます!

真つ面(も):真面(まとも):真鑢

2010-05-06 | 読書
辞書を引くと、
1 まっすぐに向かい合うこと。正しく向かい合うこと。また、そのさま。真正面。「―に風を受ける」「―に相手の顔を見る」
2 策略や駆け引きをしないこと。また、そのさま。「―に戦ってはとても勝てない」
3 まじめなこと。正当であること。また、そのさま。「―な人間になりたい」「これは―な金だ」
とあった。


司馬遼太郎・「菜の花の沖」には次のような記述がある。

『西宮を出てしばらくは、風はいわゆる真艫(まとも)だった。風が船尾から素直に追ってきてくれる状態のことで、帆をあげっぱなしにして舵さえさわらずにすすむほどの風だった

「真艫(まとも)に帆にあたっている」

と、たれもがうれしそうにいった。船乗り冥加というもので、こういう場合はき口々に声をだして祝いあうのである。マトモな話ではないとか、マトモな人間とか、あるいはマトモにぶつかってしまったとかいう陸(おか)の言葉はこういう船乗り言葉からきたのであろう。』

板子一枚下は地獄であるから、まともでなければ、死につながると言うことなのである。生きている限りは全てのことにマトモに取り組めと・・・・

西福戦観戦

2010-05-05 | 九州六大学野球
今年のゴールデンウイークは天候に恵まれた。ここ2~3日は初夏を思わせる陽気である。今日はその最終日、昨日の一回戦で西南学院大学が福岡大学に勝利したと言うことで、本日は県営春日球場へ応援に出かけた。

試合は初回西南が4番川嶋の2ランで先制し優位に試合を運んだが、7回表西南投手陣の制球難に付込んだ福岡大学が3点で逆転しそのまま逃げ切った。西南の敗因としては、4~5回の追加点チャンスを潰したことだ。

九州六大学野球春季リーグ戦は第3週を終了して北九州市立大が5勝1敗で首位。優勝に大きく近づいたと言える。同大は6試合中4試合を完封、得点24、失点5で非常に安定している。(H22春 対戦表

母校西南大はチームとして後一歩のとこまでは来ているようだが、何が足りないのか全員で現状分析を行う必要があるのではないか。先輩としてはそう思う。

4月14日 福岡ドーム 対久留米大学 ○4-3
4月17日 桧原球場  対久留米大学 ●2-8

4月24日 久留米球場 対九州国際大 ●0-8
4月25日 久留米球場 対九州国際大 ○8-2

5月 4日 春日球場  対福岡大学  ○2-1
5月 5日 春日球場  対福岡大学  ●2-3

本日は、勝ちゲームであったと思われるので落としたことは痛いが、5月15、16日の九大戦、21、22日の北九大戦の4試合を残しているので、九大戦、北九大戦を連勝して最後まで優勝を目指して欲しい。
西南大が福大破り3勝目
九州六大学野球春季リーグ(西日本新聞社後援)の第3週第1日は4日、福岡県春日市の県営春日公園野球場で3試合を行い、北九大、西南大が勝利。九州大は久留米大を3-2で下し、今季初白星を挙げた。西南大はエース八木修平(4年・武蔵台)が9回を5安打1失点で完投。9回に小谷彬浩(3年・筑前)の右越え決勝打で福岡大に競り勝った。北九大が4勝1敗で単独首位に立ち、2位には福岡大、九国大、西南大が3勝2敗で並んだ。

■八木1失点完投勝利 小谷勝ち越し打
仲間の思いが詰まった1点を守りきった。2-1の9回2死一、三塁、フルカウント。八木が投じたこん身の直球に、福岡大4番の今塩屋のバットが空を切る。「見逃しで追い込んだとき、動揺が顔に出ていた」。心理的に優位に立った八木が、窮地を切り抜けた。

「開幕から不本意な投球が続いていて、今日こそはチームに恩返ししたかった」。全勝を誓って迎えた今季。力みと焦りで、冬場に修正したはずの「上体投げ」に戻っていた。九国大に3回1/3KOされた前戦から10日間でフォームを改善。球威がよみがえり、5安打完投で勝利をつかんだ。

 粘投に打線も応えた。4回には下田が右越えに同点のソロアーチ。1-1の9回2死二塁では、2安打の時任が敬遠され、これに発奮した小谷が初球を右越え二塁打にして勝ち越した。「試合ごとに日替わりヒーローが出る。雰囲気もいい」と松村監督も頼もしげにナインを見つめた。リーグ戦折り返し地点で3勝2敗と勝ち越し。投打のかみ合った西南大が波に乗ってきた。

西日本新聞)

北九大完勝 首位守る
九州六大学野球春季リーグ(西日本新聞社後援)の第3週第2日は5日、春日球場で3試合を行い、北九大が九国大に連勝して5勝1敗で首位を守った。北九大は下村進悟(4年・筑陽学園)が3ラン本塁打を含む2安打4打点の活躍。4投手の無失点リレーで8-0と完勝した。福岡大は7回に連続押し出し四球などで3点を奪い、3-2で西南大に逆転勝ち。4勝2敗で単独2位となった。九州大は久留米大に3-2で競り勝って連勝した。

西日本新聞)

どんたく

2010-05-03 | WEBLOG
「博多どんたく港まつり」が3日、福岡市で開幕した。福浜の会社へ行く途中、渡辺通りのホテルニューオオタニ前で花自動車に遭遇した。

今年の福岡市内を巡る花自動車は六台、題材は童話「不思議の国のアリス」「一休さん」等で、子供たちは「ピカピカしてきれい」と大喜び。

今年から環境に配慮して、1台約1350個の電球の半分以上に発光ダイオード(LED)が使われていると言う。

主催者によると、昨年より約10万人多い約120万人の観光客が訪れ、華やかな歌や踊りを楽しんだという。また、名誉市民でプロ野球福岡ソフトバンクホークスの王貞治会長が昨年の山笠に続き、人力車で登場し、見物客から喝采を浴びた。

4日夕刻の「総踊り」で二日間の祭りは終了する。

菜の花の沖

2010-05-02 | 読書

BOOK情報に基づいてあらすじを紹介すると次のようになる。

(一)江戸後期、淡路島の貧家に生れた高田屋嘉兵衛は、悲惨な境遇から海の男として身を起し、ついには北辺の蝦夷・千島の海で活躍する偉大な商人に成長してゆく…。沸騰する商品経済を内包しつつも頑なに国をとざし続ける日本と、南下する大国ロシアとのはざまで数奇な運命を生き抜いた快男児の生涯を雄大な構想で描く。

(二)海産物の宝庫である蝦夷地からの商品の需要はかぎりなくあった。そこへは千石積の巨船が日本海の荒波を蹴たてて往き来している。海運の花形であるこの北前船には莫大な金がかかり、船頭にすぎぬ嘉兵衛の手の届くものではない。が、彼はようやく一艘の船を得た、永年の夢をとげるには、あまりに小さく、古船でありすぎたが…。

(三)蝦夷地の主・松前藩は、アイヌの人びとを酷使して豊富な海産物を独占していたが、この内実を他に知られるのを恐れ、北辺にせまる大国ロシアの足音を聞きながら、それをも隠し続けた。漸くにして嘉兵衛が巨船を作り上げ、憧れのかの地を踏んだころから、情勢は意外な展開をみせ始めた。幕府が東蝦夷地の経営に乗り出したのだ。

(四)エトロフ島は好漁場であったが、すさまじい潮流が行く手を妨げ、未開のままだった。しかし幕府は北辺の防備を固めるため、ここに航路を確立する必要を痛感して、この重要で困難な仕事を嘉兵衛に委ねた。彼の成功は、蝦夷人にも幕府にも大きな利益をもたらすであろう。が、すでにロシアがすぐとなりのウルップ島まで来ていた。

(五)ロシアは、その東部の寒冷地帯の運営を円滑にするために、日本に食糧の供給を求めた。が、幕府が交易を拒絶したことから、報復の連鎖反応が始まった。ロシア船が北方の日本の漁場を襲撃すれば、幕府も千島で測量中のロシア海軍少佐を捕縛する。商人にすぎない嘉兵衛の未来にも、両国の軋轢が次第に重くのしかかってくる…。

(六)突然の災厄が、嘉兵衛を襲った。彼自身がロシア船に囚われ、遠くカムチャツカに拉致されたのだ。だが彼はこの苦境の下で、国政にいささかの責任もない立場ながらもつれにもつれたロシアと日本の関係を独力で改善しようと、深く決意したのである、たとえどんな難関が待ち受けていようとも…感動の完結篇。

司馬遼太郎の長編小説「菜の花の沖」を読み始めている。淡路島の貧家に生れた高田屋嘉兵衛が裸一貫から身を興し、蝦夷(北海道)交易を中心に廻船業者として活躍し、優れた航海技術と商業感覚で巨万の富を築く一方、私財を投じて商売の本拠地・箱館(函館)の開発や、郷里・淡路島の整備事業を成し遂げていく。また、エトロフ島への航路を開き魚場を開発した開拓者として、あるいは日本とロシアの紛争を解決した国際人として、今直高く評価されている。

これから、一ヶ月ほど、その壮大なロマンに酔おうと思う。

『こちらが裸の人間としての尊厳をもちさえすれば、相手も身分制や立場の衣装をぬいで裸にならざるをえないという人間関係の初等力学のようなものが、嘉兵衛の腑のなかに棲みついた』

嘉兵衛の生涯に影響した出来事であった。