自由広場

穿った独楽は廻る
遠心力は 今日も誰かを惹きこむ

以心電信?はぁぁぁぁぁ!?

2005-07-17 21:38:20 | どーでもいいことつらつらと。
引越しの準備をしていました。
といっても荷物なんて大してない。
持っていく物は、着替えと、「家にあるとカッコよさそう」って理由から買った小さなホワイトボードと、色々なプリントをペタペタ貼っていた掲示ボード。あとは思い出。うん、そんくらい。


そのボードに貼られていた連絡網をはずしていると、妙な気持ちに襲われました。


連絡網・・・・・。なんだか、懐かしい響きです。



まだ、携帯を持っていることが奇跡と呼ばれていた頃、友達と連絡を取り合う唯一の方法は家に電話すること-通称家電-でした。

「明日遊ぼうぜ」の一言も、メールのなかった頃は一苦労でした。


だからこそ、僕らは学校で事前に綿密な計画を立てていました。

今は、どうだろう。


誰かと遊ぼうと思ったら、今すぐ携帯を手にとって「遊ぼう」とメールするか、電話すればいい。

いざ待ち合わせる時も、場所を明確にしていなくとも当日電話で話せばうまく集合できる。


ああ、なんと便利な世の中だろう。

でもその反面、このように「無計画」に物事を遂行することは、大変危険なことなんじゃないか。と大げさに考えてみたりもします。

「ご利用は計画的に」なんて標語(?)をよく耳にしますが、金銭の話だけじゃなくこれは全てにおいて大事なことかもしれません。


こう、携帯に頼りっぱなしってのは、正直どうなんですかねぇ?

携帯に頼りすぎると、ルーズになっていく傾向があります。
待ち合わせをする場所も適当にしてしまったり、いつでも連絡が取れるからと時間に遅れても別段気に留めない人がいます。

お堅い自分は、これが許せない。


もう一つ。
連絡網で友達に家電する時も、事前に綿密な計画を立てていました。俺の場合ね。

「ご両親が出られたらどう対応しよう」とか、「夜だから最初の挨拶は『夜分遅くすいません』にしよう」とか。


そうやって、言葉遣い・礼儀作法を自然と学んでいました。

皆さんもそういう経験多かったと思います。

子供の頃って、やけに電話が緊張しましたよね。俺だけなのかな?


今の子供達って、どうなんだろう?
ちゃんと上手な電話対応ができるのかな?


こういうところに、本当の教育があると思います。相変わらず偉そうなこと言ってますが、携帯だけに頼りすぎるのは絶対危険だと思うんです。




取り外した連絡網は、月日の流れと陽に焼けて、古い本のように黄色く褪せていました。
高校、中学、小学校と時代を下るにつれてその色は濃くなっていく。

気になるあの子の連絡先も書いてある連絡網だけど、思い切って電話、なんて勇気は僕にはなかった。「親が出たらどうすりゃいいんだよ」。



携帯は、ものすごい発明だと思う。
でも、こいつが背負ったリスクは大きいとも思う。

時間を守ることができる人は信頼を得る、状況や相手に合った上手な対応をできる人は柔軟性に富む。


人を形作る要素は、こんなしょぼいボードに貼られた小さなプリントにも、ちりばめられているのですね。

Dr.マリオもびっくりだ(題名より。分からん人は別にいいです)。