『アマギ級宇宙空母』並びに、その準姉妹艦である『グローリアス級宇宙空母』は地球防衛艦隊初の空母型戦闘艦艇として知られる。しかし、その定義はいささか曖昧であり、あくまで艦種類別上の結果論に過ぎないとする意見もある。
本級計画当時の地球防衛軍は、多数の艦載機を搭載・運用可能な戦闘艦艇の建造経験に乏しかった。数少ない実績にしても、一個戦闘航空隊を搭載し、実質的には“航空戦艦”であった宇宙戦艦ヤマトと、民間船を小改装した特設艦船群に限られた。
特設艦船における空間用航空機(航宙機)運用の歴史は、ガミラス戦役中期にまでさかのぼることができる。
波動機関を持つ者/持たざる者の差から、艦艇性能において圧倒的な格差が存在した地球と大ガミラス帝国であったが、それは航空機用機関においても同様だった。しかし、圧倒的戦闘力を発揮したガミラス軍機も、艦艇と比べれば規模と耐久力で大きく劣る為、当時の地球の貧弱な軍事力でも辛うじて撃墜・撃破が可能であり、事実、戦役勃発後の早い時期に、大部隊を投入してのガミラス軍機の回収が試みられ、甚大な損害と引き換えに、撃墜機の回収に成功している。
回収された撃墜機は直ちに解析が行われ、ガミラス航宙機の機関が非液体燃料式の動力機関であることが判明した。しかし、機関への供給経路などから燃料タンクと推測された機内スペースは回収時点で完全に“空”であり、解析を担当した研究者たちを長期に渡って悩ませることになる。ガミラス軍機の撃墜から回収に至るまで、作戦を指揮した地球防衛軍は完全なモニタリングを行っていたが、何度状況を確認しても、撃墜機が燃料を投棄した形跡が全く見られなかったからだ。
当時、ガミラス機解析チームに加わっていた研究者(後にノーベル物理学賞を受賞)は、後年の自著で『ガミラス機は霞を食って飛んでるんじゃないかと思った』と述べていることからも、彼らの苦悩ぶりが窺える。
彼らが苦悩から解放されるには、損傷したガミラス艦艇が地球防衛艦隊に捕獲されるのを待たねばならなかった。ガミラス艦の機関を分析した結果、“波動機関”とその燃料としての“タキオン粒子”の存在が初めて確認されたからである。宇宙エネルギーの一種であり、超・光速粒子であるタキオン粒子を当時の地球人類は理論上でしか認知できていなかったことを思えば、研究者の言う“霞を食って”という表現もあながち間違いではなかった。
ガミラス軍が使用する機関は、広義においては艦艇用・航空機用共に『波動機関』であったが、機能上の差異は非常に大きかった。艦艇用波動機関は、タキオン粒子の“捕集”と、捕集した粒子から膨大なエネルギーを得る過程で必要な“濃縮”というプロセスを機関内で行っているが、航空機用機関はいずれの機能も有していなかったからだ。これにより、航空機用機関は艦艇用に比べて大幅な小型化と簡易化を果たしていた。また、艦艇用機関はワープ航法時の大出力に耐久可能な堅牢さが求められるが、ワープを行わない航空機用機関にはそこまでの強度は不要であり、一層の簡略化・低コスト化が可能だった。
以降、地球防衛軍はガミラス軍が使用する機関の模倣に全力を注ぎ、まずは航空機用において大きな成果を挙げることになる。艦艇用機関もこの時期までに一応の実用化を果たしていたが、波動機関の出力増幅に不可欠な“濃縮”と『波動触媒』の問題をクリアーできず、深刻な出力不足に喘いでいた。これに対し航空機用機関は、低濃縮状態のタキオン粒子(タキオン燃料)を艦艇用機関等から外部供給してやれば、ほぼ計画通りの出力が発揮でき、製造コストの面も窮乏状態にある地球で量産が可能な範囲に収まっていた。
尚、航空機用簡易波動機関が艦艇用と明確に区別され、『タキオン・エンジン』や『コスモ・エンジン』と呼称されるようになったのはこの頃からと言われている(“タキオン・エンジン”実用化までの経緯・詳細については別章を参照されたい)。
そして2196年、『タキオン・エンジン』を搭載した人類初の実用空間戦闘機『九六式宇宙戦闘機“コスモ・タイガー”』が実戦配備に至る(増加試作機の実戦参加は2195年から行われていた)。同機は初めてガミラス軍航宙機に匹敵する性能を有するに至った『名機』として知られ、その搭載機関は燃料噴射技術の未熟と冶金技術の限界から、航続距離や耐久性の面で未だ改善の余地を残していたものの、こと短時間の発揮出力については初めてガミラス軍機に伍する性能が得られた。
航続距離の不足から、初期の投入局面は拠点防空に限定されたものの、本機の登場によって少なくとも同数以上の空戦でガミラス軍機に後れをとることはなくなり、戦術的奇襲に成功した際などは、一方的にガミラス機を殲滅することすら可能になった。
当時、ガミラス軍が太陽系に持ち込んでいたのは、同軍内でも旧式に属する機体が大半であったとはいえ、地球が初めてガミラスに匹敵する軍事的要素を獲得したことは画期的事態であり、圧倒的劣勢下での戦闘を強いられていた地球の防人たち――地球防衛艦隊にとっては大きな福音だった。
そして、地球航宙機初の名機“コスモ・タイガー”の名は、後の傑作機『一式宇宙戦闘攻撃機“コスモ・タイガーⅡ”』にも受け継がれることになる。
埋めようのない艦艇性能差、溶けるように失われていく戦力、日に日に縮小していく人類生存領域――そうした絶対的劣勢下において、地球防衛艦隊が数少ないイーヴン要素である空間用航空機の前線投入を試みたのはある意味必然だった。2197年、幾多の尊い犠牲の末に、自軍航宙機の性能に対する自信を深めた防衛艦隊は、一〇隻を超える空間用航空機運用艦艇の急速整備を開始する。
とはいえ、既に一線戦闘艦艇の補充にすら事欠く当時の地球に、多数の新規専用艦を建造するような余裕がある筈も無く、整備されたのは全て徴用した民間船舶からの改装艦であった その改装にしても、大型カーゴシップの船外デッキに駐機スペースと最低限の航空艤装を施しただけの極めて簡素なもので、原則として機体は露天繋止、整備作業も重船外服を着用して真空下で実施しなければならなかった。
平時であれば絶対に採用されることのない(運用安全基準を到底満たせない)艦であり、その用途から誰もが思い浮かべるであろう艦種名で――航空(宙)母艦と――呼ぶ者は皆無だった。艦種類別上の正式名称は『空間用航空機支援艦(略称:航空支援艦)』とされたが、この名称は殆ど普及せず、関係者が自嘲混じりに呼んだ『CAMシップ』『MACシップ』の方が、遥かに通りが良かった。
だが、あまりの簡素さと運用の危険さ故に艦隊配備当初はパイロットの乗艦拒否すら発生した『航空支援艦』が、実戦においては少なくない戦果を挙げることになる。
当時の地球防衛艦隊は守勢防御を徹底しており、艦隊行動から落伍したガミラスの独航艦襲撃を常套戦術としていた。その際、艦隊はアステロイドベルトを根城として活動していたが、あまりに広大なアステロイドベルト全域に航宙機を運用可能な基地を設置できる筈もなく、前述した航宙機の足(航続距離)の短さもあって、非常に限られた状況下でしか航空支援を実施することができなかった。
しかし、航空支援艦の戦場展開に成功すれば、艦隊はいかなる状況下でも航空支援を享受することができた。懸念されていた速力や防御力の不足も、直接戦闘域には決して近づけないという慎重な運用に徹すれば、充分に許容可能なレヴェルであった。“戦闘艦”としてではなく、リロケータブルな簡易航空基地、いや“野戦飛行場”として割り切ってしまえば、防御に徹した地球防衛艦隊にとって本艦は非常に使い出のある艦だったのだ。
また、航空支援艦の投入によって、“艦載機”に対する評価も急速に変化していった。艦載化に伴い『九六式宇宙艦上戦闘機』に改称された“コスモ・タイガー”は、当初は防空や空間打撃戦における艦隊直掩が主任務とされていたが、足の短さを補うことが可能な母艦の存在によって投入局面が激増したからだ。
従来であれば投入が躊躇されるような長距離索敵や追尾、攪乱といった大距離進出を伴う任務にも艦載機ならば投入可能であり(最悪、燃料切れに陥っても母艦が回収に向かうことができた)、しかも大抵の場合、艦艇を投入するよりも効率的且つ効果的だった。
その事実は、常に戦力不足に悩まされていた艦隊指揮官たちを何よりも喜ばせた。極論すれば、支援任務には費用対効果に優れる艦載機を充て、正面戦闘においては稼働全艦艇を戦場に叩き込むことが可能になるからである。
さすがに、この時期の空間用航空機は対艦攻撃能力に乏しく対艦戦闘の主役にまで躍り出ることはなかったが、母艦とセットになることでどれほどの威力(戦力柔軟性)を発揮するかは完全に証明された。
ガミラス戦役が自然休戦に至るまでに建造された特設航空支援艦は、実に二八隻。それらの機動力・防御力は(ソフト面はともかく)ハード面では民間船舶と殆ど変わらず、仮にガミラス艦と遭遇すれば十死零生は確実であり、事実、休戦まで生き残った支援艦は僅か三隻、内一隻が大破状態という惨状だった(健在な二隻はガミラス戦役末期の『太陽系外縁会戦』において第三〇二航空隊を発艦させた『八幡丸』と『リオ・ハドソン』)。
本来、艦載機発艦後は安全な戦場後方で待機している筈の支援艦が突撃駆逐艦並みの損耗率を強いられるに至った原因は、敵手であるガミラス軍にあった。『“静かの海”直上会戦』後に大ガミラス帝国軍太陽系派遣軍司令官に就いたバルケ・シュルツ中将は過去の自軍損耗を詳細に分析した結果、航空支援艦の脅威を正しく認識し、最優先攻撃目標とするよう命じていたからである。
しかし、九割を超える損耗率を前にしても地球防衛艦隊の“艦載機”と“母艦”に対する評価は変わらなかった。それ故に、当時策定が開始されたばかりの『地球脱出船計画(アーク・シップ計画)』に基づき建造された各種艦船には、いずれも居住区画を削ってでも巨大な艦載機搭載・運用区画が確保された。その努力は後に『宇宙戦艦ヤマト』と、そこに搭載された第二〇四航空隊(通称:ヤマト航空隊)として結実することになる。
ヤマトは、往時の水上戦闘艦を彷彿とさせるスタイルと『宇宙戦艦』という艦種類別名から“戦艦”としての印象が強いが、正しく地球防衛艦隊初の航宙母艦でもあった。なぜなら彼女は、規模は増強一個航空隊(約二〇機)という最小規模ながら、『整備』『出撃』『帰還』『再整備(放熱含む)』という一連の艦載機運用サイクルを他からの支援を受けることなく単独で実施可能だったからである。これに対し、従来の特設航空支援艦は艦内設備の不足から艦載機の再出撃はほぼ不可能(放熱設備の不足から帰艦機の投棄すら珍しいことではなかった)だったから、自己完結性という点において“航宙母艦”の名を冠するには厳しいところがあった。
ヤマトに搭載された第二〇四航空隊は、熟練パイロットを集めた選りすぐりの精強部隊であったことやイスカンダル往復中も継続して実施された機体アップデートにより、搭載機数からは俄に信じ難い程の活躍を示すことになる。それどころか、航空隊の存在と適切な運用が無ければヤマトの任務達成は不可能だったとまで公式に評されたほどだ。そしてその評価が、ガミラス戦役自然休戦後の2200年より開始された地球防衛艦隊再建計画にも少なくない影響を及ぼすことになる。
より具体的には、航空隊関係者から多数寄せられた航宙機運用に特化した専用艦艇――本格的航宙母艦の整備要求だ。航空隊関係者はヤマト航空隊が示した活躍と、太陽系外縁会戦における第三〇二航空隊の成果を示した上で、より大規模且つ抗堪性の高い専用母艦の必要性を説いていた。
また、専用母艦が搭載する艦載機隊の主任務も、当面は艦隊防空並びに各種支援任務に留まらざるを得ないが、大威力の対艦攻撃兵装と専用機体の開発促進によって、将来的には積極的攻撃任務への投入すら可能であるとまで謳っていた。
航空隊関係者――“航空屋”“飛行機屋”などと呼ばれていた――が提示した航宙母艦試案の概要は以下のようなものだった。
・ボロディノ級主力戦艦の外殻・機関を流用した五万トン級艦艇。
・波動砲,ショックカノン等の大威力火砲装備は全て削除。
・其れによって生じる艦内余剰スペースを格納庫・弾薬庫・整備区・支援要員居住区に充当。
・同じく、火砲削除によって発生する余剰エネルギーは、各種シールド機能及び速度性能向上に充当。
・装甲部材,構造材は艦載機運用上の制約が生じない限り、ボロディノ級用をそのまま使用。
・搭載機は平時三個航空隊(五〇~六〇機)程度を想定するが、戦時においては一個航空隊程度の増強が可能な格納/駐機区画及び支援設備を有する。
単に従来艦艇より多くの艦載機を運用できるというだけでなく、波動機関を搭載することで他の一線艦艇に余裕をもって追随できるだけの機動性能、更には戦艦譲りのタフネスさまで兼ね備えるという、まさに地球防衛艦隊初の、そして航空隊関係者がガミラス戦役中から夢見てきた念願の本格航宙母艦であった。
しかも、初の本格母艦というコンセプト上の斬新さとは対照的に、試案艦の構造や建造・艤装にあたっての方針は非常に堅実なものだった。計画書に添えられた試算では、本艦の建造コストはほぼ同規模のボロディノ級主力戦艦の凡そ七〇パーセントで実現可能と報告されていた。多数の艦載機を運用するには不可欠な航空艤装も高額な装備であったが、高価なレアメタルを大量に用い、高度な精製・加工精度を要求される各種波動兵器(波動砲・ショックカノン)とその関連設備(エネルギー伝導管など)のコストには到底及ばなかったからだ。
以上を総合すると、本試案は堅実且つ合理的、軍人が最も重視する実績に裏打ちされ、更には軍事理論的普遍性まで有していた。つまり、常識的に考える限り、本試案は非常に実現性の高い計画と考えられたのである。
しかし――あまりにも提案時期が悪過ぎた。
『地球を救ったのは宇宙“戦艦”ヤマト』
試案の前に立ち塞がったのは、まさにこの一言だった。
彼女が打ち立てた実績はあまりにも巨大且つ偉大であり、その搭載航空隊が示した活躍も決して無視はできないものの、所詮は補助的要素(つまりは脇役)に過ぎない――それが当時の地球防衛軍全体を満たしていた空気であり、大勢だった。
当然、隷下組織である地球防衛艦隊や艦政本部も同様であり、急ピッチで進行中の地球防衛艦隊再建計画にしても、ショックカノンと波動砲を搭載した空間打撃戦用艦艇が最優先整備対象とされていた。言い換えれば、ショックカノンも波動砲も搭載しない艦は当時の地球防衛艦隊にとっては補助艦艇に過ぎず、調達優先順位も二の次三の次でしかなかったのだ。
そうした状況故、航空隊関係者の意気込みと期待とは裏腹に、試案に対する視線は当初から冷淡極まりなかった。鉄砲屋(砲術士官)の最右翼と言われた、とある提督などは試案検討会の席上、この艦を四隻揃えられる予算があるのならボロディノ級を新たに三隻追加建造すべきだとまで言い放ったほどだ。
更に、本試案最大の魅力であるボロディノ級の設計・資材・建造設備をほぼそのまま流用できる点についても、この時期はマイナスに働いてしまう。
当時、ガミラスの復讐を何よりも恐れる地球連邦政府と防衛軍は、使用可能な建造設備と入手可能な資源をフルに用いてボロディノ級主力戦艦の量産に邁進していた。試案艦建造には規模的にボロディノ級が建造可能な設備を要するが、それらはボロディノ級の新規建造と建造済み艦の整備維持で完全に占められており、試案艦の建造を割り込ませる余地はどこにもなかったからだ。つまり、試案艦を建造しようとすれば、既に予定されているボロディノ級の建造を延期するか削減するしかなく、“波動砲至上主義”“大艦巨砲主義”に染まり切った当時の政府(と市民)、そして地球防衛軍が容易にそれを認める筈がなかった。
あるいは、飛行機屋と呼ばれた人々にもう少し政治力があれば少なからず状況は変化していた可能性もあったが、鉄砲屋や宙雷屋に比べて歴史の浅い飛行機屋は部内の力関係においても常に劣勢だった。
その結果、当初は実現性が高いと考えられていた航宙母艦試案は『過剰装備』『時期尚早』として葬り去られてしまうことになる。
しかし奇妙なことに、本試案の検討会は解散するどころか、規模を更に拡大して継続されることが早い時期から決められていた。そこで討議されるのは、試案検討中に持ち上がったより大きな課題――艦隊防空――についてであった。
波動砲搭載戦艦の建造に血道を上げる鉄砲屋たちといえども、長年に及ぶ苛酷な実戦を潜り抜けてきた数少ない生き残りであったから、艦隊防空の重要性は理論的にも経験的にも十二分に理解していた。またその理解は、艦載機が持つ各種支援任務に投入可能な柔軟性にまで及んでおり、この時代の鉄砲屋たちは(後の時代に一部研究者が酷評したような)己の主義に溺れ、現実が見えなくなった人々などでは決してなかった。
当時想定されていた、再来襲時のガミラス艦隊戦力見積は最低でも三千隻。最悪の場合、万の単位に及ぶとまで予想されていた。これに対し、今後五年以内に地球防衛艦隊が実戦配備可能な中型以上の一線級戦闘艦艇は、どれほど背伸びしても三百隻が関の山であり、戦力差は最小でも一〇倍、最大では数一〇倍にまで達すると考えられていた。
常識的に考えれば必敗確実、抵抗するだけ無駄な戦力差――鉄砲屋たちの主張する“波動砲至上主義”は、まさにこの圧倒的戦力差を理論的根拠としていた。
最悪数一〇倍もの戦力差を覆すことが可能な兵器は波動砲をおいて他になく、たとえ艦隊構成がバランスに欠けるものになったとしても、数を揃えた波動砲搭載艦を戦力の根幹としていれば、僅かながらも逆転の可能性は残る。これに対し、バランスが良いだけの艦隊では圧倒的戦力差を覆すチャンスすら残らない――それが鉄砲屋たちの主張だった。
その主張は極論であったが、それであるが故に確かな具体性と現実性を含んでいた。そして当時の地球に、軍・官・民を問わず“波動砲至上主義”以上の具体性をもったビジョン――数十倍にも及ぶ戦力差を覆すビジョンを描けた者は皆無だった。
故に“波動砲至上主義”は地球防衛艦隊再建計画のドクトリンとして採用されたのである。
当時の地球の国力では、ガミラスの大規模再侵攻に抗し得る戦備を短期間に揃えることは不可能である以上、リソースの傾斜配分は避けて通れない道だった。しかし、“大艦巨砲主義者”“波動砲至上主義者”と呼ばれる鉄砲屋たちはリソース配分を波動砲搭載艦に最優先しようとしただけであって、決してリソースの独占を図った訳ではない。その証拠に、ボロディノ級主力戦艦には一個中隊規模(八~一〇機)の戦闘機隊の搭載が予定されており、防空任務を担うものとされていた。
当時編成が目指されていた地球防衛艦隊実戦部隊は太陽系外周艦隊が五個、内惑星艦隊が三個の合計八個艦隊。決戦部隊である外周第一と本国艦隊である内惑星第一だけは二個戦艦戦隊を擁するものの、他の六個艦隊は主力戦艦を一個戦隊しか有しない為、その艦載戦闘機隊は四個中隊、概ね三二~三六機程度となる。
しかし、本格空母試案の検討会において、航空隊関係者がこの編成に強く異を唱えたことで、皮肉にも試案に対するもの以上の波紋を部内外に広げてしまっていた。
飛行機屋たちは、この程度の艦載機戦力ではCSP(Combat Space Patrol/戦闘宙域哨戒)として常時滞宙可能な機体数は一個中隊(八~一〇機)程度にすぎず、単艦に対する防空ならばともかく、“艦隊”を対象とした防空任務においては全く心許ないと主張していた。
そして、その後実施された各種シミュレーションと実艦演習の結果は航空隊側の主張を完全に肯定するものだった。最終的に得られた結論は、三〇隻規模の(標準的な外周艦隊規模の)艦隊に対して効果的且つ継続的なCSPを展開する為には、二個中隊×三直+予備二個中隊、合計八個中隊が必要とされた。
なればこそ、各艦隊に本格空母が必要――そう論理展開する航空屋たちに対し、鉄砲屋達は全く異なる算術を行っていた。
現在の防衛艦隊において、艦載機をまとまった規模で運用可能な艦はヤマトを除けばボロディノ級のみであり、それだけで八個中隊(二個航空隊)もの艦載機を搭載しようとすれば、各艦隊にボロディノ級を二個戦隊配備しなければならない。つまり、現在計画中のボロディノ級を二倍近くにまで増強しなければ、そのような防空体制は構築できないことになる。勿論この場合、戦艦の数だけを単純に二倍にすれば良いということにはならず、艦隊全体のバランスを考えれば、エスコート艦である巡洋艦や駆逐艦も増強を図らなければならなかったから、現実的に考えて、とても短期間で完結できるような艦隊編成ではなかった。
また、航空屋たちが指摘する艦隊防空体制の問題点は、機数や艦数といったハードウェアだけに留まらなかった。
多数の防空任務機(しかも所属は最大八隻の艦にも及ぶ)を有機的且つ効率的に運用するには、所属艦を超えた統合指揮管制が絶対に必要だった。しかし、ボロディノ級の一般配置に防空任務統制官は存在せず、航空管制設備も貧弱過ぎた。
勿論それには理由がある。ボロディノ級の仕様決定にあたり最も大きな影響を与えたのは当然、宇宙戦艦ヤマトだった。そしてヤマトには、イスカンダル往復を通じて防空任務統制官は置かれず、一応は設置されていた航空管制設備も殆ど使用されることはなかった。
ほぼ全員が“教官級”と評されるほどの高い練度と士気を誇り、運用機数も少数に限られたヤマト航空隊であれば、部隊指揮官が機上から直接指揮を行うという(ある意味、非常に古典的な)手法でも殆ど問題は発生しなかった。しかしそれは、平均的練度の搭乗員で構成され、ヤマト航空隊の四倍もの規模にまで膨れ上がった艦隊航空隊には絶対不可能な(そして非効率極まりない)指揮統制手法だった。
だが、ボロディノ級の航空管制設備は、ヤマトの実績が重視されたこと、単艦ではヤマト以下の航空機数しか運用しないことから等閑同然の扱いを受けていた。管制業務そのものは専門人員の増員配置で解決できなくもなかったが、管制設備の大幅な増強には建造中艦の設計変更と就役済み艦の改装が必要だった。しかしそれは計画艦艇の建造スケジュールのみならず、予定外のドック入りを要するという点で就役済み艦艇の運用計画にまで影響を及ぼす為、問題が深刻化するのは確実だった。
現在の連邦市民には俄に信じ難い感覚だが、当時の波動砲搭載艦は唯一無二の『決戦兵器』と軍・官・民を問わず認識されており、その配備遅延や運用支障は政治問題にまで発展する可能性があったからだ。
これらの艦隊防空における問題点は、あまりに性急に進められた地球防衛艦隊再建計画の“ひずみ”に他ならなかった。しかも、後先を考えずに目一杯の規模で取りまとめられた艦隊計画に冗長性は乏しく、その修正は困難を極めた。
従来の倍にまで達するようなボロディノ級追加建造は予算的にも建造設備的にも絶望的で、かといって空母建造の為に建造決定済みのボロディノ級を削減することも困難。しかし、現計画の欠陥は既に明らかであり、放置することもできない――つまり、完全に手詰りの状況に陥ってしまったのである。
故に、艦隊防空戦力の充実は艦隊再建計画の第二フェイズ(2205年より実働予定)で実施するという明らかな先延ばしが一時は検討されたが、航空屋たちは本件の政治問題化すら匂わせて、それを許さなかった。彼らは、ヤマトのイスカンダル往復航宙において最大の危機とされた『七色星団会戦』の戦闘経過まで持ち出し、艦隊防空の重要性と現計画における問題点、そして解決の必要性を関係者に主張し続けた。
そうした主張の中でも、航空屋たちが独自に行った七色星団会戦の戦訓分析は関係者に大きなインパクトを与えたとされる。
七色星団会戦におけるヤマトの危機、それはヤマト航空隊指揮官 加藤三郎一尉(当時)が同会戦時に漏らしたとされる『もう一個中隊あれば――』という悲痛な呻きに象徴されると言われている。
大ガミラス帝国宇宙軍屈指の艦隊指揮官、エルク・ドメル上級大将は確かに戦術の天才だった。過去の戦闘記録からヤマト艦載機隊戦力を正確に把握した上級大将は、執拗な攪乱攻撃によって精強ではあるが数が限られるヤマト航空隊を疲弊させる作戦に出た。そして、複数の航宙母艦からの波状攻撃によってヤマトのCSPが継戦限界に達したところで残置していた予備航空戦力を叩きつけ、ヤマトを実質的に戦闘不能、完全大破に追い込んだのである。
七色星団会戦の経緯は『エアカバーが無ければ、ヤマトといえども決して無敵ではない』『十分な機数を確保できなければ、エアカバーは維持できない』という冷徹な(そして当然の)事実を端的に示しており、大艦巨砲を信奉する鉄砲屋たちにとって非常に苦いものだった。しかし、どれほど苦かろうと航空屋達の指摘が正鵠を得ている以上、頑迷な鉄砲屋であれ、それを完全に無視することはできなかった。
また、検討当初から艦隊防空能力拡充に一定の理解を示していた中立派の人々がこの頃から鉄砲屋たちの説得に加わったこともあって、検討会の大勢は何らかの形での空母建造を模索する方向へと傾きつつあった。
尚、ここでの中立派とは軍政畑を歩む高級士官達が大半であったが、空母建造を容認する者の中には宙雷屋の一部も加わっていた。戦艦よりも遥かに脆弱な駆逐艦を主力とする彼らにとっては、敵航空機による攻撃も決して無視できず、特に相互支援が困難な宙雷突撃時において、エアカバーの有無は死活的な問題だったからだ。
ようやくある程度の方向性が得られた空母検討であったが、未だ問題は山積みだった。いや、それらの大半は、本格空母案が廃案になった時からのものであったから、状況は何ら変化していないと言っても過言ではなかった。
物理面での最大の問題は、やはり建造施設だった。建造中若しくは建造予定のボロディノ級を削減しない限りは、飛行機屋や彼らを支持する中立派が主張するような大型母艦の建造は行えないからだ。その為、一時は巡洋艦ベースの“軽空母”建造も検討の俎上に載せられたが、搭載機数の少なさに起因する戦力経済性の悪さや多数艦運用に伴う人員確保の難しさから(当時の地球防衛艦隊は極度の人員不足に悩まされていた)、早々に廃案となっている。
また政治面においては、仮にボロディノ級を削減して空母建造を行った場合、既に発表されている波動砲搭載大型艦数の減少について、政府と市民からどのように了承を得るかも未解決のままだった。
議論は百出するも、いずれも決定打には程遠く、検討は完全に暗礁に乗り上げていた。
艦政本部の若手造船官から“私案”という形で一つの提案が為されたのはそうした折のことだった。
“改ボロディノ級航空戦艦”
そう銘打たれた私案(驚くべきことに造船官は独断でそれを検討会に持ち込んでいた)こそ、後に地球防衛艦隊が列強各国に大きなインパクトを与えることになる『戦闘空母』シリーズの始祖とされる。
その最大の特徴は、艦前半部はボロディノ級主力戦艦そのままに、艦後部のみを新たに設計した『空母ユニット』へと換装している点にあった。換装された『空母ユニット』は一種の独立ブロックであり、飛行甲板と格納庫、機関部とで容積の大半が占められ、先達とも言うべきヤマト以上の航空機運用能力を確保している。具体的には、戦闘航空隊であれば二個航空隊三六機が無理なく運用可能で、更に若干の支援機まで搭載することができた。
それでいて、艦首側の各種兵装――三連装二基六門の一六インチショックカノンは勿論、艦首拡散波動砲まで健在であったから、“航空戦艦”という名は決して伊達ではない。
正規教育を受けた造船官が提示するにはあまりに大胆な案であったが、大量・短期間建造を最大の目標にブロック化の極致を目指したボロディノ級だからこそ可能な建造案であるとも言えた。
しかし――会議の席上で初めて本案が初めて提示された際の評価は散々なものだった。
嘗ての大日本帝国海軍戦艦“伊勢”“日向”の例を持ち出すまでもなく、戦艦と空母のハイブリッドと言えば聞こえは良いが、実際にはどちらの艦種としても中途半端な存在であるのは明白だったからだ。実際、本試案艦二隻を建造するくらいなら、それぞれに最適化した戦艦と空母を一隻ずつ建造した方がよほど経済的且つ効果的だった。
会議の出席者たちは信奉する兵備主義こそ違えど、長きに及んだガミラス戦役を生き残った実戦経験者達が大半であり、本案の持つそうした根本的問題点を即座に見抜いた。当然、その評価と指摘は辛辣を極め、ある砲術士官は本案を指して“不細工で不器用なキメラ”と評し、また別の航空隊士官は、艦政本部は空母建造を潰すつもりでこのような愚案を持ち込んだのかと息を巻いた。
実は、本案が艦政本部からの正式案に至らなかったのも、正にその点に理由があった。造艦側と用兵側、どちらの立場に立ったとしても、本案はあまりにも中途半端な存在であり、どうあっても建造意義を見出せなかったからだ。
しかし、半ば吊し上げの場と化した観のある会議において、幾人かの出席者は別の視点で本案を捉えていた。――確かに造艦、用兵からすれば本案は問題外だろう。しかし、“政治的”にはどうか?――。
いずれも軍政出身者である彼らは、本案がこれまでの計画見直し議論において解決困難とされていた幾つかの問題をクリアーしていることに気づいていた。そして、独断で私案を持ち込んだ造船官もそれを理解した上で、職を賭した提案を行っていることも。
本案に基づいて建造された艦は、波動砲もショックカノンも維持した“戦艦”であるという点で、波動砲搭載艦艇数に大きな注目を寄せている政府・市民からの非難や反対は回避できるだろう。建造設備も建造中のボロディノ級から設計変更すれば容易に解決可能。問題は、“主力戦艦”を“航空戦艦”などという珍妙な存在に変化させられることに本能的嫌悪感を抱く鉄砲屋たちだが、それでも本案艦はあくまで“戦艦”であり、艦長以下各科長といった主要ポストも鉄砲屋が維持できるという点で説得すれば、純粋な空母よりも了承を取り付けやすい――。
本案は開示当初の悪評とは裏腹に、その後俄に評価が改まり、急速に具体化していくことになる。それは本案を、半ば以上感情論だけに解決の難しい政治問題をクリアー可能な唯一の“妙案”であると防衛軍上層部が(やや強引に)結論を下したからだ。勿論、その背景には、兵備に対する主義主張よりも、少しでも早く、少しでも多くの実際的兵備を揃えたい軍政側の意向が強く働いた故と言われている(まともな軍隊において軍政側が本気で動けば、組織内手管に劣る実戦部隊側はまず敵わない)。
そして遂に、“若干の”艦隊編成見直しと共に、本案は正式な建造承認に至る。承認を受けたのは六隻で、いずれも建造初期段階のボロディノ級主力戦艦からの設計変更で完成が目指された。
しかし意外にも、公表された正式艦種名は『航空戦艦』ではなく『宇宙空母(アマギ級宇宙空母)』だった。
本級が当初予定されていた“戦艦”の名を失ってしまったのは、建造中のボロディノ級主力戦艦を設計変更することに対して最後まで抵抗を続けたのが鉄砲屋達であり、その抵抗があまりに執拗であったことに対する“懲罰”として艦種名の変更が行われていた。
当然、アマギ級各艦の艦長以下主要ポストは航空屋若しくは中立派の士官達で占められた。ある意味、鉄砲屋達は撤退時期を見誤ったが故に、本来ならば確保できていた筈のポストまで失ってしまったと言えるのかもしれない。
尚、私案を独断で提出した若手造船官はその後、功績が認められる形で本級の設計主務者に抜擢された。更に後年には、アマギ級の改良型である『グローリアス級宇宙空母』『キエフ級戦闘空母』の設計主務を引き続き務め上げることになる。
その結果、件の造船官は地球防衛軍における空母設計のオーソリティーと内外から認められ、現在では技術交流の一環としてガルマン・ガミラス帝国に派遣、同国軍事アカデミーの客員教授として教鞭を執る毎日である(地球には多層式宙母の設計主務者が交換派遣されている)。
――つづく
、、、ギリギリ二月に間に合いました(^▽^;)
さてさてそんな訳で、久しぶりの地球防衛艦隊の艦艇妄想です(^_^)
宇宙空母の前編、、、ってことで書き始めたのですが、改装空母やヤマトのことばかり長くなって、なかなか肝心の宇宙空母が登場してくれず、正直困りましたw
結局、アマギ級の名前が登場したのはA4用紙10枚目で、そこでようやく前編終了とすることができました(;´Д`A ```
自分で書いておいてナンですが、こんなに部内でゴタゴタしていたら、白色彗星来襲までに空母を揃えることなんて絶対不可能だと思いますが、そこは妄想上のファンタジーってことで御勘弁いただきたいと思います( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ
後編は、ガトランティス戦役におけるアマギ級の活躍(フェーベ沖会戦)とその後の顛末、改アマギ級であるグローリアス級の誕生秘話など、思いつくままツラツラと書いていきたいと思っています。
書きたいことは結構あるので、後編もそれなりのボリュームになるとは思いますが、今回の前編並みのボリュームに到るかどうかは分りませんので、前編に比べて妙に短い後編になってしまったら、、、笑ってやってくださいw
公開までは・・・・・・二・三ヶ月くらいはかかるかなぁ・・・・・・(-ω-;)ウーン
どうぞ、気長にお待ち下さいませm(__)m
あ、そうそう、毎度のことですが、この妄想設定はオリジナル版『宇宙戦艦ヤマト』に基づくものであり、『宇宙戦艦ヤマト2199』は基本的に考慮していませんので念のためw
さて、以前より電撃ホビーマガジンで告知されていた『宇宙戦艦ヤマト模型コンテスト』エントリー作品が既に公開されていることに気づいて、ようやく見てきました(^_^)
物凄くレベルの高い作品がずらっと並んでいて驚きました(^▽^;)
できれば、もうちょっと大きいサイズの画像が見たいですね♪(宇宙空母シナノには痺れました)
https://ssl.asciimw.jp/dengeki/hobbyweb/yamato/
。。。ウチでは常連さんのアノ方の作品もw
本級計画当時の地球防衛軍は、多数の艦載機を搭載・運用可能な戦闘艦艇の建造経験に乏しかった。数少ない実績にしても、一個戦闘航空隊を搭載し、実質的には“航空戦艦”であった宇宙戦艦ヤマトと、民間船を小改装した特設艦船群に限られた。
特設艦船における空間用航空機(航宙機)運用の歴史は、ガミラス戦役中期にまでさかのぼることができる。
波動機関を持つ者/持たざる者の差から、艦艇性能において圧倒的な格差が存在した地球と大ガミラス帝国であったが、それは航空機用機関においても同様だった。しかし、圧倒的戦闘力を発揮したガミラス軍機も、艦艇と比べれば規模と耐久力で大きく劣る為、当時の地球の貧弱な軍事力でも辛うじて撃墜・撃破が可能であり、事実、戦役勃発後の早い時期に、大部隊を投入してのガミラス軍機の回収が試みられ、甚大な損害と引き換えに、撃墜機の回収に成功している。
回収された撃墜機は直ちに解析が行われ、ガミラス航宙機の機関が非液体燃料式の動力機関であることが判明した。しかし、機関への供給経路などから燃料タンクと推測された機内スペースは回収時点で完全に“空”であり、解析を担当した研究者たちを長期に渡って悩ませることになる。ガミラス軍機の撃墜から回収に至るまで、作戦を指揮した地球防衛軍は完全なモニタリングを行っていたが、何度状況を確認しても、撃墜機が燃料を投棄した形跡が全く見られなかったからだ。
当時、ガミラス機解析チームに加わっていた研究者(後にノーベル物理学賞を受賞)は、後年の自著で『ガミラス機は霞を食って飛んでるんじゃないかと思った』と述べていることからも、彼らの苦悩ぶりが窺える。
彼らが苦悩から解放されるには、損傷したガミラス艦艇が地球防衛艦隊に捕獲されるのを待たねばならなかった。ガミラス艦の機関を分析した結果、“波動機関”とその燃料としての“タキオン粒子”の存在が初めて確認されたからである。宇宙エネルギーの一種であり、超・光速粒子であるタキオン粒子を当時の地球人類は理論上でしか認知できていなかったことを思えば、研究者の言う“霞を食って”という表現もあながち間違いではなかった。
ガミラス軍が使用する機関は、広義においては艦艇用・航空機用共に『波動機関』であったが、機能上の差異は非常に大きかった。艦艇用波動機関は、タキオン粒子の“捕集”と、捕集した粒子から膨大なエネルギーを得る過程で必要な“濃縮”というプロセスを機関内で行っているが、航空機用機関はいずれの機能も有していなかったからだ。これにより、航空機用機関は艦艇用に比べて大幅な小型化と簡易化を果たしていた。また、艦艇用機関はワープ航法時の大出力に耐久可能な堅牢さが求められるが、ワープを行わない航空機用機関にはそこまでの強度は不要であり、一層の簡略化・低コスト化が可能だった。
以降、地球防衛軍はガミラス軍が使用する機関の模倣に全力を注ぎ、まずは航空機用において大きな成果を挙げることになる。艦艇用機関もこの時期までに一応の実用化を果たしていたが、波動機関の出力増幅に不可欠な“濃縮”と『波動触媒』の問題をクリアーできず、深刻な出力不足に喘いでいた。これに対し航空機用機関は、低濃縮状態のタキオン粒子(タキオン燃料)を艦艇用機関等から外部供給してやれば、ほぼ計画通りの出力が発揮でき、製造コストの面も窮乏状態にある地球で量産が可能な範囲に収まっていた。
尚、航空機用簡易波動機関が艦艇用と明確に区別され、『タキオン・エンジン』や『コスモ・エンジン』と呼称されるようになったのはこの頃からと言われている(“タキオン・エンジン”実用化までの経緯・詳細については別章を参照されたい)。
そして2196年、『タキオン・エンジン』を搭載した人類初の実用空間戦闘機『九六式宇宙戦闘機“コスモ・タイガー”』が実戦配備に至る(増加試作機の実戦参加は2195年から行われていた)。同機は初めてガミラス軍航宙機に匹敵する性能を有するに至った『名機』として知られ、その搭載機関は燃料噴射技術の未熟と冶金技術の限界から、航続距離や耐久性の面で未だ改善の余地を残していたものの、こと短時間の発揮出力については初めてガミラス軍機に伍する性能が得られた。
航続距離の不足から、初期の投入局面は拠点防空に限定されたものの、本機の登場によって少なくとも同数以上の空戦でガミラス軍機に後れをとることはなくなり、戦術的奇襲に成功した際などは、一方的にガミラス機を殲滅することすら可能になった。
当時、ガミラス軍が太陽系に持ち込んでいたのは、同軍内でも旧式に属する機体が大半であったとはいえ、地球が初めてガミラスに匹敵する軍事的要素を獲得したことは画期的事態であり、圧倒的劣勢下での戦闘を強いられていた地球の防人たち――地球防衛艦隊にとっては大きな福音だった。
そして、地球航宙機初の名機“コスモ・タイガー”の名は、後の傑作機『一式宇宙戦闘攻撃機“コスモ・タイガーⅡ”』にも受け継がれることになる。
埋めようのない艦艇性能差、溶けるように失われていく戦力、日に日に縮小していく人類生存領域――そうした絶対的劣勢下において、地球防衛艦隊が数少ないイーヴン要素である空間用航空機の前線投入を試みたのはある意味必然だった。2197年、幾多の尊い犠牲の末に、自軍航宙機の性能に対する自信を深めた防衛艦隊は、一〇隻を超える空間用航空機運用艦艇の急速整備を開始する。
とはいえ、既に一線戦闘艦艇の補充にすら事欠く当時の地球に、多数の新規専用艦を建造するような余裕がある筈も無く、整備されたのは全て徴用した民間船舶からの改装艦であった その改装にしても、大型カーゴシップの船外デッキに駐機スペースと最低限の航空艤装を施しただけの極めて簡素なもので、原則として機体は露天繋止、整備作業も重船外服を着用して真空下で実施しなければならなかった。
平時であれば絶対に採用されることのない(運用安全基準を到底満たせない)艦であり、その用途から誰もが思い浮かべるであろう艦種名で――航空(宙)母艦と――呼ぶ者は皆無だった。艦種類別上の正式名称は『空間用航空機支援艦(略称:航空支援艦)』とされたが、この名称は殆ど普及せず、関係者が自嘲混じりに呼んだ『CAMシップ』『MACシップ』の方が、遥かに通りが良かった。
だが、あまりの簡素さと運用の危険さ故に艦隊配備当初はパイロットの乗艦拒否すら発生した『航空支援艦』が、実戦においては少なくない戦果を挙げることになる。
当時の地球防衛艦隊は守勢防御を徹底しており、艦隊行動から落伍したガミラスの独航艦襲撃を常套戦術としていた。その際、艦隊はアステロイドベルトを根城として活動していたが、あまりに広大なアステロイドベルト全域に航宙機を運用可能な基地を設置できる筈もなく、前述した航宙機の足(航続距離)の短さもあって、非常に限られた状況下でしか航空支援を実施することができなかった。
しかし、航空支援艦の戦場展開に成功すれば、艦隊はいかなる状況下でも航空支援を享受することができた。懸念されていた速力や防御力の不足も、直接戦闘域には決して近づけないという慎重な運用に徹すれば、充分に許容可能なレヴェルであった。“戦闘艦”としてではなく、リロケータブルな簡易航空基地、いや“野戦飛行場”として割り切ってしまえば、防御に徹した地球防衛艦隊にとって本艦は非常に使い出のある艦だったのだ。
また、航空支援艦の投入によって、“艦載機”に対する評価も急速に変化していった。艦載化に伴い『九六式宇宙艦上戦闘機』に改称された“コスモ・タイガー”は、当初は防空や空間打撃戦における艦隊直掩が主任務とされていたが、足の短さを補うことが可能な母艦の存在によって投入局面が激増したからだ。
従来であれば投入が躊躇されるような長距離索敵や追尾、攪乱といった大距離進出を伴う任務にも艦載機ならば投入可能であり(最悪、燃料切れに陥っても母艦が回収に向かうことができた)、しかも大抵の場合、艦艇を投入するよりも効率的且つ効果的だった。
その事実は、常に戦力不足に悩まされていた艦隊指揮官たちを何よりも喜ばせた。極論すれば、支援任務には費用対効果に優れる艦載機を充て、正面戦闘においては稼働全艦艇を戦場に叩き込むことが可能になるからである。
さすがに、この時期の空間用航空機は対艦攻撃能力に乏しく対艦戦闘の主役にまで躍り出ることはなかったが、母艦とセットになることでどれほどの威力(戦力柔軟性)を発揮するかは完全に証明された。
ガミラス戦役が自然休戦に至るまでに建造された特設航空支援艦は、実に二八隻。それらの機動力・防御力は(ソフト面はともかく)ハード面では民間船舶と殆ど変わらず、仮にガミラス艦と遭遇すれば十死零生は確実であり、事実、休戦まで生き残った支援艦は僅か三隻、内一隻が大破状態という惨状だった(健在な二隻はガミラス戦役末期の『太陽系外縁会戦』において第三〇二航空隊を発艦させた『八幡丸』と『リオ・ハドソン』)。
本来、艦載機発艦後は安全な戦場後方で待機している筈の支援艦が突撃駆逐艦並みの損耗率を強いられるに至った原因は、敵手であるガミラス軍にあった。『“静かの海”直上会戦』後に大ガミラス帝国軍太陽系派遣軍司令官に就いたバルケ・シュルツ中将は過去の自軍損耗を詳細に分析した結果、航空支援艦の脅威を正しく認識し、最優先攻撃目標とするよう命じていたからである。
しかし、九割を超える損耗率を前にしても地球防衛艦隊の“艦載機”と“母艦”に対する評価は変わらなかった。それ故に、当時策定が開始されたばかりの『地球脱出船計画(アーク・シップ計画)』に基づき建造された各種艦船には、いずれも居住区画を削ってでも巨大な艦載機搭載・運用区画が確保された。その努力は後に『宇宙戦艦ヤマト』と、そこに搭載された第二〇四航空隊(通称:ヤマト航空隊)として結実することになる。
ヤマトは、往時の水上戦闘艦を彷彿とさせるスタイルと『宇宙戦艦』という艦種類別名から“戦艦”としての印象が強いが、正しく地球防衛艦隊初の航宙母艦でもあった。なぜなら彼女は、規模は増強一個航空隊(約二〇機)という最小規模ながら、『整備』『出撃』『帰還』『再整備(放熱含む)』という一連の艦載機運用サイクルを他からの支援を受けることなく単独で実施可能だったからである。これに対し、従来の特設航空支援艦は艦内設備の不足から艦載機の再出撃はほぼ不可能(放熱設備の不足から帰艦機の投棄すら珍しいことではなかった)だったから、自己完結性という点において“航宙母艦”の名を冠するには厳しいところがあった。
ヤマトに搭載された第二〇四航空隊は、熟練パイロットを集めた選りすぐりの精強部隊であったことやイスカンダル往復中も継続して実施された機体アップデートにより、搭載機数からは俄に信じ難い程の活躍を示すことになる。それどころか、航空隊の存在と適切な運用が無ければヤマトの任務達成は不可能だったとまで公式に評されたほどだ。そしてその評価が、ガミラス戦役自然休戦後の2200年より開始された地球防衛艦隊再建計画にも少なくない影響を及ぼすことになる。
より具体的には、航空隊関係者から多数寄せられた航宙機運用に特化した専用艦艇――本格的航宙母艦の整備要求だ。航空隊関係者はヤマト航空隊が示した活躍と、太陽系外縁会戦における第三〇二航空隊の成果を示した上で、より大規模且つ抗堪性の高い専用母艦の必要性を説いていた。
また、専用母艦が搭載する艦載機隊の主任務も、当面は艦隊防空並びに各種支援任務に留まらざるを得ないが、大威力の対艦攻撃兵装と専用機体の開発促進によって、将来的には積極的攻撃任務への投入すら可能であるとまで謳っていた。
航空隊関係者――“航空屋”“飛行機屋”などと呼ばれていた――が提示した航宙母艦試案の概要は以下のようなものだった。
・ボロディノ級主力戦艦の外殻・機関を流用した五万トン級艦艇。
・波動砲,ショックカノン等の大威力火砲装備は全て削除。
・其れによって生じる艦内余剰スペースを格納庫・弾薬庫・整備区・支援要員居住区に充当。
・同じく、火砲削除によって発生する余剰エネルギーは、各種シールド機能及び速度性能向上に充当。
・装甲部材,構造材は艦載機運用上の制約が生じない限り、ボロディノ級用をそのまま使用。
・搭載機は平時三個航空隊(五〇~六〇機)程度を想定するが、戦時においては一個航空隊程度の増強が可能な格納/駐機区画及び支援設備を有する。
単に従来艦艇より多くの艦載機を運用できるというだけでなく、波動機関を搭載することで他の一線艦艇に余裕をもって追随できるだけの機動性能、更には戦艦譲りのタフネスさまで兼ね備えるという、まさに地球防衛艦隊初の、そして航空隊関係者がガミラス戦役中から夢見てきた念願の本格航宙母艦であった。
しかも、初の本格母艦というコンセプト上の斬新さとは対照的に、試案艦の構造や建造・艤装にあたっての方針は非常に堅実なものだった。計画書に添えられた試算では、本艦の建造コストはほぼ同規模のボロディノ級主力戦艦の凡そ七〇パーセントで実現可能と報告されていた。多数の艦載機を運用するには不可欠な航空艤装も高額な装備であったが、高価なレアメタルを大量に用い、高度な精製・加工精度を要求される各種波動兵器(波動砲・ショックカノン)とその関連設備(エネルギー伝導管など)のコストには到底及ばなかったからだ。
以上を総合すると、本試案は堅実且つ合理的、軍人が最も重視する実績に裏打ちされ、更には軍事理論的普遍性まで有していた。つまり、常識的に考える限り、本試案は非常に実現性の高い計画と考えられたのである。
しかし――あまりにも提案時期が悪過ぎた。
『地球を救ったのは宇宙“戦艦”ヤマト』
試案の前に立ち塞がったのは、まさにこの一言だった。
彼女が打ち立てた実績はあまりにも巨大且つ偉大であり、その搭載航空隊が示した活躍も決して無視はできないものの、所詮は補助的要素(つまりは脇役)に過ぎない――それが当時の地球防衛軍全体を満たしていた空気であり、大勢だった。
当然、隷下組織である地球防衛艦隊や艦政本部も同様であり、急ピッチで進行中の地球防衛艦隊再建計画にしても、ショックカノンと波動砲を搭載した空間打撃戦用艦艇が最優先整備対象とされていた。言い換えれば、ショックカノンも波動砲も搭載しない艦は当時の地球防衛艦隊にとっては補助艦艇に過ぎず、調達優先順位も二の次三の次でしかなかったのだ。
そうした状況故、航空隊関係者の意気込みと期待とは裏腹に、試案に対する視線は当初から冷淡極まりなかった。鉄砲屋(砲術士官)の最右翼と言われた、とある提督などは試案検討会の席上、この艦を四隻揃えられる予算があるのならボロディノ級を新たに三隻追加建造すべきだとまで言い放ったほどだ。
更に、本試案最大の魅力であるボロディノ級の設計・資材・建造設備をほぼそのまま流用できる点についても、この時期はマイナスに働いてしまう。
当時、ガミラスの復讐を何よりも恐れる地球連邦政府と防衛軍は、使用可能な建造設備と入手可能な資源をフルに用いてボロディノ級主力戦艦の量産に邁進していた。試案艦建造には規模的にボロディノ級が建造可能な設備を要するが、それらはボロディノ級の新規建造と建造済み艦の整備維持で完全に占められており、試案艦の建造を割り込ませる余地はどこにもなかったからだ。つまり、試案艦を建造しようとすれば、既に予定されているボロディノ級の建造を延期するか削減するしかなく、“波動砲至上主義”“大艦巨砲主義”に染まり切った当時の政府(と市民)、そして地球防衛軍が容易にそれを認める筈がなかった。
あるいは、飛行機屋と呼ばれた人々にもう少し政治力があれば少なからず状況は変化していた可能性もあったが、鉄砲屋や宙雷屋に比べて歴史の浅い飛行機屋は部内の力関係においても常に劣勢だった。
その結果、当初は実現性が高いと考えられていた航宙母艦試案は『過剰装備』『時期尚早』として葬り去られてしまうことになる。
しかし奇妙なことに、本試案の検討会は解散するどころか、規模を更に拡大して継続されることが早い時期から決められていた。そこで討議されるのは、試案検討中に持ち上がったより大きな課題――艦隊防空――についてであった。
波動砲搭載戦艦の建造に血道を上げる鉄砲屋たちといえども、長年に及ぶ苛酷な実戦を潜り抜けてきた数少ない生き残りであったから、艦隊防空の重要性は理論的にも経験的にも十二分に理解していた。またその理解は、艦載機が持つ各種支援任務に投入可能な柔軟性にまで及んでおり、この時代の鉄砲屋たちは(後の時代に一部研究者が酷評したような)己の主義に溺れ、現実が見えなくなった人々などでは決してなかった。
当時想定されていた、再来襲時のガミラス艦隊戦力見積は最低でも三千隻。最悪の場合、万の単位に及ぶとまで予想されていた。これに対し、今後五年以内に地球防衛艦隊が実戦配備可能な中型以上の一線級戦闘艦艇は、どれほど背伸びしても三百隻が関の山であり、戦力差は最小でも一〇倍、最大では数一〇倍にまで達すると考えられていた。
常識的に考えれば必敗確実、抵抗するだけ無駄な戦力差――鉄砲屋たちの主張する“波動砲至上主義”は、まさにこの圧倒的戦力差を理論的根拠としていた。
最悪数一〇倍もの戦力差を覆すことが可能な兵器は波動砲をおいて他になく、たとえ艦隊構成がバランスに欠けるものになったとしても、数を揃えた波動砲搭載艦を戦力の根幹としていれば、僅かながらも逆転の可能性は残る。これに対し、バランスが良いだけの艦隊では圧倒的戦力差を覆すチャンスすら残らない――それが鉄砲屋たちの主張だった。
その主張は極論であったが、それであるが故に確かな具体性と現実性を含んでいた。そして当時の地球に、軍・官・民を問わず“波動砲至上主義”以上の具体性をもったビジョン――数十倍にも及ぶ戦力差を覆すビジョンを描けた者は皆無だった。
故に“波動砲至上主義”は地球防衛艦隊再建計画のドクトリンとして採用されたのである。
当時の地球の国力では、ガミラスの大規模再侵攻に抗し得る戦備を短期間に揃えることは不可能である以上、リソースの傾斜配分は避けて通れない道だった。しかし、“大艦巨砲主義者”“波動砲至上主義者”と呼ばれる鉄砲屋たちはリソース配分を波動砲搭載艦に最優先しようとしただけであって、決してリソースの独占を図った訳ではない。その証拠に、ボロディノ級主力戦艦には一個中隊規模(八~一〇機)の戦闘機隊の搭載が予定されており、防空任務を担うものとされていた。
当時編成が目指されていた地球防衛艦隊実戦部隊は太陽系外周艦隊が五個、内惑星艦隊が三個の合計八個艦隊。決戦部隊である外周第一と本国艦隊である内惑星第一だけは二個戦艦戦隊を擁するものの、他の六個艦隊は主力戦艦を一個戦隊しか有しない為、その艦載戦闘機隊は四個中隊、概ね三二~三六機程度となる。
しかし、本格空母試案の検討会において、航空隊関係者がこの編成に強く異を唱えたことで、皮肉にも試案に対するもの以上の波紋を部内外に広げてしまっていた。
飛行機屋たちは、この程度の艦載機戦力ではCSP(Combat Space Patrol/戦闘宙域哨戒)として常時滞宙可能な機体数は一個中隊(八~一〇機)程度にすぎず、単艦に対する防空ならばともかく、“艦隊”を対象とした防空任務においては全く心許ないと主張していた。
そして、その後実施された各種シミュレーションと実艦演習の結果は航空隊側の主張を完全に肯定するものだった。最終的に得られた結論は、三〇隻規模の(標準的な外周艦隊規模の)艦隊に対して効果的且つ継続的なCSPを展開する為には、二個中隊×三直+予備二個中隊、合計八個中隊が必要とされた。
なればこそ、各艦隊に本格空母が必要――そう論理展開する航空屋たちに対し、鉄砲屋達は全く異なる算術を行っていた。
現在の防衛艦隊において、艦載機をまとまった規模で運用可能な艦はヤマトを除けばボロディノ級のみであり、それだけで八個中隊(二個航空隊)もの艦載機を搭載しようとすれば、各艦隊にボロディノ級を二個戦隊配備しなければならない。つまり、現在計画中のボロディノ級を二倍近くにまで増強しなければ、そのような防空体制は構築できないことになる。勿論この場合、戦艦の数だけを単純に二倍にすれば良いということにはならず、艦隊全体のバランスを考えれば、エスコート艦である巡洋艦や駆逐艦も増強を図らなければならなかったから、現実的に考えて、とても短期間で完結できるような艦隊編成ではなかった。
また、航空屋たちが指摘する艦隊防空体制の問題点は、機数や艦数といったハードウェアだけに留まらなかった。
多数の防空任務機(しかも所属は最大八隻の艦にも及ぶ)を有機的且つ効率的に運用するには、所属艦を超えた統合指揮管制が絶対に必要だった。しかし、ボロディノ級の一般配置に防空任務統制官は存在せず、航空管制設備も貧弱過ぎた。
勿論それには理由がある。ボロディノ級の仕様決定にあたり最も大きな影響を与えたのは当然、宇宙戦艦ヤマトだった。そしてヤマトには、イスカンダル往復を通じて防空任務統制官は置かれず、一応は設置されていた航空管制設備も殆ど使用されることはなかった。
ほぼ全員が“教官級”と評されるほどの高い練度と士気を誇り、運用機数も少数に限られたヤマト航空隊であれば、部隊指揮官が機上から直接指揮を行うという(ある意味、非常に古典的な)手法でも殆ど問題は発生しなかった。しかしそれは、平均的練度の搭乗員で構成され、ヤマト航空隊の四倍もの規模にまで膨れ上がった艦隊航空隊には絶対不可能な(そして非効率極まりない)指揮統制手法だった。
だが、ボロディノ級の航空管制設備は、ヤマトの実績が重視されたこと、単艦ではヤマト以下の航空機数しか運用しないことから等閑同然の扱いを受けていた。管制業務そのものは専門人員の増員配置で解決できなくもなかったが、管制設備の大幅な増強には建造中艦の設計変更と就役済み艦の改装が必要だった。しかしそれは計画艦艇の建造スケジュールのみならず、予定外のドック入りを要するという点で就役済み艦艇の運用計画にまで影響を及ぼす為、問題が深刻化するのは確実だった。
現在の連邦市民には俄に信じ難い感覚だが、当時の波動砲搭載艦は唯一無二の『決戦兵器』と軍・官・民を問わず認識されており、その配備遅延や運用支障は政治問題にまで発展する可能性があったからだ。
これらの艦隊防空における問題点は、あまりに性急に進められた地球防衛艦隊再建計画の“ひずみ”に他ならなかった。しかも、後先を考えずに目一杯の規模で取りまとめられた艦隊計画に冗長性は乏しく、その修正は困難を極めた。
従来の倍にまで達するようなボロディノ級追加建造は予算的にも建造設備的にも絶望的で、かといって空母建造の為に建造決定済みのボロディノ級を削減することも困難。しかし、現計画の欠陥は既に明らかであり、放置することもできない――つまり、完全に手詰りの状況に陥ってしまったのである。
故に、艦隊防空戦力の充実は艦隊再建計画の第二フェイズ(2205年より実働予定)で実施するという明らかな先延ばしが一時は検討されたが、航空屋たちは本件の政治問題化すら匂わせて、それを許さなかった。彼らは、ヤマトのイスカンダル往復航宙において最大の危機とされた『七色星団会戦』の戦闘経過まで持ち出し、艦隊防空の重要性と現計画における問題点、そして解決の必要性を関係者に主張し続けた。
そうした主張の中でも、航空屋たちが独自に行った七色星団会戦の戦訓分析は関係者に大きなインパクトを与えたとされる。
七色星団会戦におけるヤマトの危機、それはヤマト航空隊指揮官 加藤三郎一尉(当時)が同会戦時に漏らしたとされる『もう一個中隊あれば――』という悲痛な呻きに象徴されると言われている。
大ガミラス帝国宇宙軍屈指の艦隊指揮官、エルク・ドメル上級大将は確かに戦術の天才だった。過去の戦闘記録からヤマト艦載機隊戦力を正確に把握した上級大将は、執拗な攪乱攻撃によって精強ではあるが数が限られるヤマト航空隊を疲弊させる作戦に出た。そして、複数の航宙母艦からの波状攻撃によってヤマトのCSPが継戦限界に達したところで残置していた予備航空戦力を叩きつけ、ヤマトを実質的に戦闘不能、完全大破に追い込んだのである。
七色星団会戦の経緯は『エアカバーが無ければ、ヤマトといえども決して無敵ではない』『十分な機数を確保できなければ、エアカバーは維持できない』という冷徹な(そして当然の)事実を端的に示しており、大艦巨砲を信奉する鉄砲屋たちにとって非常に苦いものだった。しかし、どれほど苦かろうと航空屋達の指摘が正鵠を得ている以上、頑迷な鉄砲屋であれ、それを完全に無視することはできなかった。
また、検討当初から艦隊防空能力拡充に一定の理解を示していた中立派の人々がこの頃から鉄砲屋たちの説得に加わったこともあって、検討会の大勢は何らかの形での空母建造を模索する方向へと傾きつつあった。
尚、ここでの中立派とは軍政畑を歩む高級士官達が大半であったが、空母建造を容認する者の中には宙雷屋の一部も加わっていた。戦艦よりも遥かに脆弱な駆逐艦を主力とする彼らにとっては、敵航空機による攻撃も決して無視できず、特に相互支援が困難な宙雷突撃時において、エアカバーの有無は死活的な問題だったからだ。
ようやくある程度の方向性が得られた空母検討であったが、未だ問題は山積みだった。いや、それらの大半は、本格空母案が廃案になった時からのものであったから、状況は何ら変化していないと言っても過言ではなかった。
物理面での最大の問題は、やはり建造施設だった。建造中若しくは建造予定のボロディノ級を削減しない限りは、飛行機屋や彼らを支持する中立派が主張するような大型母艦の建造は行えないからだ。その為、一時は巡洋艦ベースの“軽空母”建造も検討の俎上に載せられたが、搭載機数の少なさに起因する戦力経済性の悪さや多数艦運用に伴う人員確保の難しさから(当時の地球防衛艦隊は極度の人員不足に悩まされていた)、早々に廃案となっている。
また政治面においては、仮にボロディノ級を削減して空母建造を行った場合、既に発表されている波動砲搭載大型艦数の減少について、政府と市民からどのように了承を得るかも未解決のままだった。
議論は百出するも、いずれも決定打には程遠く、検討は完全に暗礁に乗り上げていた。
艦政本部の若手造船官から“私案”という形で一つの提案が為されたのはそうした折のことだった。
“改ボロディノ級航空戦艦”
そう銘打たれた私案(驚くべきことに造船官は独断でそれを検討会に持ち込んでいた)こそ、後に地球防衛艦隊が列強各国に大きなインパクトを与えることになる『戦闘空母』シリーズの始祖とされる。
その最大の特徴は、艦前半部はボロディノ級主力戦艦そのままに、艦後部のみを新たに設計した『空母ユニット』へと換装している点にあった。換装された『空母ユニット』は一種の独立ブロックであり、飛行甲板と格納庫、機関部とで容積の大半が占められ、先達とも言うべきヤマト以上の航空機運用能力を確保している。具体的には、戦闘航空隊であれば二個航空隊三六機が無理なく運用可能で、更に若干の支援機まで搭載することができた。
それでいて、艦首側の各種兵装――三連装二基六門の一六インチショックカノンは勿論、艦首拡散波動砲まで健在であったから、“航空戦艦”という名は決して伊達ではない。
正規教育を受けた造船官が提示するにはあまりに大胆な案であったが、大量・短期間建造を最大の目標にブロック化の極致を目指したボロディノ級だからこそ可能な建造案であるとも言えた。
しかし――会議の席上で初めて本案が初めて提示された際の評価は散々なものだった。
嘗ての大日本帝国海軍戦艦“伊勢”“日向”の例を持ち出すまでもなく、戦艦と空母のハイブリッドと言えば聞こえは良いが、実際にはどちらの艦種としても中途半端な存在であるのは明白だったからだ。実際、本試案艦二隻を建造するくらいなら、それぞれに最適化した戦艦と空母を一隻ずつ建造した方がよほど経済的且つ効果的だった。
会議の出席者たちは信奉する兵備主義こそ違えど、長きに及んだガミラス戦役を生き残った実戦経験者達が大半であり、本案の持つそうした根本的問題点を即座に見抜いた。当然、その評価と指摘は辛辣を極め、ある砲術士官は本案を指して“不細工で不器用なキメラ”と評し、また別の航空隊士官は、艦政本部は空母建造を潰すつもりでこのような愚案を持ち込んだのかと息を巻いた。
実は、本案が艦政本部からの正式案に至らなかったのも、正にその点に理由があった。造艦側と用兵側、どちらの立場に立ったとしても、本案はあまりにも中途半端な存在であり、どうあっても建造意義を見出せなかったからだ。
しかし、半ば吊し上げの場と化した観のある会議において、幾人かの出席者は別の視点で本案を捉えていた。――確かに造艦、用兵からすれば本案は問題外だろう。しかし、“政治的”にはどうか?――。
いずれも軍政出身者である彼らは、本案がこれまでの計画見直し議論において解決困難とされていた幾つかの問題をクリアーしていることに気づいていた。そして、独断で私案を持ち込んだ造船官もそれを理解した上で、職を賭した提案を行っていることも。
本案に基づいて建造された艦は、波動砲もショックカノンも維持した“戦艦”であるという点で、波動砲搭載艦艇数に大きな注目を寄せている政府・市民からの非難や反対は回避できるだろう。建造設備も建造中のボロディノ級から設計変更すれば容易に解決可能。問題は、“主力戦艦”を“航空戦艦”などという珍妙な存在に変化させられることに本能的嫌悪感を抱く鉄砲屋たちだが、それでも本案艦はあくまで“戦艦”であり、艦長以下各科長といった主要ポストも鉄砲屋が維持できるという点で説得すれば、純粋な空母よりも了承を取り付けやすい――。
本案は開示当初の悪評とは裏腹に、その後俄に評価が改まり、急速に具体化していくことになる。それは本案を、半ば以上感情論だけに解決の難しい政治問題をクリアー可能な唯一の“妙案”であると防衛軍上層部が(やや強引に)結論を下したからだ。勿論、その背景には、兵備に対する主義主張よりも、少しでも早く、少しでも多くの実際的兵備を揃えたい軍政側の意向が強く働いた故と言われている(まともな軍隊において軍政側が本気で動けば、組織内手管に劣る実戦部隊側はまず敵わない)。
そして遂に、“若干の”艦隊編成見直しと共に、本案は正式な建造承認に至る。承認を受けたのは六隻で、いずれも建造初期段階のボロディノ級主力戦艦からの設計変更で完成が目指された。
しかし意外にも、公表された正式艦種名は『航空戦艦』ではなく『宇宙空母(アマギ級宇宙空母)』だった。
本級が当初予定されていた“戦艦”の名を失ってしまったのは、建造中のボロディノ級主力戦艦を設計変更することに対して最後まで抵抗を続けたのが鉄砲屋達であり、その抵抗があまりに執拗であったことに対する“懲罰”として艦種名の変更が行われていた。
当然、アマギ級各艦の艦長以下主要ポストは航空屋若しくは中立派の士官達で占められた。ある意味、鉄砲屋達は撤退時期を見誤ったが故に、本来ならば確保できていた筈のポストまで失ってしまったと言えるのかもしれない。
尚、私案を独断で提出した若手造船官はその後、功績が認められる形で本級の設計主務者に抜擢された。更に後年には、アマギ級の改良型である『グローリアス級宇宙空母』『キエフ級戦闘空母』の設計主務を引き続き務め上げることになる。
その結果、件の造船官は地球防衛軍における空母設計のオーソリティーと内外から認められ、現在では技術交流の一環としてガルマン・ガミラス帝国に派遣、同国軍事アカデミーの客員教授として教鞭を執る毎日である(地球には多層式宙母の設計主務者が交換派遣されている)。
――つづく
、、、ギリギリ二月に間に合いました(^▽^;)
さてさてそんな訳で、久しぶりの地球防衛艦隊の艦艇妄想です(^_^)
宇宙空母の前編、、、ってことで書き始めたのですが、改装空母やヤマトのことばかり長くなって、なかなか肝心の宇宙空母が登場してくれず、正直困りましたw
結局、アマギ級の名前が登場したのはA4用紙10枚目で、そこでようやく前編終了とすることができました(;´Д`A ```
自分で書いておいてナンですが、こんなに部内でゴタゴタしていたら、白色彗星来襲までに空母を揃えることなんて絶対不可能だと思いますが、そこは妄想上のファンタジーってことで御勘弁いただきたいと思います( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ
後編は、ガトランティス戦役におけるアマギ級の活躍(フェーベ沖会戦)とその後の顛末、改アマギ級であるグローリアス級の誕生秘話など、思いつくままツラツラと書いていきたいと思っています。
書きたいことは結構あるので、後編もそれなりのボリュームになるとは思いますが、今回の前編並みのボリュームに到るかどうかは分りませんので、前編に比べて妙に短い後編になってしまったら、、、笑ってやってくださいw
公開までは・・・・・・二・三ヶ月くらいはかかるかなぁ・・・・・・(-ω-;)ウーン
どうぞ、気長にお待ち下さいませm(__)m
あ、そうそう、毎度のことですが、この妄想設定はオリジナル版『宇宙戦艦ヤマト』に基づくものであり、『宇宙戦艦ヤマト2199』は基本的に考慮していませんので念のためw
さて、以前より電撃ホビーマガジンで告知されていた『宇宙戦艦ヤマト模型コンテスト』エントリー作品が既に公開されていることに気づいて、ようやく見てきました(^_^)
物凄くレベルの高い作品がずらっと並んでいて驚きました(^▽^;)
できれば、もうちょっと大きいサイズの画像が見たいですね♪(宇宙空母シナノには痺れました)
https://ssl.asciimw.jp/dengeki/hobbyweb/yamato/
。。。ウチでは常連さんのアノ方の作品もw