きょうも恵比寿スクールでは「なごり雪」を取り上げました。
この教室ではフォーク系の曲をやることが多いのですが、
日本のフォークには季節感のある曲が多いですね。
この曲もたまたまですが今日の天候にもシンクロしてたかもしれません。
この曲のスリーフィンガー奏法については以前触れたので、きょうは
多くを語らないとして。
「あの素晴らしい愛をもう一度」「22才の別れ」等、日本フォークには
スリー・フィンガー使用の名曲が多いです。
私流の勝手な解釈で「なごり雪」の歌詞を改めて読んでみると、
「東京で見る雪は(限定的用法)、これが最後ねと」
言った彼女は、ふるさとの北の国に帰るのでしょう。
「ふざけすぎた季節のあとで いま春が来て 君は綺麗になった」
というのは若者の複雑な心情が表われているようです。
若い人というのは、数ヶ月単位で急に大人びて来たりするものです
よね。
(夏休み明けとか急に変わる人が居ました)
この二人は付き合っていたのは間違いないでしょう。故郷に帰る女性のほうが
はるかに踏ん切りがついていて、キリッと潔く去って行くのです。
思いがけない季節の雪が特別美しく見えたように、甘えん坊で?
幼かった彼女が別れ際にみせた成長ぶりが、彼にはまぶしいほど印象的
だったのだと思います。
(こんなに美しい大人の女性だったなら、もっと真面目に付き合って
おけば良かった。自分はなんて子供だったんだろうという心残りが
「ふざけすぎた・・」と彼の悔恨の一言に繋がります。
今になって惚れ直しても、彼女はそんな後悔は無く去って行くのです。)
作曲者が意図するかどうかに関わらず、音楽は歌詞を代弁することが
あるものだと思います。
この曲のスリー・フィンガーのアルペジオは、儚げに美しく舞う雪を
どうしても連想させます。
詞(ことば)と音楽というのは、原初から切れない深い縁が
あるもので親戚みたいなものとも言えます。
名曲というのは、歌詞と渾然一体となって不即不離なものですが
インストのみで聴いても、その世界観が崩れない名曲であることが多い。
歌詞と音楽というのは、不思議なケミストリー(化学反応)で結ばれている。
名曲を聴くと、そういう思いを新たにするのです。
この教室ではフォーク系の曲をやることが多いのですが、
日本のフォークには季節感のある曲が多いですね。
この曲もたまたまですが今日の天候にもシンクロしてたかもしれません。
この曲のスリーフィンガー奏法については以前触れたので、きょうは
多くを語らないとして。
「あの素晴らしい愛をもう一度」「22才の別れ」等、日本フォークには
スリー・フィンガー使用の名曲が多いです。
私流の勝手な解釈で「なごり雪」の歌詞を改めて読んでみると、
「東京で見る雪は(限定的用法)、これが最後ねと」
言った彼女は、ふるさとの北の国に帰るのでしょう。
「ふざけすぎた季節のあとで いま春が来て 君は綺麗になった」
というのは若者の複雑な心情が表われているようです。
若い人というのは、数ヶ月単位で急に大人びて来たりするものです
よね。
(夏休み明けとか急に変わる人が居ました)
この二人は付き合っていたのは間違いないでしょう。故郷に帰る女性のほうが
はるかに踏ん切りがついていて、キリッと潔く去って行くのです。
思いがけない季節の雪が特別美しく見えたように、甘えん坊で?
幼かった彼女が別れ際にみせた成長ぶりが、彼にはまぶしいほど印象的
だったのだと思います。
(こんなに美しい大人の女性だったなら、もっと真面目に付き合って
おけば良かった。自分はなんて子供だったんだろうという心残りが
「ふざけすぎた・・」と彼の悔恨の一言に繋がります。
今になって惚れ直しても、彼女はそんな後悔は無く去って行くのです。)
作曲者が意図するかどうかに関わらず、音楽は歌詞を代弁することが
あるものだと思います。
この曲のスリー・フィンガーのアルペジオは、儚げに美しく舞う雪を
どうしても連想させます。
詞(ことば)と音楽というのは、原初から切れない深い縁が
あるもので親戚みたいなものとも言えます。
名曲というのは、歌詞と渾然一体となって不即不離なものですが
インストのみで聴いても、その世界観が崩れない名曲であることが多い。
歌詞と音楽というのは、不思議なケミストリー(化学反応)で結ばれている。
名曲を聴くと、そういう思いを新たにするのです。