2022年を振り返る記事の第三弾です。
今年はショックを受ける訃報が多かった――という話を先日書きましたが、これは海外の音楽業界でも同様でした。
もちろんこれも毎年ある話ですが、やはり今年はとりわけショッキングなニュースをいくつも目にした気がしており……今回は、それらについて書こうと思います。
ただ、なにしろ一年分のニュースをざっと見返してみると、亡くなったアーティストというのは相当いらっしゃるわけなので、取り上げるのは、そのなかでも私がかねてからよく聴いていた一部のアーティストということになります。一読して、あの人の名前が入っていないじゃないか、というのはあると思いますが……そこはご容赦を。
ドン・ウィルソン
ベンチャーズのギタリストで、創設メンバーの一人でした。
最近gooブログで渚ゆう子さんの「京都の恋」に関する記事を目にしたんですが、あれはベンチャーズの作った曲でした。そのベンチャーズ自身による演奏を。
Kyoto Doll
ジェリー・リー・ルイス。
ロックンロール草創期を支えたレジェンドと呼んでいいでしょう。
チャック・ベリーやリトル・リチャードといったこのあたりの人たちは意外と長生きしている……といつか書きましたが、ジェリー・リー・ルイスもまたしかり。87歳の大往生です。
そんなジェリー・リーがチャック・ベリーと共演した動画がYoutubeにありました。
キース・リチャーズやニール・ヤングも同じステージに。キースもニールも、二人のレジェンドからみれば若手ということになるわけです。
曲は、チャック・ベリーの「ベートーベンをぶっとばせ」。これは、以前このブログで一度紹介しました。ビートルズもカバーしている名曲です。
Chuck Berry, Keith Richards, Jerry Lee Lewis, Neil Young – "Roll Over Beethoven"
ジェリー・リーといえば、足でピアノを弾くなどのアグレッシブなパフォーマンスでも知られます。
上の動画はチャック・ベリーが主役という感じなのでジェリー・リーはあまり目立ちませんが……後半では肘プレイやケツプレイをみせてくれます。まさにこれこそが、ベートーベンをぶっ飛ばせということでしょう。
ビル・ピットマン。
アメリカ西海岸のセッションミュージシャン集団“レッキング・クルー”のギタリスト。
ロネッツのBe My Babyや、バーズの「ミスター・タンブリンマン」、ビーチボーイズのグッド・バイブレーション……といった曲でギターを弾いていたということです。いずれもロック史上に残る名曲といえるでしょう。
そのなかの、Be My Baby。
The Ronettes - Be My Baby (Official Audio)
ドラムを叩いているのは、同じくレッキングクルーのハル・ブレイン。
メインで歌っているヴェロニカさんは、後にフィル・スペクターと結婚してロニー・スペクターとして知られている人ですが、この方も今年亡くなりました。ハル・ブレインとフィル・スペクターも、ここ数年で相次いで世を去っています。時の流れはやはり残酷なもので……
イアン・マクドナルド。
キング・クリムゾン創設メンバーの一人です。サックス、フルート、メロトロン……と、さまざまな楽器をこなすマルチプレイヤーで、彼の存在がクリムゾンのプログレ世界を構築する大きな柱となっていたことは疑いようがないでしょう。
そのキング・クリムゾンが世にはばたくきっかけとなったのは、ブライアン・ジョーンズ追悼コンサートにおけるローリング・ストーンズのサポート。
下にその動画を。短尺バージョンで音質もおそろしく悪いですが……これが伝説の幕開けでした。
King Crimson - 21st Century Schizoid Man (Live at Hyde Park 1969)
ゲイリー・ブルッカー。
プロコル・ハルムの中心人物です。バンドとしてあまり有名ではないかもしれませんが、後世のロックに与えた影響は小さくはないでしょう。
ゲイリー・ブルッカーが歌う代表曲「青い影」は、多くのアーティストにカバーされました。
A Whiter Shade of Pale [50th Anniversary Stereo Mix]
この動画に使われているアルバムアートワークは何となくザック・ワイルドのギターに似ているような気がしますが……ザック・ワイルドも自身のバンドBLSでこの曲をカバーしました。
ウィルコ・ジョンソン。
この親日家ギタリストの死は大きなショックでした。
一度は末期癌と診断されたものの、それを克服して復活を果たし、2014年にはフーのロジャー・ダルトリーとコラボした新作を発表していました。
Wilko Johnson, Roger Daltrey - Going Back Home
オリビア・ニュートン=ジョン。
彼女の訃報も大きな衝撃でした。
長いキャリアの中でいろんな顔をみせてきた人ですが、Youtube で Xanadu の動画をみつけたので、そちらを。
Xanadu | Olivia Newton-John & Gene Kelly's '80s/'40s Hybrid E.L.O. Roller Disco
ELOとコラボしたヒット曲。
映画としてはうまくいかなかったそうですが……
キース・レヴィン
初期クラッシュでギターを弾いていました。
クラッシュは当初ギターが二人いて、そのうちの一人がキース・レヴィンでした。ただし、バンドがファースト・アルバムをリリースする前に脱退。ビートルズでいうスチュアート・サトクリフみたいな人です。ただ、ジョー・ストラマーに声をかけてクラッシュ加入を働きかけた人物ということで、重要な存在といえるでしょう。
その後、セックス・ピストルズを抜けたジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)が結成したPublic image Ltd に参加。むしろ、このPiLのギタリストとしてよく知られています。
Poptones (Remastered)
ざっと振り返ってみたときに、特にドラマーが死去した話が多かったという印象があります。
というわけで、ここからはドラマーについて。
ジェリー・アリソン。
バディ・ホリー&ザ・クリケッツのドラマーでした。代表曲That'll Be the Day や Peggy Sue をバディ・ホリーとともに作った人でもあります。
前者はビートルズの前身バンドであるクオリーメンが初期にカバーし、後者はジョン・レノンがソロでカバーしました。いずれも、ロック史上に残る名曲といえるでしょう。
とりわけドラムが躍動しているペギー・スーの動画を。
Buddy Holly & The Crickets "Peggy Sue" on The Ed Sullivan Show
クオリーメンはビートルズとなるわけですが、虫の名前をバンド名にするというアイディアはバディ・ホリーのクリケッツからきているといわれます。
中心人物のバディ・ホリーは飛行機事故で世を去りましたが、その事故の数日前のライブに、ボブ・ディランが観客として参加していたという逸話も。その際に、バディ・ホリーと目が合ったというようなことをディランは語っています。どこまで信じていいのかはわかりませんが……ともかく、こうしてビートルズやボブ・ディランといったレジェンドにつながっていく、バディ・ホリー&ザ・クリケッツは、いうなればレジェンドたちのレジェンドなのです。
サム・レイ。
マディ・ウォーターズや、ハウリン・ウルフと共演、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドにも参加……と、ブルース方面で活躍したドラマー。
1965年、ボブ・ディランの名盤『追憶のハイウェイ61』にも参加していました。同年、あのニューポート・フォーク・フェスティバルでもディランのサポートでドラムを叩いていたとか。
その『追憶のハイウェイ61』からタイトル曲を。
冒頭から随所で鳴らされるサイレンのような音を吹いて(?)いるのもサム・レイだそうです。
Bob Dylan - Highway 61 Revisited (Official Audio)
ちなみに、この動画に使われている画像はアルバムのジャケットですが、ディランの背後に下半身だけが写っているのは、ボブ・ニューワース。この方も、フォーク界の大物です。ジャニス・ジョプリンの「メルセデス・ベンツ」の共作者としても有名な人で、この人も今年亡くなっています。
ジョン・ハートマン。
ドゥービー・ブラザーズのドラムで、創設メンバーの一人でした。ドゥービーズは非常にメンバーの出入りが激しいバンドですが、やはり創設メンバーというのは特別な存在です。
代表曲の一つ Minute by Minute の動画を。
The Doobie Brothers - Minute By Minute (Official Music Video)
アラン・ホワイト。
イエスのドラマーとして有名でしょう。イエスに加入したのはビル・ブルフォードがキング・クリムゾンに移籍したためですが、その前にはジョン・レノンのプラスティック・オノ・バンドでドラムを叩き、エリック・クラプトンやクラウス・フォアマンとともにステージに立っていました。レコード音源では、「イマジン」でもドラムを叩ています。ジョージ・ハリスンの All Things Must Pass に参加したりもしていて、ものすごい人なのです。
下の動画は、2017年ロックの殿堂に登場したイエス。
ここでは、アラン・ホワイトに加えて、ジョン・アンダーソン、リック・ウェイクマン、スティーヴ・ハウとイエス黄金期(私の観点では)のメンバーが再結集し、Roundabout を披露しています。クリス・スクワイアはこの時点ですでに世を去っていたんですが、その代役としてラッシュのゲディ・リーがベースを弾くというものすごいことになっていました。
Inductees Yes Perform "Roundabout" Rock & Roll Hall of Fame 2017
D.H.ペリグロ。
デッド・ケネディーズのドラム
一時的にレッド・ホット・チリ・ペッパーズにも参加していました。
アメリカはパンクにとって不毛の地だというのが私の持論ですが、そんな米国にあって真にリアルなパンクをやっていたのがデッド・ケネディーズなのです。
下は、代表曲の一つ Holiday in Cambodia の動画。
Dead Kennedys - Holiday In Cambodia
年齢制限がかけられており、外部サイトでは再生できません。さらに、Youtubeで再生しようとすると、不適切、攻撃的な動画といった警告メッセージが出てきます。それでこそパンクというものでしょう。
ジェット・ブラック。
ストラングラーズのドラム。パンクの本場イギリスで、パンク勃興期を代表するバンドの一つがストラングラーズです。
ジェット・ブラックはちょっと経歴が特殊な人で、デビュー当時すでに40歳近く、酒屋やアイスクリームの会社を経営していたとか。そのアイスクリーム屋のバンをバンドの移動用に使っていたんだそうで、音楽のこととはまた違った部分で勃興期のパンクに貢献していたのかもしれません。
ただ、ほかのメンバーよりも一回り年齢が高いということは、それだけ早く老いに直面するということでもあり……パフォーマンスの質を維持できないということで、2015年にバンドを脱退していました。享年84歳ということで、大往生といえるんじゃないでしょうか。
The Stranglers - Skin Deep [Official Music Video]
テイラー・ホーキンス。
フー・ファイターズのドラマー。訃報の衝撃という点では、この人が一番大きかったかもしれません。ドラマーとしての存在感もさることながら、まだ死ぬような年齢ではなかったので……
死因に関しては薬物云々という話もあるようですが、まあ正直そこにあまり驚きはありません。ただ安らかにというのみです。
そのテイラー・ホーキンスが、ドアーズの存命メンバーと共演した動画があります。
これはたしか彼の死後に追悼の意味合いで公開されたものだったと思いますが……ここではドラムではなくボーカルとして、ドアーズの Love Me Two Times をカバー。
“Love Me Two Times” featuring Taylor Hawkins