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スクリャービン

2007-06-18 00:54:44 | 音楽史
MutiScriabin
Symphonies(complete)
Riccardo Muti
The Philadelphia Orchestra
 

アレクサンドル・スクリャービン(1872-1915)はモスクワに生まれた。自ら志願して陸軍兵学校に進んだが、音楽的な才能を認められ、モスクワ音楽院にも通うことが許され、そこでピアノと作曲を学ぶ。同級生にはラフマニノフがいた。スクリャービンは過度な練習により、20歳のときに右手を痛めてしまったが、代りに左手を特訓するとともに、作曲にも力を入れるようになった。この左手の特訓により、広い音域をかけめぐることが可能になり、それがスクリャービンのピアノ曲の特徴の一つになった。
スクリャービンは1891年にリムスキー=コルサコフと知り合い、1898年にはモスクワ音楽院のピアノ科教授となった。1900年ごろからはニーチェの思想に心酔するようになり、のちに神智学に関心を持つようになった。1902年にはモスクワ音楽院を辞任し、1904年には愛人のタチヤナとスイスへ行き、しばらくヨーロッパ各地を転々とした。ベルギーに滞在していた頃に神秘主義的な傾向に拍車がかかり、神智学的思想を音楽で表現することを考えるようになった。1910年にロシアに帰国してからは国内外で演奏活動を活発に行ない、ピアニストとして作曲家としてその名を知られるようになったが、1915年に唇の膿瘍による敗血症が原因で死去した。

スクリャービンの作曲家としての変遷をたどると、1900年頃まではノクターンや前奏曲、練習曲やマズルカといったショパン的な音楽を書いていたが、その後、リストやヴァーグナーの半音階やリムスキー=コルサコフのエキゾティックな音楽の影響を受けるようになった。そしてニーチェの思想や神智学に深く影響されるようになってからは、スクリャービン独自の複雑な和声を持った音楽が産み出されることとなった。この彼独自の和声は「神秘和音」と呼ばれる。これは四度音程を6個堆積した合成和音であり、この6つの音からなる和音はその機能や調性が決めがたく、それゆえに機能による進行からも調性からも解放されて自由になる。このような「神秘和音」に加え、音と色彩を融合させる「プロメテウス」の試みがあった。このような音と色彩を関係づける試みは以前からなされていたとロックスパイザーは書く。

「音楽の感覚と色彩の感覚の相互関係、もしくは音楽哲学と色彩哲学の相互関係を理論化しようとする試みは以前から数多くなされてきた。この構想のはじまりは古代にまで溯るが、今日の画家や作曲家によって、熱心に探求されている構想でもある。楽器について言えば、十八世紀に作られた目で見るチェンバロのような楽器がこれまでにも製作されてきた。これはフランスのイエズス会の司祭ベルトラン・キャステルが考案したもので、チェンバロの弦のかわりに色のついたテープがあり、暗い部屋で色つきのものを見せる構造である。現代においてはスクリャビンとシェーンベルクが《プロメテウス》や《幸福の手》において、装飾として、あるいは視覚的な理想として色彩オルガンによる光の投射を試みている」(ロックスパイザー「絵画と音楽」)

ベルトラン・キャステルのチェンバロについてはルソーが「言語起源論」の中で言及している。

「芸術の考察においては、物理的な考察が必ず非常識なことをひき起したのであった。人びとは音を分析して、光の分析と同じ関係を見いだしたのであった。するとたちまち経験にも理性にもわずらわされずに、その類推を熱心にとらえたのであった。体系好きの精神がすべてをごっちゃにし、耳に向って描写することができないので、眼に向って歌うことを思いついたのである。わたしは色彩で持って音楽を作ると称するあの有名なクラヴサンを見たことがある。色彩の効果はその永続性にあり、音の効果はその連続にあるということが分らないのは、自然の働きをよく知らなかったのである」(ルソー「言語起源論」)

さらにティズダル=ボッツォーラによれば、次のような試みもあったという。

「十九世紀末から、よりエキセントリックな研究のいくつかが、完全に新しい楽器と音楽形式を創る可能性をもたらしていた。それらはいずれも、色と音の両方を演じるという、二重の機能をを持ったものだった。ベインブリッジ司教の「色彩オルガン」がその一例であり、アレクサンダー・ワラス・リミントンの「色彩音楽」が他の一例である。これらは両方とも、後にスクリャビンの「色光ピアノ」および色と音の抽象的価値の性質を把握しようとする彼の試みによって、あるいは、詩人レオポルド・シュルヴァージュの「色彩のリズム」の理論によって、凌駕された」
(ティズダル=ボッツォーラ「未来派」)

19世紀はボードレールの「万物照応」やランボーの「母音」といった詩が書かれた時代であるとともに、シャルル・アンリが「科学的美学への序論」を著し、「すべての感覚領域がもつハーモニーを結合できるという証明は、いままで科学はこれを斥けてきたが、われわれはいま、これを獲得した」と書き、「数学的分析と実験的なデータにもとづくシネステジー(共感覚)の理論、たとえば視覚、聴覚、味覚、触覚などの複数の感覚領域にわたって印象の類似性ないし共通性があり、その共感覚を数学的に、また機械的手段によって「測定」できるという考え方」を示した時代でもあった。

この「プロメテウス」での音と色彩を関係づける試みをさらに発展させ、音と色彩のほか、芳香や触覚的なものも融合し、音楽に詩や舞踏、そして建築をも総合していく「神秘劇」をスクリャービンは構想するに至った。これはインドの寺院を舞台に7日間かけて人類を新しい存在へと変容させることを目的とした壮大なものになるはずであった。この「神秘劇」の構想にはもちろん神智学が深く関わっている。ブラヴァツキー夫人が創設し、キリスト教やイスラーム教、仏教やヒンドゥー教などのあらゆる宗教と哲学・科学に潜在する普遍性を探求し、実践することを目的とした神智学は音楽や舞踏を用いることで神秘を直接的に体験し神との合一を図ろうとするものであった。しかし、この「神秘劇」はスクリャービンの死により、未完のまま終わった。
スクリャービンの「神秘劇」をめぐって、メイエルホリドは次のように書いている。

「スクリャービンはその交響曲第1番で宗教としての芸術に対する賛歌をうたい、交響曲第3番では解放された精神と自己を肯定する個人の力を明らかにした。『法悦の詩』では、茨の道を無事通り抜け、今や創造の時が訪れようとしていることを知った喜びが人間を包み込んでいる。こうした段階を踏んでいくなかでスクリャービンは、音楽と、踊りと、光と、野の草花の酔わせるような香りとが一つのハーモニーのなかに溶け合う、神秘劇と呼んでもいいような壮大な儀式に使えるかなり貴重な材料を手に入れたのである。スクリャービンが交響曲第1番から『プロメテウス』へ至る道を驚くべき速さで走り抜けているのを見れば、確信を持ってこういうことができる。スクリャービンはすでに神秘劇を提げて観衆の前に登場する用意ができているのだ、と。しかし、もし『プロメテウス』が現代の観衆を一つの統一された共同体へとまとめることができないとしたら、スクリャービンは彼らに神秘劇を披露することを望まないのではないか。『プロメテウス』の作曲者がガンジスの岸辺に心を惹かれるのも無理はない(スクリャービンの死で未完に終わったが、彼の神秘劇『前触れの事蹟』はガンジス川岸辺で上演する構想であった)。彼にはまだ神秘劇を求める聴衆がいないのだ。わが国では、彼はまだ真の信者や帰依者を周囲に集めることができなかったのである」

高橋悠治はスクリャービンの音楽を求心的なものととらえ、それが「神秘劇」の拡散的な傾向とは相容れないことを指摘している。

「スクリャービンのソナタを形式的に分析する意味があるだろうか。ここでは形式構造はまったくきこえない。そのかわりにあるのは、小さな断片のモザイクであり、各断片は暗示的ではあるが、単体で内部構造は極度に限られたアメーバ状のものである。このモザイクのあそびはほとんどうごかない和音の中ではてしなくつづく」(高橋悠治「スクリャービンとの距離」)

「スクリャービンの動機は記号であり、モザイク的くみあわせとくりかえしによって発展をさまたげられている。最初の和音の開始と同時に、ある世界が形成され、音楽はその中に閉じられる」(同上)

「スクリャービンの場合は、同じ音を選んでも旋法としてではない。それは「合成和音」なのだ。選ばれた音全体が無差別に使われ、特定の音が部分集合を形成することなく、それ以外の音は経過音として現れるにすぎない。どんな内部構造も持たない単体であり、求心的な淡彩である」(同上)

「スクリャービンの最後に到達した地点は、作品七二の「焔に向かって」にしめされる。最弱音で中音域のおそい波動からリズムの不可逆的細分化によって、全音域でのトリルとけいれんするトレモロの最強奏で終わるこの作品は、ソナタ形式の外面的対比の図式にかかりあうこともなく、単一の素材と単一の方向へのおどろくほどの集中を示す。メシアンの遠心的な虹の音楽に対して、これは求心的な焔の音楽である」(同上)

マンデリシタームはスクリャービンの死後、彼を追悼する一文を寄せた。

「スクリャービン――それはプーシキンに続く、ロシア的な古代ギリシア性の次なる段階、ロシア精神が持つヘレニズム的本性の、さらなる合法則的な開示である。ロシアにとって、そしてキリスト教にとってのスクリャービンの絶大な価値は、彼が無分別なギリシア人であるということに因っている。彼を通して古代ギリシアは、棺の中でおのれを焼いたロシアの分離派教徒たちと血縁を結んだのだ」(マンデリシターム「スクリャービンとキリスト教」)

「声――それは人格である。ピアノ――それはセイレーネスだ。スクリャービンの、声からの断絶、ピアニズムというセイレーネスに対する彼の大変な熱中ぶりは、人格、音楽における「我在り」のキリスト教的知覚が失われてしまったことを示している。
言葉のない、奇妙に沈黙している『プロメテウス』の合唱――これもやはり同様の、危険で誘惑的なセイレーネスである」

古代ギリシアにあって、音楽は破壊的自然力と見なされていた。マンデリシタームはスクリャービンの音楽に、ギリシャ人が恐れた危険で誘惑的なものが潜んでいることを感じ取ったのである。

→E.ロックスパイザー「絵画と音楽」(白水社)
→J-J.ルソー「言語起源論」(現代思潮社)
→ティズダル/ボッチョーラ「未来派」(PARCO出版)
→宇佐美斉編著「象徴主義の光と影」(ミネルヴァ書房)
→「メイエルホリド ベストセレクション」(作品社)
→高橋悠治「ことばをもって音をたちきれ」(晶文社)
→マンデリシターム「言葉と文化 ポエジーをめぐって」(水声社)


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