Fernando Pessoa(1888-1935)
フェルナンド・ペソア「不穏の書、断章」(思潮社)
この本はリスボン在住の会計助手であるベルナルド・ソアレスの手記として書かれた断章からなる。フェルナンド・ペソアはこのソアレスだけでなく、70近くもの異名を使い分け、それぞれにまったく異なるプロフィールや人格さえも与え、さながら多重人格者のように書いていた作家であった。それゆえに「複数の自己」というようなポストモダンの文脈で発見され、生前は知る人ぞ知る存在でしかなかったこの詩人もいまや世界的な巨匠となった。
「不穏の書」は全部で520の断章からなり、書くこと、生きること、夢と現実、存在と非在、感覚と知性など多岐にわたるテーマについて書かれている。それらはモラリストの随想のようでもあり、象徴派詩人の倦怠に満ちた生への嘆きのようでもあり、カフカ的な、ひっそりとかすめとるように観察され、書かれたテクストのようでもあり、ニーチェやドゥルーズのような哲学的思考のようでもあり、空や無常を説いているようでもある。そこにはなにひとつ超越的なものがなく、すべてが等価である。「私」は空虚な器となり、劇場としての場となって、あらゆるものがそこでそれぞれを演じているといった具合。完結しない円としての螺旋を描きながら無限へと開放されたテクスト、もしくはバロック的な、現実と虚構の相互浸透とでも言おうか。いずれにしても人生のつまらなさに背を向けた男の孤独な営みには心動かされるものがある。
「不穏の書、断章」という思潮社から出ている翻訳は全訳ではなく、「不穏の書」の一部分にペソアの書簡や散文から選んだテクストを加え、訳出したもの。