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福祉について考えるUMEMOTOのブログ

ホスピスの現場から ―山崎章郎氏の話を聞いて―

2005-07-20 21:53:23 | 福祉雑記録
先日、『病院で死ぬということ 正・続』の著者でもある山崎章郎(やまざきふみお)氏の話を聞く機会があった。

話はホスピスに入院してくる患者の余命を把握するところから始まった。余命が「あと何ヶ月―」という具合に、月単位でみることができる患者。それが週単位になり、最後は日単位になっていくという。大きく3段階で患者を診ていくのは、それぞれの段階により患者自身・家族からのニーズが異なるからだそうだ。それに合わせて、医師、看護師が協力し患者や家族をサポートしていくのである。
認知症の診断にも共通の部分が多い。一概に認知症といっても、さまざまな種類があり、それに伴い経過も変わってくる。老人性認知症という曖昧な診断では、今後どのような経過をたどるか判断できないが、正しい診断名があると経過をある程度予測することができる。それにより、さまざまな症状が表出してもケアをする側は冷静に対処することができるのである。

ホスピスとは、癌の病に侵された患者が治療の術がなく、痛みを取り除く緩和ケアを中心に余命を過ごすための専門の病院である。山崎氏が声高に言っていた「私たちは患者が死を受容するのを手助けするのが仕事ではない。一瞬一瞬の受容を手助けすることが仕事である。その積み重ねの先に『死』がある」という言葉が印象深い。一見似ているようなことを言っているように感じるが、前者と後者には大きな隔たりがある。前者のほうは、死そのものが前提にあり後ろ向きなイメージがあるのに対し、後者はその時一瞬の受容の後には、自ずと希望がみえてくる前向きの姿勢なのである。

また、癌の患者に対しておこなわれている『告知』についても示唆に富んだ話を聞くことができた。私たちは告知と聞くと、医師から患者本人または家族に対しての一方的な情報伝達というイメージを持ってしまうが、山崎氏が言う告知とは『情報共有』ということであった。医師と患者、そして患者を支える家族と看護師が同席し、現在の状況や今後想像される経過などの情報を4者が共有し、今後の治療方針を定める場が告知であるという。そのうえで病院側として次なる道を示し、最後まで同行するという安心感を与える場でもあるとのこと。
これがすべての癌患者に対しておこなわれているわけではないが、私たち福祉の現場でもどれだけ同じようなことができているだろうか。ケアマネージャーが訪問した先で…、施設に入居する際の契約の際…、ケアプランを作った後…、さまざまな機会のなかで、私たちももう一度『情報共有』のあり方を見直すべきかもしれない。

最後にこんなことも言っていた。「今後、日本はアメリカ同様“訴訟社会”になっていくだろう。そうなると、否応なく患者本人に対して告知がおこなわれるようになる。そのとき、告知された人をどのようにサポートしていくかも、これからの大きな課題です」。