スクールミーティングが各地の小中学校で行われている。スクールミーティングとは、文部科学省が掲げる義務教育改革を進めるために、文部科学省の職員が各地の小中学校に出向き、教員や保護者、生徒などと直接意見交換を行うための場である。
学力低下がOECDのランキングという形で指摘され、中山文部科学相が「ゆとり教育」を見直すと発言したことで、一気に義務教育論争に火がついた形となっている。
これまでの詰め込み教育を反省し、総合的に物事を考えられる人材、そして「生きる力」を持った人間を育成するために、「ゆとり教育」「総合学習」が始まったが、学力低下が浮き彫りになったため、またすぐに「ゆとり教育」を見直そうと今回の義務教育改革に至ったのであろう。なんともお粗末な結果としか言いようがない。そもそも、「ゆとり教育」を始める前に議論が足りなかった、ということもすでに指摘されている。理念が評価される一方で、現場からも反対意見が多く出ているのも、見切り発車のせいだといえる。つまり、何も知らない子どもたちの周りで、大人たちが右往左往しているのである。
しかし、今回の義務教育改革までの経緯がどうであれ、文部科学省が行っているスクールミーティングという手法は評価したい。実際に現場の教員や、不安を抱えている父母らと直接対話することで見えてくるものが多くあるに違いない。
だが一方で生徒との対話がほとんどみられていないのが気にかかる。名目上は、生徒と共に給食を食べ話を聞くということになっているが、その給食を食べることもあまり行われていない。
本来、義務教育改革の主役は生徒であるはずである。生徒が意見を言えないというのであれば、それは適切な情報を事前に伝えておけばいいだけのはずだ。また、生徒を小中学生だけに限定するのではなく、これまで「ゆとり教育」を体験してきた現役の高校生などからも意見を聞くことも、経過をしるためには重要だろう。
これまでの失敗をまたここで繰り返してはいけない。子どもたちあっての教育である。まずは、子どもたちの声に耳を傾けることから始めてほしい。
学力低下がOECDのランキングという形で指摘され、中山文部科学相が「ゆとり教育」を見直すと発言したことで、一気に義務教育論争に火がついた形となっている。
これまでの詰め込み教育を反省し、総合的に物事を考えられる人材、そして「生きる力」を持った人間を育成するために、「ゆとり教育」「総合学習」が始まったが、学力低下が浮き彫りになったため、またすぐに「ゆとり教育」を見直そうと今回の義務教育改革に至ったのであろう。なんともお粗末な結果としか言いようがない。そもそも、「ゆとり教育」を始める前に議論が足りなかった、ということもすでに指摘されている。理念が評価される一方で、現場からも反対意見が多く出ているのも、見切り発車のせいだといえる。つまり、何も知らない子どもたちの周りで、大人たちが右往左往しているのである。
しかし、今回の義務教育改革までの経緯がどうであれ、文部科学省が行っているスクールミーティングという手法は評価したい。実際に現場の教員や、不安を抱えている父母らと直接対話することで見えてくるものが多くあるに違いない。
だが一方で生徒との対話がほとんどみられていないのが気にかかる。名目上は、生徒と共に給食を食べ話を聞くということになっているが、その給食を食べることもあまり行われていない。
本来、義務教育改革の主役は生徒であるはずである。生徒が意見を言えないというのであれば、それは適切な情報を事前に伝えておけばいいだけのはずだ。また、生徒を小中学生だけに限定するのではなく、これまで「ゆとり教育」を体験してきた現役の高校生などからも意見を聞くことも、経過をしるためには重要だろう。
これまでの失敗をまたここで繰り返してはいけない。子どもたちあっての教育である。まずは、子どもたちの声に耳を傾けることから始めてほしい。
「地方分権」は民主主義の仕組みとしては良いプロセスと思いますが、メディアの力が今のように有っても、その地方、地方の有力な力を持った方の思いで、生活の仕組みが作られるような思いが私にはあります。
この機会をスタートと考えか?後退への一歩か?
その地方の民度のレベルが問われています。
記事を読んでいただき、コメントまでありがとうございます。
確かに、これからは各地方の民度のレベルが問われてくると思います。
たぶんそれに気づいている人も、本気で心配してる人もあまりいないのではないでしょうか。
杞憂ですかね。
でも、そんな状況だからこそ、そこの住民である私たちひとりひとりが強い意志を持って、参加していかないといけないと思います。また、そのチャンスでもあると思うんです。
各地域の民度を作るのは、自分だということを改めて意識することが、民主主義への第一歩ですよね。