インドネシアは国会議員選挙に合わせて行ったのだが、選挙休暇などの関係で、会いたい人物に会えなかったという意味では、収穫はいまいち。
ただ、初めての南半球、マレー社会の本場体験ということでは、面白かった。今後の本のネタに使えそうな題材も見つかった。
インドネシアでは、ジャカルタ以外にも行こうと思っていた。事前にジョグジャカルタかバリ(ウブド)で迷っていたのだが、NHK語楽紀行のバリ編に出ていたユリアティがかわいかったことを思い出して、バリのウブドに2泊した。ガイドブックを見ていると、ユリアティの名前を冠したロスメンもあったので、そこに予約した。電話に出たのは、ユリアティの妹のビダニだった。
いろいろ調べたところ、ユリアティは昨年結婚したらしい。
しかもユリアティの家って、貴族であるウェイシャに属する家系らしくて、結婚相手が平民のシュードラだったことから、「駆け落ち婚」だったらしい
しかし待てよ、インドではウェイシャの元となるヴァイシャが平民で、スードラは下人じゃないのか?これはどうもヒンズー教がバリに受容された際に、クシャトリアが王族だけを意味して、ヴァイシャが貴族を意味するようになったようだ。
でも、わりと小さい島で貴族?ってようわからん。そもそもインドほど階級は厳しくないようだけど。
まあ、娘3人、息子1人いて、いずれも大学に通わせているから、インドネシアでは確かにわりと上流になるんだろうね。
5日と6日に泊まった。5日夜についたときは、彼女らの父親がいた。英語がけっこう達者。ビダニは翌日帰ってくるという。6日夕方ビダニが帰ってきたが、帰ったときには入れ違いだったので、彼女は昼寝していた。
起きてくるのを待って話しかけた。さすが貴族の娘?だけあって、けっこう上品な子だった。医学部5年生で、今年から実習に入るとか。医学部生だから、インドネシア人には珍しく英語もそこそこできる。医学部といえば、レバノンで会ったハーシム家の元王女も医学部出身だったが、医者って上流な仕事ということに国際的になっているのか。
ビダニがいうには、子沢山のインドネシアでは不足気味の小児科医になりたいらしい。感じからすると、非常にむいているだろう。
ビダニは一家全員が、バリ島によくあるように、きわめて敬虔なヒンズー教徒で、ビダニも一日3回神々に祈るらしい。
そういえばウブドでは、道にたくさんヒンズー教の祈り用の小さな紙箱が置かれていた。
これは良いことだ。
台湾が現在方向性を見失っている原因の一つには、シナ由来の現世利益のいかがわしい「宗教」があって、本当の意味でのマトモな信仰がないためだろう。その分、信仰は青と緑の政治闘争にしかなく、不毛な争いになってしまっている。
インドネシアとマレーシアで安らぎを感じるのは、人々がイスラームなりヒンズーなりと、人智を超えるものに対して畏れを抱き、そして敬虔に信仰している姿だ。
そういえば驚いたことに、インドネシアでは医学部も含めて大学はすべてインドネシア語で教えられているらしい(医学部ではテキストは英語だが)。これは発展途上国ではきわめて珍しいというか、驚愕すべきことだ。
確かに街を見渡すと、インドネシア人で英語ができる比率は、オランダの植民地だったというハンデを考慮しても、マレーシアよりもはるかに少なかった(マレーシアは上手下手はあるが、ほぼ全員が英語ができる感じだ)。そこらへんにいる一般人は地域言語とインドネシア語しかできない。ジャカルタはインドネシア語の単一言語地域になっている。
ベネディクト・アンダーソンのナショナリズム研究の経典本「想像の共同体」は、インドネシアをモデルにしているが、言語に注目しているのは、インドネシアの国の成り立ちがインドネシア語という民族言語に力を入れたことを反映している。私は以前、これにはまって、90年代に台頭していた台湾語ナショナリズムに投影して論じてきたが、今ではやっぱり違っていると思う。それはアンダーソンが、インドネシアという特殊事情を基盤にしているからだろう。
ビダニはたまたま月曜に戻ってきたが、普通は金曜日に恒例のレゴンダンスに出るときしか、ロスメンのある実家に戻ってこないらしい。ユリアティもそうらしい。今回は金曜日はインドネシアに滞在しないので、ユリアティには会えなかった、残念!
しかし、ユリアティもビダニも、すごい上品でかわいいよね!
しかもインドネシア人がいいところは、わりと小柄なところ。圧迫感を感じずに接することができるのも良い。私は女性は気が強くてもいいが、大柄なのは苦手だから。
本当はビダニと一緒に撮った写真もあるが、勝手に載せるのも何なので、ユリアティハウスに掛かっていた一家の写真を載せておく。
ただ、初めての南半球、マレー社会の本場体験ということでは、面白かった。今後の本のネタに使えそうな題材も見つかった。
インドネシアでは、ジャカルタ以外にも行こうと思っていた。事前にジョグジャカルタかバリ(ウブド)で迷っていたのだが、NHK語楽紀行のバリ編に出ていたユリアティがかわいかったことを思い出して、バリのウブドに2泊した。ガイドブックを見ていると、ユリアティの名前を冠したロスメンもあったので、そこに予約した。電話に出たのは、ユリアティの妹のビダニだった。
いろいろ調べたところ、ユリアティは昨年結婚したらしい。
しかもユリアティの家って、貴族であるウェイシャに属する家系らしくて、結婚相手が平民のシュードラだったことから、「駆け落ち婚」だったらしい
しかし待てよ、インドではウェイシャの元となるヴァイシャが平民で、スードラは下人じゃないのか?これはどうもヒンズー教がバリに受容された際に、クシャトリアが王族だけを意味して、ヴァイシャが貴族を意味するようになったようだ。
でも、わりと小さい島で貴族?ってようわからん。そもそもインドほど階級は厳しくないようだけど。
まあ、娘3人、息子1人いて、いずれも大学に通わせているから、インドネシアでは確かにわりと上流になるんだろうね。
5日と6日に泊まった。5日夜についたときは、彼女らの父親がいた。英語がけっこう達者。ビダニは翌日帰ってくるという。6日夕方ビダニが帰ってきたが、帰ったときには入れ違いだったので、彼女は昼寝していた。
起きてくるのを待って話しかけた。さすが貴族の娘?だけあって、けっこう上品な子だった。医学部5年生で、今年から実習に入るとか。医学部生だから、インドネシア人には珍しく英語もそこそこできる。医学部といえば、レバノンで会ったハーシム家の元王女も医学部出身だったが、医者って上流な仕事ということに国際的になっているのか。
ビダニがいうには、子沢山のインドネシアでは不足気味の小児科医になりたいらしい。感じからすると、非常にむいているだろう。
ビダニは一家全員が、バリ島によくあるように、きわめて敬虔なヒンズー教徒で、ビダニも一日3回神々に祈るらしい。
そういえばウブドでは、道にたくさんヒンズー教の祈り用の小さな紙箱が置かれていた。
これは良いことだ。
台湾が現在方向性を見失っている原因の一つには、シナ由来の現世利益のいかがわしい「宗教」があって、本当の意味でのマトモな信仰がないためだろう。その分、信仰は青と緑の政治闘争にしかなく、不毛な争いになってしまっている。
インドネシアとマレーシアで安らぎを感じるのは、人々がイスラームなりヒンズーなりと、人智を超えるものに対して畏れを抱き、そして敬虔に信仰している姿だ。
そういえば驚いたことに、インドネシアでは医学部も含めて大学はすべてインドネシア語で教えられているらしい(医学部ではテキストは英語だが)。これは発展途上国ではきわめて珍しいというか、驚愕すべきことだ。
確かに街を見渡すと、インドネシア人で英語ができる比率は、オランダの植民地だったというハンデを考慮しても、マレーシアよりもはるかに少なかった(マレーシアは上手下手はあるが、ほぼ全員が英語ができる感じだ)。そこらへんにいる一般人は地域言語とインドネシア語しかできない。ジャカルタはインドネシア語の単一言語地域になっている。
ベネディクト・アンダーソンのナショナリズム研究の経典本「想像の共同体」は、インドネシアをモデルにしているが、言語に注目しているのは、インドネシアの国の成り立ちがインドネシア語という民族言語に力を入れたことを反映している。私は以前、これにはまって、90年代に台頭していた台湾語ナショナリズムに投影して論じてきたが、今ではやっぱり違っていると思う。それはアンダーソンが、インドネシアという特殊事情を基盤にしているからだろう。
ビダニはたまたま月曜に戻ってきたが、普通は金曜日に恒例のレゴンダンスに出るときしか、ロスメンのある実家に戻ってこないらしい。ユリアティもそうらしい。今回は金曜日はインドネシアに滞在しないので、ユリアティには会えなかった、残念!
しかし、ユリアティもビダニも、すごい上品でかわいいよね!
しかもインドネシア人がいいところは、わりと小柄なところ。圧迫感を感じずに接することができるのも良い。私は女性は気が強くてもいいが、大柄なのは苦手だから。
本当はビダニと一緒に撮った写真もあるが、勝手に載せるのも何なので、ユリアティハウスに掛かっていた一家の写真を載せておく。